オンライン坐禅会 法話原稿 吾が道一以て之れを貫く

この記事は臨済宗青年僧の会のオンライン坐禅会で法話をさせていただいたときの原稿です。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。
私はとても尊敬している方がいます。
仮にAさんとします。
Aさんは、とても温和で決して他人の悪口を言いません。いつも笑顔で周囲の人に声をかける方です。
当然のことですが、この方の周囲には人が集まり、笑顔が絶えません。
Aさんは周囲の声に耳を傾けることが多く、会議では自分の意見よりも他人の意見を大切にします。
Aさんはある会に所属しており、その方が「〇〇〇〇ということをみんなでやりましょう」と声をかけると多くの方が協力をします。
私は、どうしても一緒に仕事をすることが苦手な方がいます。
仮にBさんとします。
Bさんは、とても攻撃的な性格で、常に誰かの悪口を言っています。いつも眉間にしわを寄せています。
常に「自分の言っていることが正しい」という根拠のない自信だけを振りかざして自分の意見を押し通そうとします。自分の意見を通すためなら、相手のことを傷つけることなど気にしません。
当然のことですが、Bさんの周囲からはどんどん人が去っていきます。
Bさんも、Aさんと同じ会に所属しています。
Bさんが「〇〇〇〇ということをみんなでやりましょう」と声をかけると、ほとんどの人がその場を離れていきます。
Bさんが入ったlineグループは悲惨です。
それまで、活発な意見交換や楽しく情報共有をしていたlineグループでも、Bさんが加入し攻撃的な発言を繰り返すので、だれもそのlineグループに発言しなくなります。
私自身も、何度も攻撃を受けました。
私はこれまで「人から悪口を言われることに慣れていますし、特に傷つくことはありません」と自己紹介ができるほどの性格だと思っていました。
そんな、私でも彼からの攻撃には心が折れそうになりました。
禅の言葉に
吾道一以貫之
【わがどう いつもってこれをつらぬく】
という言葉があります。
茶席の禅語句集 (朝山一玄著 淡交社)には
論語の「吾が道、一以て之れを貫く」
(私(孔子)は終生一貫して一つの道、すなわち仁道に従って歩んできた)を出典とする語。禅語録でも、禅僧が自らの信じるところに基いて進んできたことを表明する場合に用いられる。
とあります。
なんだか、誰も意見も聞かず、自分が正しいと信じて(勘違い)をして自分の道を歩み続けるBさんを表しているようにも感じます。
しかし、そうではありません。
そのことを端的に表現されているのが仏教詩人の坂村真民氏です。
坂村氏の詩にこのような言葉があります。
生かされて生きるということは
任せきって生きるということであり
任せきって生きるということは
自分を無にして生きるということであり
自分を無にして生きるということは
自分の志す一筋の道にいのちをかけ
更には他のために己れの力を傾け尽くすということである
吾が道、一以て之れを貫く
吾が道とは何でしょうか。吾が道とは、当然生き方です。
臨済宗妙心寺派の生活信条に
生かされている自分に感謝し 報恩の行を積みましょう
とあります。生活信条とは生き方です。
生かされていることに気がつくこと、多くのいのちに支えられていることに気がつくことが大切です。
そのことに気がつくことができるのは、「任せきる」のです。
自分の主張を押し通すのではなく、「自分を無にする」のです。
誰かを傷つけるのではなく「他のために己の力を傾ける」のです。
「吾が道、一以て之れを貫く」は自己中心的な言葉ではありません。
一本の強い芯を持ちながら、他に対して深い思いやりの気持ちを持つこと。柔軟に対応することが大切であると教えてくれる言葉です。