写経会のときに どんな話しをしているの? その17
東光寺(静岡市清水区横砂)で行われている写経会で、副住職(新米和尚)の法話と配布させていただいている絵葉書を紹介させていただきます。
※なぜ、絵葉書と法話(仏教のお話)が登場するのかはこちらをご覧ください。
※写経会の御案内はこちらをご覧ください。
今回は第17回目です。
放下著【ほうげじゃく】

般若心経【はんにゃしんぎょう】といお経には
無智亦無得【むちやくむとく】
という言葉が登場します。
「智」は智慧 「得」は所得
を表します。
智慧とは仏教の根本的な大切な考え方のことであり、悟りとも表現することがあります。
得は所得を表すと言いましたが、所得とは「何かを得て、自分のものにすこと」表しています。
般若心経では智慧にも所得にも「無」を付けています。
「無」は「無い」を表す言葉ではなく「こだわらない」と捉える方が分かりやすいと思います。
ですから、無智亦無得 は 智慧にも所得にもこだわらない と訳すことができ、
一生懸命に何かに打ち込んだとしても、そこで得たものにこだわってはいけないと
と言っているのです。
大変に難しい要求ですが、無智亦無得と聞いたときに思い出す言葉を絵葉書にさせていただきました。
それが
放下著【ほうげじゃく】
と言う言葉です。
全てを捨て去れ!
という意味です。
「悪いものを捨てろ!」と言っているのではありません。 「良いものも捨てろ!」と言っているのです。
「良いものをすてるなんてもったいない」と感じるかもしれません。
しかし、これは「良い」これは「悪い」と分別しているところにも問題があるのです。
良い行いをすると、見返りを求めたくなってしまいます。
しかし、見返りを求めてしまった時点で「良い行い」は良い行いではなくなってしますのです・・・・
放下著は「良い」「悪い」といった分別すら捨てるために
煩悩妄想だけでなく
仏や悟りまでも捨て去り
すべての執着を捨て去る
と言うことを示す言葉なのです。
絵葉書の写真は東光寺本堂の前の冬の菩提樹です。
春から秋にかけて生い茂った葉は全て落ちています。
この葉のない菩提樹の状態を見て「さみしい」と感じるかもしれません。
しかし、見かたを変えれば、春になり新芽が噴き出し、あっという間に葉を生い茂るための底知れぬ力を秘めた力強い姿にも見えます。
菩提樹の木は人に「どう見られているのか」など感じずにそこに立っています。
「さみしい」と見られようが「力強い」と見られようが、まったく気にすることなどありません。
そして、春になれば新しい葉を付け、その新しい葉が力強く光合成を行い養分を作り出すことにより幹を太らせ成長を続けていくのです・・・・
私も自分が一生懸命取り組んできたものを「捨てなさい」と言われると「もったいない」と感じてしまいます・・・
しかし、捨て去らなくてはいけないのです。
息を吐かなくては、新しい空気を吸うことができません。
だからと言って「新しい空気を吸うために息を吐くぞ!」と意識することはほとんどありません。
せっかく吸った空気を吐くなんてもったいないとも感じません。
だからこそ、自然と呼吸を続けることができます。
同様に、煩悩だけでなく自分が積んだと感じている功徳を捨て去ることができたとき、自然と呼吸を続けられるよう、より良い生き方を見出せるのではないでしょうか。
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