スイカの種は何色なのか
禅の言葉(禅語)に
春入処処花
というものがあります。
春に入る処処の花
【 はるに いる しょしょの はな 】
と読むことができます。
冬が終わり、森羅万象すべてに春が入り込み、春に満たされた草花は1つ残らず咲き誇る情景を読んだ言葉です。
このことから、森羅万象すべてに仏の世界が等しく行き渡っている様子を示した言葉だと解釈できるようです。
私は「春が入り込み」という言葉を見ると「桜の木」を思い出します。
正確には「桜の幹」を思い出します。
それは、遠い過去のことですので明確な年齢は忘れましたが、国語の教科書に
桜色の染色をするために使われるのは「花」ではなく「幹」だ
という文章を忘れることができないからです。
幹を砕き煮出すことで桜色の染色ができるのです。
私は桜と言われれば「花がきれい」と花ばかりを見てしまいますが、あの淡い美しい色は「幹」に貯えられ、春になると「花」となって人々の前に現れているのです。
つまり、本来ならば幹に貯えられた「花の色」を楽しめるはずなのです。
しかし、見えていない自分がここにいるのです・・・
花を見て美しいと感じることはできるのですが、幹に美しさを感じることができないのは、私が「花」と「幹」を分別【ふんべつ:対照的に見ることによって、正しいありのままの姿を認識できていない状態】して見てしまっているのです。
花も美しい、幹も美しい、全てが美しい
と感じられるようになりたい思った出来事が最近ありました。
それは「スイカの種をよく見る」という出来事でした。
ある日、小学生の娘が顕微鏡に興味を持ち始めました。
私も小学生時代に簡易の顕微鏡を手に入れて大喜びしたことがありましたので、娘に簡易の顕微鏡を贈くることにしました。

これが、その顕微鏡です。非常に簡易な顕微鏡ですが、倍率は60~120倍。小さい子供でも扱うことができるのでこれに決めました。
娘は初めての顕微鏡に喜んでいましたが、娘よりも私の方が楽しんでいたのかもしれません。
顕微鏡を手に入れた日のおやつにスイカが登場すると娘は
「スイカを顕微鏡で見たい」

と言うのです。私も喜んで見やすいようにスイカを薄く小さく切って一緒に見てみました。
見たこともない模様と鮮やかな赤色が目の中に入ってきて娘は興奮しています。想像以上の楽しさに娘は
「種も見たい!」
と言い出しました。たいした知識もないくせに、私はえらそうに
「どうせ真っ黒だから見ても面白くないよ」
などと言ってしまいました。それでも、見たいと言うので しかたなく種を見てみることに・・・
どうせ黒いだろう・・・そんな気持ちで接眼レンズをのぞいたとき私は思わず
「え、お、お、お~」
と声が出てしまいました。

※うまく撮れませんでしたが写真撮影をしてみました。
なんと黒だと思っていた種はスイカの実の色と同じ「赤」に黒い模様が入っていたのです。
「どうせ真っ黒だから見ても面白くないよ」
恥ずかしい言葉を発したことを反省しながら、
桜色の染色をするために使われるのは「花」ではなく「幹」だ
という言葉を思い出していました。
日々成長していかなくていけないはずなのに、私は「春に入る処処の花」を感じることができず分別の世界をウロウロしているようです・・・

蛇足ですが、白色の種にも「赤」が入っていました。
春入処処花
というものがあります。
春に入る処処の花
【 はるに いる しょしょの はな 】
と読むことができます。
冬が終わり、森羅万象すべてに春が入り込み、春に満たされた草花は1つ残らず咲き誇る情景を読んだ言葉です。
このことから、森羅万象すべてに仏の世界が等しく行き渡っている様子を示した言葉だと解釈できるようです。
私は「春が入り込み」という言葉を見ると「桜の木」を思い出します。
正確には「桜の幹」を思い出します。
それは、遠い過去のことですので明確な年齢は忘れましたが、国語の教科書に
桜色の染色をするために使われるのは「花」ではなく「幹」だ
という文章を忘れることができないからです。
幹を砕き煮出すことで桜色の染色ができるのです。
私は桜と言われれば「花がきれい」と花ばかりを見てしまいますが、あの淡い美しい色は「幹」に貯えられ、春になると「花」となって人々の前に現れているのです。
つまり、本来ならば幹に貯えられた「花の色」を楽しめるはずなのです。
しかし、見えていない自分がここにいるのです・・・
花を見て美しいと感じることはできるのですが、幹に美しさを感じることができないのは、私が「花」と「幹」を分別【ふんべつ:対照的に見ることによって、正しいありのままの姿を認識できていない状態】して見てしまっているのです。
花も美しい、幹も美しい、全てが美しい
と感じられるようになりたい思った出来事が最近ありました。
それは「スイカの種をよく見る」という出来事でした。
ある日、小学生の娘が顕微鏡に興味を持ち始めました。
私も小学生時代に簡易の顕微鏡を手に入れて大喜びしたことがありましたので、娘に簡易の顕微鏡を贈くることにしました。

これが、その顕微鏡です。非常に簡易な顕微鏡ですが、倍率は60~120倍。小さい子供でも扱うことができるのでこれに決めました。
娘は初めての顕微鏡に喜んでいましたが、娘よりも私の方が楽しんでいたのかもしれません。
顕微鏡を手に入れた日のおやつにスイカが登場すると娘は
「スイカを顕微鏡で見たい」

と言うのです。私も喜んで見やすいようにスイカを薄く小さく切って一緒に見てみました。
見たこともない模様と鮮やかな赤色が目の中に入ってきて娘は興奮しています。想像以上の楽しさに娘は
「種も見たい!」
と言い出しました。たいした知識もないくせに、私はえらそうに
「どうせ真っ黒だから見ても面白くないよ」
などと言ってしまいました。それでも、見たいと言うので しかたなく種を見てみることに・・・
どうせ黒いだろう・・・そんな気持ちで接眼レンズをのぞいたとき私は思わず
「え、お、お、お~」
と声が出てしまいました。

※うまく撮れませんでしたが写真撮影をしてみました。
なんと黒だと思っていた種はスイカの実の色と同じ「赤」に黒い模様が入っていたのです。
「どうせ真っ黒だから見ても面白くないよ」
恥ずかしい言葉を発したことを反省しながら、
桜色の染色をするために使われるのは「花」ではなく「幹」だ
という言葉を思い出していました。
日々成長していかなくていけないはずなのに、私は「春に入る処処の花」を感じることができず分別の世界をウロウロしているようです・・・

蛇足ですが、白色の種にも「赤」が入っていました。
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