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昔話シリーズ 猿蟹合戦 【8.猿をこらしめ、猿を許す】

600【昔話】54猿蟹合戦


昔話シリーズ 猿蟹合戦 【8.猿をこらしめ、猿を許す】



この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)で行われてみんなの坐禅会(子供坐禅会)で私が話した内容をまとめたものです。



皆さんご存じの通り、猿蟹合戦【さるかにがっせん】のお話は


1.猿が蟹の持っていたおにぎりを柿の種と交換
2.蟹は柿の種を植えて育てる
3.できた柿を猿が食べて青い柿で・・・
4.栗の登場
5.蜂の登場
6.昆布の登場
7.臼の登場
8.猿をこらしめ、猿を許す



となっています。




この猿蟹合戦の話から、私達は様々なことを学ぶことができます。


今回は 「8.猿をこらしめ、猿を許す」 という場面から何を学ぶことができるのかを紹介させていただきます。



皆さんは、猿蟹合戦の結末をどのように覚えているでしょか?

今回、いくつかの猿蟹合戦の本を読んだときに結末が1つではないことに気がつきました。

1つが、臼が猿の上に落っこちて重みで猿を殺す結末。

もう1つが、臼が猿の上に乗っかることで猿が動けなくなったところに子供の蟹が出てきて猿の首を切り落とす結末。

さらに、もう1つ、猿を懲らしめるが最終的には許すという結末です。



特に最近の絵本などでは、許す結末が多いように感じます。


これに対して


「最近の昔話は軟弱になった。懲らしめるなら徹底的に懲らしめるべきだ!」


という人がいます。


しかし、私は「許す結末」は大切なことを教えてくれているように感じます。





仏教の大切な言葉に


怨み【うらみ】は怨みによって果たされず


という言葉があります。


恨んではいけない、恨んでも恨んでも自分自身の心は休まらない、恨みの心をなくすためには、許す心が必要だ。


という意味です。




仏教では、やり返したり復讐をするのではなく、許すことの大切さを説き続けています。


しかし、「許す」といってもなかなかできることではありません。


ついつい嫌なことを言われれば言い返したくなってしまいます。


そんな時は、猿蟹合戦に代表されるように許すことの大切さを教えてくれる昔話を思い出してください。



非常に長い年月がかかりましたが、話の内容が変わっています。


同じように、私達も時間がかかるかもしれませんが、相手を恨むのではなく、許す心で生活をしていきたいと思います。





600仏教豆知識シール 400-407 昔話シリーズ 猿蟹合戦8

昔話シリーズ 猿蟹合戦 【7.臼の登場】

600【昔話】53猿蟹合戦


昔話シリーズ 猿蟹合戦 【7.臼の登場】



この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)で行われてみんなの坐禅会(子供坐禅会)で私が話した内容をまとめたものです。



皆さんご存じの通り、猿蟹合戦【さるかにがっせん】のお話は


1.猿が蟹の持っていたおにぎりを柿の種と交換
2.蟹は柿の種を植えて育てる
3.できた柿を猿が食べて青い柿で・・・
4.栗の登場
5.蜂の登場
6.昆布の登場
7.臼の登場
8.猿をこらしめ、猿を許す



となっています。


この猿蟹合戦の話から、私達は様々なことを学ぶことができます。

今回は 「7.臼の登場」 という場面から何を学ぶことができるのかを紹介させていただきます。


猿蟹合戦では猿に殺された蟹の子供達が悲しんでいると

泣いている子ガニに

「かにさん、かにさん、なぜ泣くの。」

と聞きくと、子ガニは

「猿が親を殺したから、かたきを討ちたい」

と言いました。すると

「にくい猿だ。よしよし、おじさんがかたきをとってやるから、お泣きでない。」

栗と蜂と昆布と臼とは、みんなよって、かたき討ちの相談をはじめました。


と、栗・蜂・昆布・臼が登場します。







「猿蟹合戦」という物語ですので、殺されてしまった蟹の仲間が復讐をしてもよいのですが、復讐をするのは蟹ではありません。

昔話の中には様々な想いが込められています。

と、言うことは「臼」が登場したことにも意味があるはずです。




物語の中で臼は最後に猿に飛び乗ることで、猿をこらしめます。


私は臼が裁判官の役割を果たしているように感じます。


では、なぜ臼が裁判官なのでしょうか。


裁判官に必要なのは公正中立です。


好きな人の味方をして、嫌いな人には不利になることをしていてはできません。


その姿はまさに「臼」です。




「臼と言えば餅つき」


と思う人も多いかもしれません。


しかし、臼は餅つきだけでなく様々な働きをします。


収穫したお米を精米したり、もち米だけでなく「きび」を使ってキビ団子を作ったりもします。



このとき臼は決して文句を言いません。


収穫したばかりの米が入れば受入れ、蒸されて熱々のもち米が来れば受入れ、キネで叩かれても受け入れます。


熱いのは嫌だ、きびは嫌だ、米が良い・・・


そんな好き嫌いや差別をしません。




これを一般的には中立と呼ぶかもしれませんが、仏教・禅では


 無分別【むふんべつ】


と表現します。



無分別は物事を区別して考えないことを意味していますが、妄想(思い込みなどから作られる差別の心)を離れることを意味しています。


あれは良い、これは悪い

こっちが得で、こっちが損


私達は普段から、比較や区別をしてしまいます。


そのようなことをせずに、ありのままに受け止め、受け入れることの大切さを「無分別」という禅語は教えてくれています。




同じことを伝えるために、全てを受け入れる「臼」が猿蟹合戦に登場するのだと私は感じています。





600仏教豆知識シール 400-407 昔話シリーズ 猿蟹合戦7

昔話シリーズ 猿蟹合戦 【6.昆布の登場】

600【昔話】52猿蟹合戦

昔話シリーズ 猿蟹合戦 【6.昆布の登場】



この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)で行われてみんなの坐禅会(子供坐禅会)で私が話した内容をまとめたものです。



皆さんご存じの通り、猿蟹合戦【さるかにがっせん】のお話は


1.猿が蟹の持っていたおにぎりを柿の種と交換
2.蟹は柿の種を植えて育てる
3.できた柿を猿が食べて青い柿で・・・
4.栗の登場
5.蜂の登場
6.昆布の登場
7.臼の登場
8.猿をこらしめ、猿を許す



となっています。


この猿蟹合戦の話から、私達は様々なことを学ぶことができます。

今回は 「6.昆布の登場」 という場面から何を学ぶことができるのかを紹介させていただきます。

※地域や物語によって差があり、昆布の代わりに馬の糞が登場するものも多くありますが、今回は昆布で話を進めさせていただきます。





「なんでだろう」で有名なテツandトモ というお笑いコンビが

「昆布が海の中でダシが出ないのなんでだろう〜」

と歌っています。




御存じの通り、出汁は細胞膜に囲まれているので海の中では出ていません。


細胞膜は乾燥したときに壊れてしまいます。


ですから、乾燥した昆布を水につけたり、ゆでたりすることで初めて出汁が出ます。





猿蟹合戦では猿に殺された蟹の子供達が悲しんでいると

泣いている子ガニに

「かにさん、かにさん、なぜ泣くの。」

と聞きくと、子ガニは

「猿が親を殺したから、かたきを討ちたい」

と言いました。すると

「にくい猿だ。よしよし、おじさんがかたきをとってやるから、お泣きでない。」

栗と蜂と昆布と臼とは、みんなよって、かたき討ちの相談をはじめました。


と、栗・蜂・昆布・臼が登場します。







「猿蟹合戦」という物語ですので、殺されてしまった蟹の仲間が復讐をしてもよいのですが、復讐をするのは蟹ではありません。


昔話の中には様々な想いが込められています。


と、言うことは「昆布」が登場したことにも意味があるはずです。




昆布の役割は、玄関付近で逃げ出そうとする猿を滑って転ばせることです。


滑らせるためにぬめりが必要です。


このぬめりが出汁です。


昆布は細胞膜を壊すことで、もともと持っていた体の中(細胞の中)にあった出汁を外に出します。


この場面で大切なことはここの部分です。


もともと持っているものを外に出すことができることを昆布が教えてくれているのです。






では、昆布が出汁を持っていたように、私達はもともと何を持っているのでしょうか。


御存じの通り、私達は何も持たずに生まれてきます。

お金や食べ物を握って生まれてはきません。

服だって着ていません。

ですが、大切なものを胸にしまって生まれてきます。

それが、仏の心とも言われる素晴らしい心です。

誰かを思いやる心、誰かを大切にする心、一生懸命がんばる心





そういった素晴らしい心を持って生まれてきます。


では、昆布は細胞膜が壊れ煮ることで出汁が外に出てきますが、私達が持っている素晴らしい心はどうしたら外に出せるのでしょうか。


それは、難しいことではありません。

死んだ後に出てくるものでもありません。



姿勢を良くして、ゆっくり呼吸をすることで、心が静かになっていきます。


自分の心が静かになったと感じた時に表に出ているのが、生まれたときから持っている素晴らしい心です。


坐禅をしたときだけでなく、昆布を見たり、出汁を感じた時、さらに猿蟹合戦に昆布が登場したときに「自分の中にも素晴らしい心がある」ということを思い出してみてください。





600仏教豆知識シール 400-407 昔話シリーズ 猿蟹合戦6

昔話シリーズ 猿蟹合戦 【5. 蜂の登場】


600【昔話】51猿蟹合戦


昔話シリーズ 猿蟹合戦 【5. 蜂の登場】



この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)で行われてみんなの坐禅会(子供坐禅会)で私が話した内容をまとめたものです。



皆さんご存じの通り、猿蟹合戦【さるかにがっせん】のお話は


1.猿が蟹の持っていたおにぎりを柿の種と交換
2.蟹は柿の種を植えて育てる
3.できた柿を猿が食べて青い柿で・・・
4.栗の登場
5.蜂の登場
6.昆布の登場
7.臼の登場
8.猿をこらしめ、猿を許す



となっています。


この猿蟹合戦の話から、私達は様々なことを学ぶことができます。

今回は 「5. 蜂の登場」 という場面から何を学ぶことができるのかを紹介させていただきます。




猿蟹合戦では猿に殺された蟹の子供達が悲しんでいると

泣いている子ガニに

「かにさん、かにさん、なぜ泣くの。」

と聞きくと、子ガニは

「猿が親を殺したから、かたきを討ちたい」

と言いました。すると

「にくい猿だ。よしよし、おじさんがかたきをとってやるから、お泣きでない。」

栗と蜂と昆布と臼とは、みんなよって、かたき討ちの相談をはじめました。


と、栗・蜂・昆布・臼が登場します。







「猿蟹合戦」という物語ですので、殺されてしまった蟹の仲間が復讐をしてもよいのですが、復讐をするのは蟹ではありません。


昔話の中には様々な想いが込められています。


と、言うことは「蜂」が登場したことにも意味があるはずです。


意味を込めて物語は作られたはずです。


では、「蜂」は何を伝えようとしてくれているのでしょうか。





蜂にもたくさんの種類がいますが、昔から人々に親しまれてきたのはミツバチではないでしょうか。


ミツバチには様々な習性があります。その一つが分封・分蜂(ぶんぽう)です。


これは春から夏にかけて見ることができる習性です。

新しい女王蜂が誕生すると、前からいた女王蜂は巣の中の約半数の働きバチと一緒に巣を出ていきます。

それぞれの蜂が巣から出ていき女王蜂についていくのですが、これが1つの固まりのように見えます。




もちろん、ミツバチのこの習性のことは昔から知られています。


私はこの無数の蜂が一つの固まりとなって動く姿を見ると


「大いなるいのち」という言葉を思い出します。




禅では「大いなるいのち」という表現をよく使います。


私達1人1人の“いのち”はすべて縁があり、決して1人のものではない。


それは滝のようなもので、私達が「自分のいのち」と思っているものは滝から飛び出した1粒の水滴だと説くのです。


水滴はやがて滝にもどり流れていきますが、時として再び飛び出す。これを繰り返しているのが私達の世界だと表現しています。


この滝を「大いなるいのち」と表現するのです。


もちろん、滝だけが「大いなるいのち」ではありません。


蜂の固まり、分封・分蜂(ぶんぽう)も「大いなるいのち」です。





猿蟹合戦に蜂が登場するのは、昔から人々が蜂に助けられ、そして蜂に学ぶことが多かったからだと私は感じています。

猿蟹合戦の物語を読み、蜂が登場したときに、蜂と同じように私達のいのちも、一つ一つが尊く、そして大いなるいのちの中にあることを思い出してみてはいかがでしょうか。



600仏教豆知識シール 400-407 昔話シリーズ 猿蟹合戦5

昔話シリーズ 猿蟹合戦 【4.栗の登場】

600【昔話】50猿蟹合戦




昔話シリーズ 猿蟹合戦 【4.栗の登場】



この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)で行われてみんなの坐禅会(子供坐禅会)で私が話した内容をまとめたものです。



皆さんご存じの通り、猿蟹合戦【さるかにがっせん】のお話は


1.猿が蟹の持っていたおにぎりを柿の種と交換
2.蟹は柿の種を植えて育てる
3.できた柿を猿が食べて青い柿で・・・
4.栗の登場
5.蜂の登場
6.昆布の登場
7.臼の登場
8.猿をこらしめ、猿を許す



となっています。



この猿蟹合戦の話から、私達は様々なことを学ぶことができます。


今回は 「4.栗の登場」 という場面から何を学ぶことができるのかを紹介させていただきます。




猿蟹合戦では,、猿に殺された蟹の子供達が悲しんでいると



泣いている子ガニに

「かにさん、かにさん、なぜ泣くの。」

と聞きくと、子ガニは猿が親を殺したから、かたきを討ちたいと言いました。すると「にくい猿だ。よしよし、おじさんがかたきをとってやるから、お泣きでない。」

栗と蜂と昆布と臼とは、みんなよって、かたき討ちの相談をはじめました。





と、栗・蜂・昆布・臼が登場します。


「猿蟹合戦」という物語のですので、殺されてしまった蟹の仲間が復讐をしてもよいのですが、復讐をするのは蟹ではありません。


昔話の中には様々な想いが込められています。


と、言うことは「栗」が登場したことにも意味があるはずです。


意味を込めて物語は作られたはずです。


では、「栗」は何を伝えようとしてくれているのでしょうか。





私は


栗といえば、いがぐりを連想します。


ツルっとした栗を守るようにいがぐりがあります。


しかし、栗から針が生えているわけでありません。


ツンツンした針と栗は明確に違いがあり、針だらけのいがぐりはツルっと外すことができます。




この「栗」と「いがぐり」の関係は、


私達の「心」と「知識や経験」の関係に似ています。


いがぐりには栗を守るという大切な役目があります。


しかし、その2つは決して離れることができないわけではありません。


むしろ、ツルっと剥けてしまします。





同じように私達の「心」は「知識や経験」に守られています。


しかし、時として知識や経験が邪魔になって本当の心が見えなくなってしまうことがあります。


仏教・禅ではこの知識や経験にこだわることなく生きていくことで、ありのままの心を大切にすることを教えてくれています。


同じことを猿蟹合戦では、物語に栗を登場させることで教えてくれているように私は感じています。





600仏教豆知識シール 400-407 昔話シリーズ 猿蟹合戦4
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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