「もっと儲けたいですか?」 という言葉についてぶっちゃけてみる・・・
ぶっちゃけ寺 の収録に呼んでいただいたにも関わらず、 ビビッてぶっちゃけることができなかった僧侶が ブログでぶっちゃける・・・・・・
そんな、つまらない話です・・・・
今回は 「もっと儲けたいですか?」 という言葉について書いてみます。

「和尚さん、儲かってますか?」
と質問をされたことがあります。 普段「儲け」という感覚でお寺のことを考えたことがなかったので、かなり衝撃的な質問に感しられことを良く覚えています。
私はこれまでに、「儲けたい!」 と考えたことはありません。しかし、最近では
「お寺にいるのですから、儲けたいとは考えていませんよ。」
と本心から答えたとしても、トンチンカンか質問を続ける方がいるようです・・・・
「だったら、お葬式のお布施が1万円でもあなたは葬儀をやるんですね?」
このような質問を聞くことが増えた気がします。
しかし、この質問は本質から離れてしまった質問に感じてしまいます。
仏教のお話しの中に
貧者の一灯 【 ひんじゃ の いっとう 】

というお話があります。話しの内容は、
昔、ある村にお釈迦様がやってくることになりました。
村人たちは大喜びです。
皆は、お釈迦様のために灯【ともしび】を捧げようと考えました。
あるお金持ちは、多くの油を買い求め、灯を捧げました。
この様子を1人のお婆さんが見ていました。
お婆さんは自分も灯を捧げたいと考えましたが、お金が全くありません。
お婆さんは大変に貧しく、その日その日を生きていくことに必死な状態だったのです。
しかし、通行人などにお金を恵んでもらい、そのお金でなんとか少量の油を購入し、灯を捧げたのです。
やがて、街中に多くの灯が捧げられました。
その時、突然強い風が街中を通り抜けていったのです。
すると、お婆さんが用意した灯だけが消えずに火を保ち、残りの灯は全て消えてしまった。
といったものでした。このお話は
お金持ちが捧げた多くの灯明よりも貧しい老婆が心をこめて捧げた灯明の方が長く輝き続けたお話しより、大切なことは量や金額ではなく、誠意の有無だ!
と言うことを伝えてくれる教えです。
お婆さんは自分が持っている全てを投げ出して灯を捧げたのです。
全てを投げ出したからこそ、尊い「布施【ふせ】」となるのです。
対してお金持ちは、確かに多くの灯を捧げましたが、全てを投げ出しきることはできなかったのです。
先程の質問にもどりますが、
「1万円で葬儀ができるのか?」
という質問は
「灯を1つ捧げることは 尊いか?」
と質問をしているのと同じなのです。 「灯を1つ」と言われても、全てを投げ出して捧げた1つの灯なのか、お金持ちがゆとりをもって捧げた灯なのかによって答えは全く異なってくるのです・・・・
僧侶に対して 「もっと儲けたいですか?」 と質問をすれば多くの僧侶が 「いいえ」 と答えることになるでしょう。
だからといって
「じゃ~、お布施(財施)を払わなくていいでしょ? 儲けなんていらないでしょ?」
と発言することは間違いなのです。
「できるだけのことをする」 ということが最も大切なことであり、 そのことを伝えていくのが儲けるよりも大切な僧侶の役割の1つなのだと感じています!
そんな、つまらない話です・・・・
今回は 「もっと儲けたいですか?」 という言葉について書いてみます。

「和尚さん、儲かってますか?」
と質問をされたことがあります。 普段「儲け」という感覚でお寺のことを考えたことがなかったので、かなり衝撃的な質問に感しられことを良く覚えています。
私はこれまでに、「儲けたい!」 と考えたことはありません。しかし、最近では
「お寺にいるのですから、儲けたいとは考えていませんよ。」
と本心から答えたとしても、トンチンカンか質問を続ける方がいるようです・・・・
「だったら、お葬式のお布施が1万円でもあなたは葬儀をやるんですね?」
このような質問を聞くことが増えた気がします。
しかし、この質問は本質から離れてしまった質問に感じてしまいます。
仏教のお話しの中に
貧者の一灯 【 ひんじゃ の いっとう 】

というお話があります。話しの内容は、
昔、ある村にお釈迦様がやってくることになりました。
村人たちは大喜びです。
皆は、お釈迦様のために灯【ともしび】を捧げようと考えました。
あるお金持ちは、多くの油を買い求め、灯を捧げました。
この様子を1人のお婆さんが見ていました。
お婆さんは自分も灯を捧げたいと考えましたが、お金が全くありません。
お婆さんは大変に貧しく、その日その日を生きていくことに必死な状態だったのです。
しかし、通行人などにお金を恵んでもらい、そのお金でなんとか少量の油を購入し、灯を捧げたのです。
やがて、街中に多くの灯が捧げられました。
その時、突然強い風が街中を通り抜けていったのです。
すると、お婆さんが用意した灯だけが消えずに火を保ち、残りの灯は全て消えてしまった。
といったものでした。このお話は
お金持ちが捧げた多くの灯明よりも貧しい老婆が心をこめて捧げた灯明の方が長く輝き続けたお話しより、大切なことは量や金額ではなく、誠意の有無だ!
と言うことを伝えてくれる教えです。
お婆さんは自分が持っている全てを投げ出して灯を捧げたのです。
全てを投げ出したからこそ、尊い「布施【ふせ】」となるのです。
対してお金持ちは、確かに多くの灯を捧げましたが、全てを投げ出しきることはできなかったのです。
先程の質問にもどりますが、
「1万円で葬儀ができるのか?」
という質問は
「灯を1つ捧げることは 尊いか?」
と質問をしているのと同じなのです。 「灯を1つ」と言われても、全てを投げ出して捧げた1つの灯なのか、お金持ちがゆとりをもって捧げた灯なのかによって答えは全く異なってくるのです・・・・
僧侶に対して 「もっと儲けたいですか?」 と質問をすれば多くの僧侶が 「いいえ」 と答えることになるでしょう。
だからといって
「じゃ~、お布施(財施)を払わなくていいでしょ? 儲けなんていらないでしょ?」
と発言することは間違いなのです。
「できるだけのことをする」 ということが最も大切なことであり、 そのことを伝えていくのが儲けるよりも大切な僧侶の役割の1つなのだと感じています!
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