御供え物の思い出

お寺で小さい頃から生活をさせていただいていると、様々な経験をさせていただくことがあります。
小さい頃は理不尽に感じているけれど、少し大人になると有り難いと思えることもあります。
その1つが御供え物の思い出です。
我が家には、誰かに何かを頂くと
「まずは、仏様にあげてきなさい」
と必ず言われました。
あげてきなさいとは、お供えをしなさいということ。
例えば、親戚のおじさんがお菓子を持ってきてくれて私が受け取る。
すると、「仏様にあげてきなさい」と言われるのです。
当時まだ素直だった私は仏様に御供えし、手を合わせます。そしてすぐに御供えしたお菓子を下げて、みんなで食べるのです。
小さい頃は何も考えずに実行をしていました。
しかし、少し大きくなると無駄な知恵がついてきます。
「どうせ、すぐに食べるんだからお供えなんてめんどくさいな。仏様だって見ているだけで食べられないじゃん!」
と考えるようになるのです・・・
また、兄弟が修学旅行の御土産として買ってきてくれたものまで「お供えして来い」と言われたときは
「なんで俺がもらったものを御供えするのだ??意味が分からん!!?」
と思ったことを覚えています。
しかし、もう少し大人になると
私たちは空手【くうしゅ】という何も所有しない姿でこの世に生まれてきた。そして、ご縁が尽きれば一切の所持品を遺して以前の世界に返っていくことを表す
吾等もとより空手にして、この世に来り、空手にして又帰る
と言う、言葉と出会ったときに
「まずは、仏様にあげてきなさい」
という言葉の意味を感じることができた気がしました。
仏教では「私のもの」など何もないと説きます。「私のもの」、「私の時間」、「私のお金」、「私の場所」など「私の○○」は迷いの原因になるのです。
「私の○○」という心を調えるための実践が「仏様にあげてきなさい」だったのです。
仏様にお供えすることで、例え短い時間だとしてもお土産は「私のもの」ではなくなり、誰のものでもない、本来の姿である「みんなのもの」になるのです。さらに、仏様にお供えすることで「ありがとう」という気持ちはお土産をくれた人にだけ言うのではなく、仏様を通じて全ての「人」や「もの」に伝えることができるのです。このような、良い実践を短い時間でも積み重ねることが後々どのような結果につながっていくのかは分かります。
「仏様にあげてきなさい」
これからも大切にしていきたい言葉です。
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