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携帯電話の音で、自分の「心」を知る

私の携帯電話の着信音を聞いたことがある人はいるでしょうか?




500携帯電話と着信音160625


たぶん、聞いたことがある人はほとんどいないのではないでしょうか。




数年前のある事件以来、私の携帯電話は着信音を出すことをやめています。




その事件とは、単純な事件です。




「静かで、携帯電話が鳴ってはいけない場所で突然私の携帯電話が鳴り始めた」




という事件です・・・・



よくあること!



と、感じるかもしれませんが、このとき一番驚いたことは とっさに出た自分の言葉でした。



私はこの時に




「誰だ、こんなときに電話をしてくるやつは!」




と言ってしまったのです。そして、次の瞬間 自分の言葉に驚いたのです・・・





携帯電話が鳴ってはいけない場所で鳴ってしまったことは、間違いなく自分自身の責任です。



しかし、私は「誰だこんなときに・・・」とマナーモード等にするなど自分の準備不足や配慮不足を反省するよりも前に、他人への文句が口から出てしまったのです。




自分自身の自己中心的な考え方に驚くと同時に、自分の心が調っていないことに気が付いた瞬間でした。



それ以来、私の携帯電話は常にマナーモードになっています・・・





白隠禅師坐禅和讃【 はくいんぜんじ ざぜんわさん 】というお経の中に




それ摩訶衍の禅定は 【 それ まかえんの ぜんじょうは 】

称嘆するに余りあり 【 しょうたんするに あまりあり 】






という言葉があります。





心を落ち着ける(禅定:ぜんじょう)ことこそが、私達を支えてくれるのです





という意味です。





周囲のことを考えない自己中心的な人を支えてくれる人間はほとんどいません。

そして、周囲のことを考えない自己中心的な人は自分自身を支えることもできません。





自分自身を支えるのは、あくまで自分自身であり、

自分の中にある「調った心」であると感じてます。





鳴ってはいけない場所で鳴る携帯電話の音を聞くたびに、自己中心的な考え方をしていた頃の自分を思い出し恥ずかしい気持ちになります・・・
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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