オンライン坐禅会法話原稿 令和3年10月28日 仏教聖典 誰もできない五つのこと

許すための第1歩を考える。
私には許せない人がいます。
その人には理不尽なことをされ、本当に嫌な気持ちになりました。
ですから時間が経過しても、どうしても許すことができないのです。
しかし、その結果・・・
許せないでいる自分に違和感や嫌悪感を覚えてしまうことがあります。
仏教聖典に
誰もできない五つのこと
という見出しがあり、そこには
一つには、老いゆく身でありながら、老いないということ。
二つには、病む身でありながら、病まないということ。
三つには、死すべき身でありながら、死なないということ。
四つには、滅ぶべきものでありながら、滅びないということ。
五つには、尽きるべきものでありながら、尽きないということである。
とあります。そして、その続きには
人々は、この避け難いことにつき当たり、いたずらに苦しみ悩むのであるが、
仏の教えを受けた人は、避け難いことを避け難いと知るから、このような愚かな悩みをいだくことはない。
と、あるのです。
私達は、老いる、病む、死す、滅びる、尽きるのだと説くのです。
このことを知ることで、愚かな悩みから解放される。
と説くのです。
では、このことを「知る」とはどういうことでしょうか。
つい、
「起きてしまったことは、仕方がないから諦めよう」
と考えてしまいそうですが、そうではありません。
老いることをあきらめれば、悩みから解放さえるわけではありません。
仏教では「仕方がないから諦めよう」ではなく
許し、認め、受け入れることを大切にしています。
人は、許し、認め、受け入れたとき「生かされている」ことを実感します。
逆に言えば、生かされていることを実感することができたとき、許し、認め、受け入れたと言えるのです。
臨済宗妙心寺派の生活信条に
・一日一度は静かに坐って、身と呼吸と心を調えましょう
・人間の尊さにめざめ、自分の生活も 他人の生活も大切にしましょう
・生かされている自分を感謝し、報恩の行を積みましょう
とあります。これはそれぞれが独立した教えではありません。
1.心を調えることで、人間の尊さに気がつくことができる。
2.尊さに気がつくからこそ、みんなの生活を大切にできる。
3.みんなの生活を大切にできる人は、自分が生かされていることに感謝できる人であり、恩に報いる生き方ができるのです。
と、1~3はつながっています。
ですから「自分が生かされていることに感謝できる人」への第1歩は
1.一日一度は静かに坐って、身と呼吸と心を調える
とも言えるのです。
さらに、人は、「許し、認め、受け入れたとき」、「生かされている」ことを実感するのならば、
身と呼吸と心を調えることが、許し、認め、受け入れたことへの第1歩となると言えます。