fc2ブログ

お盆の由来 訂正

以前、ブログでお盆の由来を紹介させていただきました。
※記事はこちらです。
東光寺(静岡市清水区横砂)で夏に行う施餓鬼とお盆の違いを紹介しました。





600お盆飾り202107


そこには、


お盆の由来

お盆とは盂蘭盆経【うらぼんきょう】というお経に由来する行事です。このお経によれば、

お釈迦様の御弟子様であった目連尊者は亡くなった母のことが気になり、神通力で母を観察・探したそうです。すると母が餓鬼の世界に堕ち苦しんでいるのを発見しました。

目連尊者はお釈迦様に母を救う方法を尋ねました。

そして、お釈迦様の教えに従って7月15日、僧侶達が総懺悔の行をするに当たり、食物などの布施をしたところ、その功徳で母親は救われたといいます。

 このようなお話が元になって、日本に昔からある習慣と仏教の教えが合わさり御先祖様をお迎えしお参りする現在のお盆になったそうです。




と書かせていただきましたが、盂蘭盆経【うらぼんきょう】というお経の内容を読み、お盆の由来として紹介していました。



・・・しかし、この説明では不十分だと感じました。



大切な部分の説明が抜けていることに気がつきました!!!




「僧侶達が総懺悔の行をするに当たり、食物などの布施をしたところ、その功徳で母親は救われたといいます。」では省略をしすぎていたのです。



「僧侶達の総懺悔」とは別の表現をすると「90日間の修業をおえて清浄になった僧達」と言えるのです。


つまり、修行をして心が調った状態にある僧侶に食べ物を供養することで、その功徳(善い行い)が餓鬼道で母親にと説くと言うのです。



つまり、お盆の由来を考えたとき、お参りをする場所に必要なのは



仏壇、お盆飾りだけでなくお供え物だけでなく僧侶が必要になるのです。

しかも、ただの僧侶ではありません。



「90日間の修業をおえて清浄になった僧」



が必要なのです。


つまり、私自身がお盆を迎える際には清浄な心の状態になっていることが重要になるのです。


この由来を忘れることなく、清浄な心でお盆を迎えられるようなにしっかりとやっていきたいと思います。

なんで、キュウリとナスなのか?

500お盆キュウリ 180813





お盆飾りに欠かせないのが“キュウリとナス”でした。


正確にはキュウリで作った馬とナスで作った牛です。


最近は野菜ではない、馬と牛を飾るお宅も増えてきました。






この習慣は御先祖様がこちらに戻ってくるときに、少しでも早く帰ってきて欲しいから馬を用意し、少しでもゆっくり帰るように牛を用意することが由来です。



500お盆ナス 180813




え???



初めてこの理由を聞いたときに私は意味が理解できませんでした。




お客様を招待するときに往復の交通機関のチケットを用意するときに、行きは新幹線、帰りは普通列車のチケットを用意する人はいるのでしょうか?まずいません。馬と牛の由来は本当??



と思ってしまいました。





しかし、この習慣は日本の文化・習慣をおさえて考えれば非常に大切な教えだったのです。





古くからの習慣で、客人を送り出す際に“相手が見えなくなるまで見守る”という習慣があります。


中年と言われる年代の方でも知らない方が増えてきている習慣ですが、お寺では今でもしっかりと残っている習慣です。


正直な話をしますと、歓迎できないような客人だった場合、この見送りの習慣は苦痛です。


「早く見えなくならないかな~ どっかその辺で曲がってくれないかな~」


などと考えてしまいます。


しかし、相手が大切な方だといつまでも見送りたいと感じます。







見えなくなるまで見送る


と言うことは


見えなくなるまで、目の前に客人がいるがごとく見送る


とも言うことができます。


つまり、牛に乗って少しでもゆっくり帰ってもらいたいという習慣は


御先祖という大切な方を少しでも、目の前にその人がいてくれると感じる時間を大切にしたい


という思いが作り出した習慣だったように感じます。





さらに、大切な人と過ごす時間が長くなるように願う気持ちは、




やがていつまでも大切なご先祖様にいて欲しい、見守っていただきたいという気持ちとなり

今を生きている私達は亡くなってしまった大切な方と一緒に生きていける

誰もが、誰とも一緒に生きていける





と実感し生きていけるようになるのだと思います。



お盆にナス・牛を見たときには“誰もが、誰とも一緒に生きていける”と感じてみるのも良いかもしれません。

お盆休みには 何を休むのでしょうか!?

500お盆 棚経


これまでの人生を振り返ってみると、世間が“お盆休み”と言っている時期に自由な時間を過ごした記憶がありません。




お寺で過ごしていた小学校~高校時代、お盆休みに友達が旅行などへ行っている間、私は衣【ころも】を着て御檀家様の家へ棚経に周らせていただきました。




お寺から脱出した大学時代もお盆は周囲の同級生と同じように帰省はするのですが、ゆっくり休むという選択肢はなく・・・棚経でした。




そして教員時代、

「生徒が夏休みだから先生も休めていいね!」

などと言われますが、教員が生徒と同じように休めるはずはありません。生徒の長期休暇中にも様々な仕事をしていました。そしてやってくる“お盆休み”・・・
私は有給をとって帰省し、棚経です。





今はもちろん・・・棚経です。






以前は、世間の方々“お盆休み”といって旅行に出かけたり、のんびりとしている所を見ると腹をたてたりしていました。





しかし、本来“お盆休み”とは 何を休めばいいのでしょうか?





お盆の由来は

お盆とは盂蘭盆経【うらぼんきょう】というお経に由来する行事です。このお経によれば、

お釈迦様の御弟子様であった目連尊者は亡くなった母のことが気になり、神通力で母を観察・探したそうです。すると母が餓鬼の世界に堕ち苦しんでいるのを発見しました。

目連尊者はお釈迦様に母を救う方法を尋ねました。

そして、お釈迦様の教えに従って7月15日、僧侶達が総懺悔の行をするに当たり、食物などの布施をしたところ、その功徳で母親は救われたといいます。

 このようなお話が元になって、日本に昔からある習慣と仏教の教えが合わさり御先祖様をお迎えしお参りする現在のお盆になったそうです。









・・・この由来では、何を休むのかが私には分かりませんでした。

しかし、ある和尚様がお盆の説明を次のようにされていました。




「昔からお盆の時は川や海には入らず、魚釣りもせず、殺生をしないように心がけていました。いつも命をいただき続けているので、命を殺さない期間も作ったのですね。そして親族も亡き方もここへ帰ってきて心一つにもどっていく。お盆はそういう時間です」




この言葉に触れたとき、

お盆休みには 殺生を休むのだ!! そして、自分自身の心を調えるからこそ亡くなった大切な方と心一つになることができる。

と、納得することができた気がします。






もちろん簡単なことではありません。やはりお盆は大切な修行です。しかし、日本には“お盆休み”という素晴らしい習慣があります。


”お盆休み”という日常を離れるきっかけがある方は、ぜひ殺生を休む・御先祖様をお参りするなど、自分自身の心を調える時間を作ってみてはいかがでしょうか。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる