fc2ブログ

「今 生命あること ありがたし」 タクシーで出産 運転手の行動に学ぶ

先日、あるTwitterを読んで涙が出ました。

石川なつみさんという、カナダに住む女性のつぶやきです。



600タクシーで出産 運転手の行動




生まれました! 
まさかのUber車内で出産です🚗
病院に向かうためUberに乗った瞬間頭が出てきて、救急車呼ぶも間に合わず誕生。
陣痛は3回でした。
朦朧とする中「運転手さんに迷惑かけてしまった」と申し訳なく思ったのですが、
逆に奥さんに電話かける喜びっぷりで感謝😭✨
お陰様で母子共に健康です!





「Uber」は、アメリカで誕生した配車サービスです。タクシー会社に勤めていなくてもサービスに登録すれば、誰でも自分の車をタクシー代わりにしてドライバーとして働くことができるものです。


つまり、運転手さんは自分の車に妊婦さんを乗せて病院へ向かっていたら、お客さんが出産をしたことになるのです。


その運転手さんが


奥さんに電話かける喜びっぷり


なのです。




この部分を読んだときに、その状況を想像して涙が出ました。

「運転手さんに迷惑かけてしまった」という気持ちも分かります。朦朧とする意識の中でも私達は「迷惑をかけてしまう」と考えるものです。



しかし、この運転手さんは喜んだのです。

車のこと、仕事のこと、様々なことが頭に浮かんだかもしれません。

しかし、それよりも新しいいのちの誕生に立ち会えたことを喜んだのです。





お釈迦様の教えをまとめた法句経の中に


ひとの生を うくるはかたく やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし


という有名な言葉があります。



今、 ここに自分のいのちがあることが どれだけ素晴らしいことなのかを「いま 生命あるは ありがたし」と表現しています。



仏教の根幹ともいえる教えだと私は感じています。



先ほどの運転手さんは赤の他人と言ってもおかしくないお客さんの出産を心から喜ぶことができた。

これは運転手さん自身が様々な経験を通して「いま 生命あるは ありがたし」を体感しているからこそできた姿だと思います。



ただ喜ぶ


その姿が、周囲の人に安心を与え、「いま 生命あるは ありがたし」を教えてくれているように感じます。

観音様に出会う その2

先日の記事で「観音様に出会う その1」と題して記事を書きました。
※記事はこちらです。


今回も私自身が出会った観音様を御紹介させていただきます。




『観音様は何色ですか』


600観音様 白黒



ある日、東光寺に水子供養のお参りに来られた夫婦がいました。


この夫婦には小学校に入る前の子供がいました。


東光寺の水子供養では、まず観音様の功徳について説かれた短いお経(延命十句観音経)を写経していただきます。



写経が終わると、本堂内での読経・供養、そして境内の水子地蔵尊の前での読経・供養とお進みいただきます。


小学生以上になれば、文字も書くことができますので一緒に写経をしてもらうこともできるのですが、今回はそういうわけにはいきません。


そこで私は、ご夫婦が写経をする時間、子供が飽きないようにと、観音様が描かれた白い紙と色鉛筆がたくさん入った筆箱を渡しました。


夫婦の写経が終わるまで、色塗りをしてもらおうと考えたのです。


すると、それを見た女性が子供に好きな色を聞ききました。


子供は「赤」と答えました。


女性は赤の色鉛筆を子供に渡しました。


そして、


「お父さんは緑色、お母さんは青色が好き。だからこれからお別れをする○○ちゃんのために、みんなが大切に思っている赤色、緑色、青色を使って観音様を塗ってください。」


と言いました。


子供は元気よく返事をして、両親が写経を終えるまで一生懸命の観音様に渡された色鉛筆で色を塗りました。


完成した、仏師が描く色鮮やかな観音様ではありません。


しかし、大切な想いが込められた観音様を目にしたとき、この観音様が亡くなれたら幼い子をしっかりと導いてくれると私は感じました。




「みんなの優しい心を集めると 観音様になるんだよ」


という言葉があります。



今回、白い紙に黒く印刷された観音様に、色を塗っていくことで観音様が完成をしました。



まさに、「みんなの優しい心を集めると 観音様になるんだよ」です。



赤、緑、青という「みんなの優しい心」が黒い線に導かれて観音様になった瞬間だったように感じます。


こうして完成した観音様を目にしたとき、


「やっぱり観音様は、どこか遠くにいるのではなく、私達の心の中にいてくれる」


と感じました。


私達は観音様という存在を知識として知っています。


これは、黒い線で印刷された観音様。


印刷された線に心を込めていくことで印刷物の観音様が本物の観音になっていく。


私達の知識として知っている観音様も、私達自身が心を込めて、誰かのために何かをすることができたとき、本物の観音様になっていく。


そのように感じたできごとでした。

観音様に出会う その1

600手をつなぐ こまめと観音様



今でも忘れられない光景があります。


その光景を「3月」という言葉を聞くと思い出します。


それは、12年前の3月12日でした。


2011年3月11日 東日本大震災が発生しました。


私は、その翌日、12日の夕方に東名高速道路を走行しました。


静岡へ向かうため名古屋インターから高速道路に入ると、目の前に一台の消防車が走っていました。


なにげなくバックミラーを見ると後ろにも消防車。


「消防車に挟まれるなんて珍しいな」


そんなことを考えながらしばらく走っていました。


しばらくはそのまま走行していましたが、前方の景色が変わらないため少し眠くなってきました。




このままでは睡魔に襲われると思い、追い越し車線に出て消防車の前に出ようと考えました。


そして、追い越し車線に出てびっくりしました。


消防車は前後各1台ではなかったのです。


何十台という消防車が列をなして走行していたのです。


後ろを見てさらに驚きました。


後ろにも多くの消防車が。


追い越し車線に出てしまったので、消防車を追い越すしかありません。


追い越す際に、さらにさらに驚きました。



消防車に書かれた都市名がバラバラなのです。


愛知県、岐阜県、三重県など東海地方だけではありません。


関西や西日本の地名もありました。


私は偶然にも日本全国から被災地への向かう消防団の列に私は入り込んでいたのです。


はるか先まで続く赤い車列は被災地と日本各地を結ぶ糸のように感じたことを今でも覚えています。






今の私が、あの時の、あの赤い糸に名前をつけるとすると「観音様」です。


「観音様!?観音様って、あの美しい仏様?いくら消防車とはいえ、車は観音様とは違うでしょ。」


と思うかもしれません。


確かに、以前の私もそう感じたと思います。





では、観音様とは何でしょうか。


東光寺も「観音山」という観音様をお祀りしている山があり、様々な観音様をお参りすることができます。


皆さんも立像、座像、掛け軸、イラスト、様々な観音様をご覧になったり、お参りをしたことがあるのではないでしょうか。


では、観音様とはどのような人物なのでしょうか。


幼い頃に、祖父(僧侶)が、小学生に



「みんなの優しい心を集めると 観音様になるんだよ」



と話していたことを覚えています。



みんなの優しい心、尊い心、慈しみの心を形にしたのが観音様だと言いたかったのだと思います。


先ほどから、観音様と親しみを込めて言っておりますが、正式には



観世音(かんぜおん)

観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)




と言います。


そして、観音様について説かれたお経は多くあり、般若心経や延命十句観音経もその一つですが、今回は観音経(かんのうぎょう)というお経を紹介させていただきます。


正式には


妙法蓮華経 観世音菩薩普門品偈(みょうほうれんげきょう かんぜおんぼさつふもんぼんげ)


というお経です。


臨済宗では、非常に大切にされているお経ですので、普段のお参りだけでなく、葬儀や法事の際にもお唱えしていますので、聞いたことがある方や、お唱えしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。


私達、臨済宗の僧侶が日常的に唱えるのは


妙法蓮華経 観世音菩薩普門品偈の25番目の部分です。


このお経は、お釈迦様に弟子が質問する形で始まります。


かなりの私訳ですので、しっかりとした内容を知りたい方は、本やインターネットを使って調べてください。




お経の冒頭部分は弟子がお釈迦様に質問をする場面が描かれています。



「お釈迦様、あの方はなぜ観世音とよばれるのですか?」

それに対してお釈迦様は答えます。

「助けを求めるどんな人の声でも観じて、救うからである。」

「どんな人」と書きましたが、お経の中には

・大火(だいか)に入っている人

・大水(だいすい)に漂わされている人

と書いてあります。煩悩と言う炎に焼き尽くされそうな人や深い悩み苦しみにもがいている人とも受け取れます。

こういった人が、助けを求めれば観音様は必ず救ってくれると説いているのです。

さらに、驚くことに観音様は、もっと欲深い人も救います。

金銀財宝を手に入れようと船で海に出たはいいが、防風に巻き込まれて羅刹鬼(らせつき)に漂流してしまった人も救うと書いてあるのです。

これは、自分の私利私欲のために周囲のことなど考えず傍若無人のふるまいをしてきた結果、地獄のような苦しみを味わっている人とも受け取れます。そんな人も救ってくれるのが観音様なのです。


しかも、こんな人がたくさんいても、その中の1人が「助けて」と心から願えば、全ての人を観音様は救うと説いているのです。


どんな世界にいる人の声でもしっかりと聞き取って救ってくれるのが観音様なのです。


観音様の「観」はありのままにみる  心中で深くみきわめて、本質を悟ること


という意味があります。




助けを求める人に、これまでにどんな功徳があったかを見るのではありません。


どんな世界にいる人の声(声なき音)でも、ありのままに感じて、救っていくから観世音なのだとお釈迦様は弟子に説いているのです。


冒頭に

みんなの優しい心を集めると 観音様になるんだよ

という言葉を紹介しました。

この言葉も嘘ではありません。お経の言葉も嘘ではありません。

つまり、声なき声をしっかりと観じて誰かを救う心を私達は持っているのです。

その心に名前をつけるとしたら「観世音・観音様」なのです。

心に形はありません。

しかし、心に名前をつけることができます。

同様に、心の表れにも名前をつけることができます。


東北で大きな地震があったということを知ったとき、多くの人が被災地の方の無事を祈りました。


多くの方が、今自分にできることをしました。


それらの心や行動には様々な名前をつけることができます。


だからこそ、私はあのときの一本の赤い糸を観音様と呼んでいます。

ラジオ マリンパル 禅なはなし 【令和5年2月の原稿】

毎月1回ラジオに出演させていただいています。




600マリンパル


マリンパル

エフエムしみず・マリンパルで放送されている「マリンパルほっとライン」というお昼の番組です。
※マリンパルのホームページはこちらです。
※マリンパルほっとラインの紹介はこちらです。


ここでは毎週月曜日に「禅なはなし」と題して”禅”にまつわる放送があります。私も1ヶ月に1回登場をさせていただいています。


私は日常の中で使われている仏教の言葉をテーマに話をさせていただいています。

原稿もなしにしゃべることができる能力がないので、毎回原稿を作成し放送に臨んでいます。

・・・でも、原稿より放送の方が間違いなく面白くなります。

それは、パーソナリティの山下ともちさんが見事にいろいろなことを引き出してくれるからです!!


以下の文章は、パーソナリティの方との掛け合いがない原稿です・・・


ラジオを聞いてくださった方は、違いを楽しんでみてください!


ラジオを聞いていない方は、インターネットでも聞くことができますので、次回以降はラジオでお楽しみください。


※4,000字ほどありますので、時間と心にゆとりのある方だけがご覧ください





マリンパル禅なはなし2023年2月「涅槃」

~微笑みを感じ取る心~





早いもので驚くことにすでに2月に入っています。つい先日、新年を迎えたと思ったら、すでに1ヶ月以上がたってしまっていて、ただただ過ぎ去る時間の早さに驚いています。


お寺では新年を迎える際に様々な行事があります。それらの行事が一段落して2月を迎えます。そして、2月になると涅槃【ねはん】という言葉をいつも以上に使うようになります。


涅槃というと一般的には誰かが亡くなることを涅槃と言ったりします。


御存じの方が多いかもしれませんが仏教ではお釈迦様が亡くなったことを涅槃と言っています。


そして、お釈迦様が亡くなったのが2月15日と言われていますので、2月15日には多くのお寺で涅槃会【ねはんえ】というお釈迦様の徳に感謝し冥福を祈る法要が行われているのです。


と、言うわけで今月は知っているようで意味を聞かれると困る「涅槃」という言葉を紹介させていただきます。




涅槃会という行事に欠かせないのが涅槃図です。涅槃図とはお釈迦様が亡くなられた際の様子を描いた掛け軸です。

中央に横たわるお釈迦様、その周囲には嘆き悲しむ多くのお弟子様や仏教の教えを守護する者が描かれています。

涅槃図にはこれらの「人々」だけではなく、月・河・樹木、そして多くの種類の動物たちも描かれています。

ここまで多くのものが描かれている掛け軸は他に類を見ません。もちろん、なんとなく描かれているわけではなく、その一つ一つに大切な教えが込められています。

この涅槃図は2月(地方によっては3月)になると多くのお寺で飾られるのでお参りをしたことがある方や見たことがある方も多くいらっしゃるかもしれません。

もし、まだ見たことがない、お参りをしたことがない方がいらっしゃいましたら、ぜひゆっくりと時間をかけてお参りをしながら、涅槃図に込められた教えに触れていただきたいと思っています。




ところで、先ほどから「涅槃」という言葉を「亡くなる」という言葉としてだけ使っていますが、もともとの意味は「お釈迦様が亡くなる」や「亡くなる」という意味ではありません。


実は、お釈迦様がまだ生きていらっしゃるときに、お釈迦様自身が「涅槃」という言葉を使われています。


お釈迦様は自分の跡継ぎを発表した場面で涅槃と言う言葉を使われました。



ある日、お釈迦様が多くの弟子たちの前で説法をしていたときのことです。

お釈迦様は一本の花を手に持って弟子たちに何も言わずに見せたのです。いつもなら、何か大切な教えを話して下さるお釈迦様が何も言わずに、ただ花を見せているのです。弟子たちはそれが何を意味するのか、さっぱりわかりません。

私達で言うならば、学校で威厳のある先生の授業が始まったときに、先生が何もいわずにチョークを一本持ち上げてこっちを見ているようなものです。

こんな状況に置かれたらどうしますか。

私は何もできないと思います。それよりも、「あれ、先生どうかしちゃったのかな!?」などと失礼なことを考えてしまうかもしれません。弟子たちも同じでした。

誰もが無言のままです。ただこのとき、ただ一人だけみんなと違う行動をした人がいたのです。



それが摩訶迦葉【まかかしょう】というお弟子様です。彼だけはニッコリと微笑みました。



その瞬間、お釈迦様はこの摩訶迦葉を後継者にすることを決めたのです。


この際の言葉は長いので少し省略をしますが、お釈迦様は


「私には、涅槃妙心【ねはんみょうしん】という心がある、これを摩訶迦葉に託そう」


とおっしゃったのです。


お釈迦様は、摩訶迦葉が微笑んだ瞬間、言葉を交わすこともなく心が通じ合ったのです。


そして、伝わった心を「涅槃妙心」と表現され、多くの弟子たちの前に後継者を発表したのです。



この逸話から「以心伝心」という言葉が生まれました。そして、大切な教えは文字では伝えきれるものではないという褝の教えを象徴する重要な逸話として今でも大切にされています。




少し、説明が長くなってしまっていますが、お釈迦様から摩訶迦葉に伝わった涅槃妙心【ねはんみょうしん】も説明させてください。


涅槃という言葉はもともと「煩悩の火が吹き消された静かな心」を意味する言葉です。妙心とは妙(たえ)なる心です。

言葉では表現しきれない美しさを「妙なる」と言いますので、涅槃妙心は


「言葉では表現しきれない、煩悩が吹き消された美しい心」となります。


このような素晴らしい心を誰もが持っているとお釈迦様は伝えたかったのです。

そして、そのことに気がついた摩訶迦葉がニッコリと微笑んだのでお釈迦様は彼を後継者に指名したのです。




なぜ、今日「涅槃」という言葉を紹介させていただいているのかと言えば、当然2月の涅槃会があるからです。しかし、それだけではありません。私自身が経験した、「あ、心が伝わるというのはこういうことだったのか」と感じたことがあったからです。


それは、ある女性のお葬式の準備に立ち会ったときのことです。

女性は60代。

生まれたばかりのお孫さんの成長や、間もなく生まれるお孫さんを楽しみにしておられました。

しかし、病魔に侵され亡くなれてしまいました。


ご家族にとって、とても悲しいことですが、同時にお葬式も執り行わなければなりません。

相談の結果、亡くなった翌日に通夜、その次の日に葬儀が行われることになりました。

通夜の前に納棺などがあるために午前中から様々な準備をしているときに葬儀社の方が遺影の写真が完成したと持ってきてくれたのです。

そして、親族が見守る中、葬儀社の方が、女性が生前に長男一家と撮影した家族写真から作った遺影写真を見せてくれました。



そこには、大切な家族に囲まれてにっこりと微笑む女性が映っていました。



その写真を目にしたとき、そこにいる全員が涙を流しました。


全員が、これまでに女性から受け取ったものを瞬間的に思い出し自然と涙を流したのです。


このときの感情を後から言葉で説明しようとすれば、様々な言葉である程度は説明ができるかもしれません。


しかし、あまりにも多くのものを受け取っているからこそ、言葉では説明しきるものではありません。



お釈迦様から多くの教えを受け取り、そして同じ心境に達した摩訶迦葉は、お釈迦様の花を持ち上げるというメッセージに言葉で返すことはしませんでした。

どんな言葉でも説明しきれないからこそ、あえて言葉ではなく、にっこりと微笑むことで自分の心を表現されました。

その心境こそが「煩悩の火が消された心静かな“涅槃”」だったのです。



そして、大切な女性を失った家族にとって、女性が微笑んだ写真は、家族の心にあった「悲しみや苦しみ」と言った様々な感情をその瞬間にスーッと、調える力がありました。

そして、言葉では表現しきれないほどの素晴らしい心をすでにお母さんから受け取っていたことに気がついたからこそ自然と涙がこぼれたのだと私は思っています。




「涅槃」という言葉は誰かが亡くなったことだけを示す言葉ではありません。


悩みや苦しみの原因となる煩悩が吹き消された心の状態を示す言葉です。


その心境は言葉で表現しきることはできません。


しかし、言葉で表現できないと聞くと、私のような未熟者は


「だったら言葉なんていらないじゃん」


と考えてしまいます。しかし、そうではありません、言葉で表現しきれないからと言って、言葉をおろそかにしてはいけません。


伝えきれないけれど、なんとか伝えたい。昔から多くの僧侶がお釈迦様の教え、お釈迦様の心、仏教の教えを言葉で伝えようとしてくれています。

それが禅語です。

その中の1つが「涅槃妙心」なのです。


言葉では表現しきれないことを言葉で表現する。

なんだか矛盾を感じるかもしれませんが、その伝えようとする心を、必死に受け取ろうとする心が以心伝心・涅槃妙心なのです。




先ほど紹介した女性の微笑んだ遺影は、女性が歩んでこられた人生そのものを映していた写真でした。


だからこそ、その遺影を見た人の心がスーッと調い、しっかりと女性が残してくれた大切な心を受け取ることができたのです。


これからの時期に多くのお寺で飾られる涅槃図も同じです。


お釈迦様が伝えようとしてくれた大切な教え、大切な心が表現されています。


ぜひ、お参りする機会がある方はお参りしていただき涅槃の心を実感していただければ嬉しいです。

今度は路上で坐禅をします!! 【すこやかなくらし展】

600すこやかなくらし展イラスト2022秋2



令和4年4月、清水駅前銀座で開催された「すこやかなくらし展」において法話をさせていただきました。

ざっくりと言いますと、商店街のイベントに自作の絵葉書を持って「お店」を出しました。

「お店」と言っても、仏教の言葉や禅の言葉を少しでも多くの方に紹介をしたいと思って参加をさせていただきます。

東光寺の写経会の際に作成した絵葉書を持参し、法話をさせていただきました。

これまでに経験したことがない刺激的な体験でした。


※前回の様子を紹介した記事はこちらです。


そしてこの度、ありがたい御縁をいただき、再び「すこやかなくらし展」に出店させていただけることになりました。



今回は


令和4年11月27日(日)の開催です。

※すこやかなくらし展についてはホームページ等をご覧ください。



そこで、せっかく出店をさせてもらうならば、今回はもっと仏教・禅を体験してもらいたいと考えて


「路上坐禅会」


のような形で出店をさせていただくことにしました。


皆さんが行き交う清水駅前商店街にイスを並べて”イス坐禅”を体験していただけるように準備を進めています。



時間は

10時30分 11時30分 13時 14時 の4回開催をします。




毎時間


10分 坐禅についての説明

10分 坐禅

5分〜7分 法話


その後 質疑応答

という流れで行っていきます。

人数は5人〜10人程度(申し込み順)で行います

参加費 500円 絵葉書のお土産付きです。


人数を把握したいので、参加してくださる方はこちらからお申し込みをお願いします。




とにかく楽しそうな企画・お店が出店しますので、お時間のある方は商店街へ出かけてみてはいかがでしょうか?

人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる