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自己紹介

このブログを書いているのは どのような人間なのか自己紹介をさせていただきます。



5002自己紹介友宏



【氏名】 
 横山友宏 
 よこやま ともひろ(ゆうこう)

【Author】
 新米和尚




【現在】
 東光寺 副住職 (静岡市清水区横砂)


【インターネット上での情報発信】
 ・東光寺ホームページ
 ・ブログ 【新米和尚の仏教とお寺紹介】 このブログです。 
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 ・Facebook(フェイスブック)個人ページ 【横山友宏】
 ・Twitter(ツイッター)【新米和尚】
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【これまでの歩み】


 昭和54年(西暦1979年)誕生
 小学生時代お寺で生活をしているものの、お寺から離れたいと願いながら成長する。
 その間にも様々な仏縁をいただいていることに気がついていなかった・・・

 ※仏縁1:差別のない笑顔に迎えられる
 ※仏縁2:暖かい笑顔に後押しされる
 ※仏縁3:子供なのに葬儀を頼まれる




 高校まで静岡で過ごし
 北里大学 理学部 物理学科入学
 同大学卒業(教員免許所得)、
 北里大学大学院 基礎生命科学研究科 光分子動力学研究室 入学
 同大学院卒業

 名古屋市内公立中学校勤務(理科担当 時々技術 部活は卓球部顧問)
 
学生時代・教員時代にも様々な仏縁をいただく

 ※仏縁4:自分を律する僧侶との出会い
 ※仏縁5:火葬場で叱られる
 ※仏縁6:お寺の復興に私財を投げ出す僧侶との出会い
 ※仏縁7:人に厳しく、自分にもっと厳しく



様々な御縁をいただき、
現在は東光寺(静岡市清水区横砂)副住職



【現在の取り組み】
 子供坐禅会
 寺子屋体験(1日お寺体験)
 写経会
 イス坐禅と写経(朝日カルチャー) 
 お寺で婚活 いちえの会

お坊さんになる“きっかけ” 【笑顔に導かれて編 その2】

500読経こまめ正方形





ふとした瞬間に思い出す笑顔があります。

そして、その笑顔を思い出したとき

あのときの、あの笑顔があったから、今の私はここにある

と、感じます。






小学校に入学した頃から夏のお盆の時期には僧侶である父の後ろについて御檀家様の家に棚経に行かせていただいていました。

今となっては良い思い出かもしれませんが、当時は苦痛でした。

夏休みを謳歌している同級生を見るのも嫌でしたし、見られるのはもっと嫌でした。

好奇の目にさらされ、後ろ指をさされ笑われる。

隠れようにも隠れる場所もなく、ただ後ろを歩くことしか選択肢がない夏のお盆は私にとって苦痛でしかありませんでした。






嫌だなぁ、嫌だなぁという気持ちは、体の内外にも影響を及ぼすようで、私はあるお宅で盛大にお経を間違えてしまいました。

大きな声でお経は読むように言われていましたので、大きな声を出していました。

当然、間違えれば誰でも気がつきます。

「やってしまった、父に叱られる、御檀家様に笑われる・・・」

そんなことが頭の中をグルグルと駆け巡り、最後までお経を読めたか記憶にありません。





しかし、お経が終わり「怒っているかな?あきれているかな?あわれんでいるかな?」グチャグチャと考えながら振り返ると


後ろでお参りをしてくれていた女性はにっこりと微笑んでいたのです。そして、「がんばってお経を読んでくれてありがとね。」


と声をかけてくれたのです。





バカにしたような笑いでもなく、あきれているのでもない、不機嫌でもない、もちろん怒ってもいない。

ビクビクしていた私はあの時の笑顔に本当に救われたような気持になりました。

例え失敗したとしても、振り返えったときににっこりと微笑んでくれる人がいるという事実はその後の私の人生の支えになりました。




そして、進路について悩んだとき この笑顔という御恩になんとか報いていきたいと感じたことも、今の私を作り上げているように思います。




そう考えると、あのときの、あの笑顔があったから、今の私はここにあるのだと感じます。

お坊さんになる“きっかけ” 【尊敬する僧侶との出会い編 その4】

500ハンコ 坐禅こまめ 白黒 ハンコ依頼用




幼い頃から言っていることとやっていることが違う大人が大嫌いでした。





タバコを吸いながらタバコを吸っちゃいけないと言う。

酒を飲んで酔っ払いながら、飲酒をした中学生に空き缶を投げつけて指導する。

自分の悪事を正当化することが得意な人が、悪いことをしちゃだめだと叱る。

目上の人には文句を言わないのに、同じことをした子供には異様に強くあたる。

不倫をしながら道徳を説く。








そんな大人達の姿を見ていると、大人になることは汚いものになることだと感じ「大人になりたくない」と強く願って大きくなったように感じます。




そして、そんな大人になりたくないと抵抗しながらも“大人”になっていく自分に戸惑っていた時期もありました。






ちょうど同じ頃、ある和尚様と話をする機会がありました。

1.5m程離れて対面上に座っているのに、押しつぶされるのではないかと感じるほどの圧力を出す方でした。

短い時間でしたが、「しっかりと修行をしなさい、お寺のことを勉強しなさい。」など いくつか将来のことについてアドバイスをいただきました。

正直な話をしますと その時には「まぁそうだよね、それが理想だよね。・・・きれいごとだね。そう言っているあなたも陰ではそんな理想的な行動はしていないでしょ。」と心の中で考えてしまっていました。

本当に腐った考えです。・・・恥ずかしい限りです。





しかし、そんな考えが間違っていたことがすぐに分かりました。


その和尚様とはその後何度も長時間御一緒することがありましたが、常に理想的な行動をされようとする方でした。


そして、その上で相手が間違ったことをすれば、相手が上司であっても知り合いでも、誰に対しても臆することなく意見を出していくのです。


もちろん、その和尚様が間違っていることもあります。しかし、そんなときも言い訳をすることなく誠心誠意謝罪をされていました。



どんなときでも筋が通った生き方をされていたのです。




まずは自分を律し、そして周囲の人まで律しようとする姿を見たときに、


「こういう大人がいたんだ!」


という驚きと感動を覚えました。






仏教では、私達は生まれながらに仏様のような尊い心をいただいていること。


そして、この尊い心を大切にしながら生きていくことを説いています

しかし、普段の生活を律することができなければ せっかくいただいた尊い心をどんどん汚していってしまうことになります。





当時の私も漠然とそのように感じていました。




しかし、何をどうしたら良いのか分からずにいたのです。


そんなとき、この和尚様との出会いがあったのです。


この和尚様はどのような世界を見ているのか、自分も見てみたい。


そんな思いが今の私の一部になっているのかもしれません。


500こまめ よく見る 虫眼鏡 カラー

お坊さんになる“きっかけ” 【尊敬する僧侶との出会い編 その2】

500仏教聖典 金貨と蛇 金貨カラー




お釈迦様が説法をしたと言われる祇園精舎は、お釈迦様の教えを大切にする長者(お金持ち)が、ある王子様の土地を買い取り、寄進したものと言われています。


お釈迦様が説法などをするのに適した場所を探していた長者がこの土地をゆずって欲しいと王子様に頼むと、王子様は「金貨を敷き詰めた場所を与える」と言いました。


しかし、長者が家財を投げ出してまで金貨を敷き始めた姿を見て、王子様は心をうたれ、自ら土地を寄進したという話があるのです。







私は尊敬できる方との出会いが多いため、人との御縁に恵まれているように感じます。





お坊さん・和尚さん・僧侶・宗教家


このような肩書を持つ方にどのような印象を受けるでしょうか?


私が中学生や高校生といった多感な時期を過ごしたとき、世間では“新興宗教”と言われる集団が様々な問題を起こし連日メディアを賑わせていました。そんな、影響も受けたせいかその頃の私は宗教家と言われる(僧侶も含め)方に


怖い・偉そうにしている・うさんくさい・怪しい・人の話しを聞かない


など、あまり良いイメージを持っていませんでした。






しかし、実際に自分自身が僧侶となる前後で出会った、多くの宗教家や僧侶全員が“怖い・偉そうにしている・うさんくさい・・・・”といった方々ではないと感じることができました。




その中には祇園精舎の土地を買い取ろうとした長者(お金持ち)のような和尚様もいました。



あるとき、水害にあわれた知人の和尚様と話をしているときに、



「こないだの大雨で本堂の裏山が崩れて本堂の中に土砂が入っちゃたんだよ。」



と言われました。さらに、その和尚様は



「だから、一生懸命貯めた貯金が無くなったよ・・・」



というのです。この言葉には驚きました。



なぜなら、この和尚様が言った「貯金」とは自分自身の貯金のことであり、お寺の貯金ではないのです。


和尚様が住職をされているお寺は決して大きなお寺ではありません。


お寺の収入は少なく、光熱費などの維持管理だけで精一杯で住職に対する給与なども もちろんありません。


そのため、企業で正社員として勤めながら、時間を割いてお寺の仕事や維持管理をしていたのです。


つまり、お寺とは別の場所で務めながら家族を養う中から作りだしていた貯金を使って本堂の工事を行ったのです。


その貯金を惜しげもなくお寺の為、仏法を広めるために差し出す姿は、お釈迦様が説法をするのに適した場所を探し、自分の財産をなげうって金貨を敷き詰めることで土地を手に入れた長者に似ているような気がます。





この方の姿を見たとき、自分の財産をつぎ込んでまで広げたいと思える仏様の教えとは何なのか、その教えに触れてみたいと感じたことを今でも覚えています。

お坊さんになる“きっかけ” 【尊敬する僧侶との出会い編 その1】

500こまめ パンチをする 殴る 叩く カラー


自分自身の生き方を決めるときに どんなことをきっかけにしたのか思い出してみると、私の場合には多くのきっかけがあったのだと感じます。


どれかひとつに絞ることなどできません。
しかし、どれもが大切な きっかけだったことは間違いありません。







お寺で生活をしている子供によくあることなのですが、漠然と


「お坊さんにはなりたくない、ここから出ていきたい!」


と願う時期があります。


もちろん、私もその1人です。






さらに、お寺で生活をしている子供あるあるに

僧侶によく会う

というものもあります。


親の職場で生活し、そこへ出入りする仕事関係者ですから当然と言えば当然かもしれません。






私の場合、そこで出会った僧侶を見ていたことが今の自分を作り上げているようにも感じます。

何人もの尊敬できる僧侶との出会いが日常の中にあったことは幸せだったように感じます。





その中でも印象に残っている僧侶は“人に厳しく、自分にはもっと厳しい”を実践され続けている方でした。






その僧侶は、僧侶が集まる大きな法要のときなど周囲の年配の僧侶に恐れられるような方でした。


間違っていることがあれば一般の人の前だろうが誰の前でも相手を叱る人でした。


「そこまで言わなくてもいいのに・・・」


と感じることもありましたが、誰も何も言い返せません。


なぜなら、言っていることは正しく、言っている本人がそのことをしっかりと行っていることを言われている人が一番よく分かっているからです。







その和尚様が亡くなった際に周囲の方々が


「人に厳しく、自分にはもっと厳しい人だった。もう叱ってもらえないと思うと悲しい」


と口々に言っていたことが幼かった私には驚きでした。






しかし、自分自身が僧侶になったとき“人に厳しく、自分にはもっと厳しい”がどれだけ大変なことであり大切なことなのか改めて感じます。

と、同時に見本となるような方と実際にお会いできていた御縁に感謝しています。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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