御宸翰と報恩と怨念 その3 【報恩と怨念】

これまで、「御宸翰と報恩と怨念」について記事を書かせていただいています。
その1では「巡教・開教・御宸翰って何?」と題して御宸翰について紹介をしました。
記事はこちらです。
その2では「報恩と怨念」について、怨が恩に変わった瞬間を紹介しました。
記事はこちらです。
最後はその3として「報恩と恩返し」について紹介をさせていただきます。
その1で御宸翰(花園法皇が妙心寺を建立して欲しいと願った手紙)について、
禅の修行をされ、悟りを開かれた花園法皇様が願ったのは
「報恩謝徳」と仏教の教えを盛んにしたいという「仏法興隆」だったのです。
と紹介をしました。
「報恩謝徳」は「恩に報いて感謝をする」とも言い換えることができる言葉です。
では、恩に報いるとは何でしょうか。
私は前回の記事で紹介をさせていただいたように、看護師さんの暖かな手で怨みの心が「恩」の心に変わったことがあります。
「恩」をいただいたのです。
では、この「恩」に対して何をすればよいのでしょうか。
感謝をすれば良いのでしょうか。
もちろん感謝は必要です。
しかし、本当に必要なのは花園法皇様の御宸翰の中にもあった「報恩謝徳」です。
感謝して、恩に報いることが必要になってくるのです。
恩返しではありません。看護師さんに恩を返すのも大切なのですが、感謝をしても返しきれないこともあります。
それよりも、恩を返すだけでなく、「恩」を誰かのために使っていく・活かしていくことが報恩です。
私は看護師さんがそっと背中さすってくれた手で怨(おん)を恩に変えることができました。看護師さんの手という恩を受け取ったのですから、今度は自分の手を誰かのために使っていくことが報恩なのです。
困っている人がいれば、同じように手を添える。
それだけではありません。誰かのためにこの手を使い切っていく。
それが本当に大切なことだと、臨済宗妙心寺派の生活信条は3つの言葉で端的に表します。
生活信条 【臨済宗妙心寺派】
一日一度は静かに坐って、身体と呼吸と心を調えましょう。
人間の尊さにめざめ、自分の生活も他人の生活も大切にしましょう
生かされている自分を感謝し、報恩の行を積みましょう
最後に報恩の行を積みましょうとあります。
この3つの言葉を逆から読んでいくと、今何をしたら良いのかが分かります。
報恩の行を積むために、まず生かされている自分に感謝します。
自分の生活も他人の生活も大切することで、自然と自分が生かされていることを実感することができます。
人間(生きとし生きるもの)の尊さに気がつけば。自然と周囲の生活を大切にしていきます。
身体と呼吸を調える(整える)と自然と心が調います(整います)。
1日1度、静かに坐る習慣があれば身体と呼吸が調います。
1日1度、静かに坐る習慣はありますか。
多くの方がその習慣をすでに身につけています。
お仏壇の前に座って手を合わせる、食事の前に手を合わせる、そんなときに私達は自然と背中を伸ばしています。
背中が伸びれば自然とゆったりとした呼吸になる。
まさに、「一日一度は静かに坐って、身体と呼吸と心を調えましょう。」そのものです。
「いやいや、そんな習慣ないよ!」
という人もいることでしょう。実際に増えていると思います。
だったら習慣にしてみませんか。
この習慣を身につけて、後悔することはありません。
誰かを傷つけることもありません。
30秒でもいいんです。
まずは短い時間から、ゆったりと座ってみませんか。
それが、私達を生かしてくれている全ての生命に報いる第一歩です。