新亡供養【しんもうくよう】 平成28年
京都へ行ってきました。
目的は東光寺(静岡市清水区横砂)の御本山である

妙心寺での新亡供養【しんもうくよう】

に参加するためです。
全国にある3400の妙心寺派(臨済宗:禅宗)のお寺では檀信徒の方が亡くなった場合、葬儀を執り行います。
そして決まった日数や年数ごとに法事(年忌法要)を営む習慣があります。
新亡供養はこの年忌法要のとても丁寧な法要と考えていただければ良いのかと思います。
亡くなられて1年以内の妙心寺派の檀信徒(出席希望者)が本山に集まり法要をするのです。

管長様(3400か寺の中心となる和尚様)が導師をされ、多くの本山の和尚様方と共に、龍の天井画で有名な法堂【はっとう】で行う法要は厳かであり、迫力があります。
例年は2500人ほどの申し込みがあるそうですが今年は3000人ほど申し込みをいただいたと聞きました。もちろん1日で全員が法要をすることはできませんので何日にも分けて法要が行われるのです。
新亡供養と普段の法事や葬儀との1番の違いは参列者だとも言えます。
法事や葬儀の場合には亡くなった方とご縁の深い方も、少しだけご縁のある方もいらっしゃいます。しかし、新亡供養の場合には参列者全員が亡くなられた方の身内か、かなりご縁の深い方となっています。もちろん亡くなられた方々は別々の人であり、同じ別れなどありません。しかし、大切な方を亡くしたという感情を共有することができるのが新亡供養の特徴でもあるのではないでしょうか。
ですから、すべての法要がそうではありますが、私は新亡供養は特に「亡き人と今を生きる人、そしてお参りをする人達、お互いがお互いを想い合う法要」だと感じています。
供養とは亡き人の心を受け継ぐことである という言葉もあります。
様々な法要に参加させていただくたびに 大切な人が亡くなったとしても、時間や場所など関係なく手を合わせお参りすることで亡き人を感じ、亡き人と共に歩んでいくことを誓うことができるのだと実感ができます。
知識としては知っていても実際にお参りをすることで、より強く実感することができることを新亡供養でのお勤めを終えて改めて感じました。
目的は東光寺(静岡市清水区横砂)の御本山である

妙心寺での新亡供養【しんもうくよう】

に参加するためです。
全国にある3400の妙心寺派(臨済宗:禅宗)のお寺では檀信徒の方が亡くなった場合、葬儀を執り行います。
そして決まった日数や年数ごとに法事(年忌法要)を営む習慣があります。
新亡供養はこの年忌法要のとても丁寧な法要と考えていただければ良いのかと思います。
亡くなられて1年以内の妙心寺派の檀信徒(出席希望者)が本山に集まり法要をするのです。

管長様(3400か寺の中心となる和尚様)が導師をされ、多くの本山の和尚様方と共に、龍の天井画で有名な法堂【はっとう】で行う法要は厳かであり、迫力があります。
例年は2500人ほどの申し込みがあるそうですが今年は3000人ほど申し込みをいただいたと聞きました。もちろん1日で全員が法要をすることはできませんので何日にも分けて法要が行われるのです。
新亡供養と普段の法事や葬儀との1番の違いは参列者だとも言えます。
法事や葬儀の場合には亡くなった方とご縁の深い方も、少しだけご縁のある方もいらっしゃいます。しかし、新亡供養の場合には参列者全員が亡くなられた方の身内か、かなりご縁の深い方となっています。もちろん亡くなられた方々は別々の人であり、同じ別れなどありません。しかし、大切な方を亡くしたという感情を共有することができるのが新亡供養の特徴でもあるのではないでしょうか。
ですから、すべての法要がそうではありますが、私は新亡供養は特に「亡き人と今を生きる人、そしてお参りをする人達、お互いがお互いを想い合う法要」だと感じています。
供養とは亡き人の心を受け継ぐことである という言葉もあります。
様々な法要に参加させていただくたびに 大切な人が亡くなったとしても、時間や場所など関係なく手を合わせお参りすることで亡き人を感じ、亡き人と共に歩んでいくことを誓うことができるのだと実感ができます。
知識としては知っていても実際にお参りをすることで、より強く実感することができることを新亡供養でのお勤めを終えて改めて感じました。
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