近くの虹を見て 「遠く求むるはかなさよ」 を実感する
先日、複数の和尚様方と宮城県の瑞巌寺【ずいがんじ】様を訪ねる御縁をいただきました。
瑞巌寺様は宮城県の島町にある、臨済宗妙心寺派のお寺であり、僧侶が修行をする修行道場もある有名なお寺です。
1000年以上の歴史を持つお寺であり、衰退した時には伊達政宗【だて まさむね】が復興をはかったほどでした。
本堂や庫裏【 くり】、廊下などはこの時期の遺構で、桃山時代の代表的建造物です。

歴史的なお寺の敷地に初めて足を踏み入れた私は、周囲をキョロキョロとしていると どこからともなく滝の音が聞こえてきます。
自然豊かな境内には滝らしきものは見えませんが、「ザ―」という水が落ちる音がはっきりと聞こえます。
「滝があるのかな?」
などと考えていると、
「おい、雨だ!!」
と声がします。
晴れ間も見える上空を見て「つまらない冗談を言ってどうするんだ!?」と感じていると・・・・
雨のカーテンがグングン近づいてきます。

急いで近くの屋根のある場所に避難しました。
思いがけない雨に驚きながらも、晴れるのを待っていると
「おい、虹だぞ 虹!」
という声が周囲から聞こえてきました。
指さされる方向に目を向けてみると・・・
驚きました!!!

すぐ近くに虹が見えるのです。
拡大をしてみました。

5mほど先に虹が見えたのです!!
すぐ近くにある虹を見て
虹は遠くの空に見えるもの
と思い込んでしまっている自分に気が付かされました。
それと同時に
衆生【しゅじょう】の他に仏なし
衆生近きを知らずして
遠く求むるはかなさよ
という、白隠禅師坐禅和讃【はくいんぜんじざぜんわさん:お経】の言葉を思い出しました。
私達以外に仏はありません
私達自身が仏なのに
遠くに仏を探すのはもったいないことです
と言う意味です。
水と光さえ存在すればできる可能性のある「虹」
自分自身さえ存在すれば見出すことができるはずの「仏」
遠くに求めてはいけない。すぐそこにある!
そんな当たり前のことを思い出させてくれた夕暮れ時のひと時でした。
瑞巌寺様は宮城県の島町にある、臨済宗妙心寺派のお寺であり、僧侶が修行をする修行道場もある有名なお寺です。
1000年以上の歴史を持つお寺であり、衰退した時には伊達政宗【だて まさむね】が復興をはかったほどでした。
本堂や庫裏【 くり】、廊下などはこの時期の遺構で、桃山時代の代表的建造物です。

歴史的なお寺の敷地に初めて足を踏み入れた私は、周囲をキョロキョロとしていると どこからともなく滝の音が聞こえてきます。
自然豊かな境内には滝らしきものは見えませんが、「ザ―」という水が落ちる音がはっきりと聞こえます。
「滝があるのかな?」
などと考えていると、
「おい、雨だ!!」
と声がします。
晴れ間も見える上空を見て「つまらない冗談を言ってどうするんだ!?」と感じていると・・・・
雨のカーテンがグングン近づいてきます。

急いで近くの屋根のある場所に避難しました。
思いがけない雨に驚きながらも、晴れるのを待っていると
「おい、虹だぞ 虹!」
という声が周囲から聞こえてきました。
指さされる方向に目を向けてみると・・・
驚きました!!!

すぐ近くに虹が見えるのです。
拡大をしてみました。

5mほど先に虹が見えたのです!!
すぐ近くにある虹を見て
虹は遠くの空に見えるもの
と思い込んでしまっている自分に気が付かされました。
それと同時に
衆生【しゅじょう】の他に仏なし
衆生近きを知らずして
遠く求むるはかなさよ
という、白隠禅師坐禅和讃【はくいんぜんじざぜんわさん:お経】の言葉を思い出しました。
私達以外に仏はありません
私達自身が仏なのに
遠くに仏を探すのはもったいないことです
と言う意味です。
水と光さえ存在すればできる可能性のある「虹」
自分自身さえ存在すれば見出すことができるはずの「仏」
遠くに求めてはいけない。すぐそこにある!
そんな当たり前のことを思い出させてくれた夕暮れ時のひと時でした。
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