科学と仏教の共通点

私は現在、臨済宗の僧侶をさせていただいています。
臨済宗が「禅宗」のお寺である縁で、保育園児が子供坐禅会に参加してくれています。
子供達には
「姿勢を良くして、ゆっくり息をしましょう!」
と坐禅の説明をしています。
しかし、「坐禅」を説明するときに「姿勢」と「呼吸」だけで十分ではありません。
姿勢を調え、呼吸を調え、心を調える
ことが坐禅であり、
「心の中にある余分なものを捨てていくことが心を調えることだ」とも言われます。
僧侶をしていると、一般の方に
「やっぱり、お坊さんって仏教系の大学を出ないと なれないの?」
と聞かれることがあります。
「僧侶になるためには必ず仏教系の大学をでなくてはいけない。」という決まりは臨済宗にはありません。
私自身も、理系の出身です。 学生時代は理学部 物理学科に在籍し、4年生~大学院2年までの3年間は研究室でひたすら実験を繰り返す毎日を送っていました・・・・
「科学」が大好きな私にとって、非常に残念な言葉は
「科学は「分類」の学問であり 、 様々な現象を「0」か「1」に分けていくような学問だ 」
という声です。
科学=分別
と感じてるいる人は珍しくありません。 しかし、科学とは本来「法則性を明らかにする学問」であるはずです。
そして、「法則性」を明らかにするために、日夜様々な研究が続けられています。
では、その研究とはどのようなものなのでしょう。 科学の研究は 必要のない余分な条件を捨てていくことの連続です。
実験材料にわずかな不純物があれば、実験は成功しません・・・・
私も、実験で使用する材料(純度98パーセント以上)を購入した際に、少なからず入っている不純物を排除する作業のために3週間かけて材料を生成したことを よく覚えています。
科学と仏教の共通点は様々ありますが、
余分なものを極限まで捨てていくこと
も共通点だと私は考えています!