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昔話 「姥捨て山」に学ぶ その5

600仏教豆知識シール 408-414 昔話シリーズ 姥捨て山5



昔話「姥捨て山(うばすてやま)」は


老人を捨てなくてはいけない国で、母を捨てることができなかった息子が、母に助けられながら国を救い、その働きによって「老人を捨てる国」から「老人を大切にする国」に変わっていくお話です。



実はこの昔話、お釈迦様の説かれた話がモデルになっているようです。ですから、姥捨て山の話は「老人を大切にすることの大切さを説く」だけでなく、非常に多くのことを教えてくれています。







姥捨て山【その5】



昔話「姥捨て山」では、お婆さんの教えで無理難題を解決することで、老人を捨てるという決まりが無くなります。


もちろん、この「無理難題」にも教えが入っています。


その無理難題の1つが


灰の縄を作れ




と言うものです。



昔話ができた時代の”縄”は藁(わら)を使って作ります。

藁を叩いてやわらかくして、それを編んで縄を作ります。

この縄を”灰”で作れと言うのです。



しかし、御存じの通り灰はポロポロしているので、縄などになるはずがありません。


しかし、お婆さんはこの問題を聞いて、


「縄を作って、それを燃やしなさい。残るのが灰でできた縄だ」


と言ったのです。




もちろん、この方法なら灰でできた縄が完成します。


しかしこれは単なるクイズではありません。


縄、灰、灰でできた縄にはそれぞれ意味があると私は感じています。




縄は人間を、

灰は慈悲を、

灰でできた縄は仏



を表します。



そのように考えるとこの昔話姥捨て山は少し違った風にとらえることができるものです


藁でできた縄は火をつければ簡単に燃え上がります。


これは人間が簡単に怒りの炎に包まれることに似ています。


そして、怒りの感情などが燃え尽きた状態を仏教では「仏」と表現します。


そう考えると、燃え尽きた縄は仏を表しているように感じることができます。



では、灰を集めて縄ができるのか!?


残念ながらできません。


問題集をいくら本棚に並べても、勉強はできるようになりません。


問題集を繰り返し使うから、勉強ができるようになります。



同じように多くの慈悲の心を集めてきても仏にはならないのです。


慈悲の心を自分の中に持つから、私達は仏となることができるのです。





白隠禅師坐禅和讃というお経の中に


衆生の他に仏なし
衆生近きを知らずして
遠く求むるはかなさよ


という言葉があります。


衆生とは全ての人々という意味もありますので、



私達以外に仏はありません
私達自身が仏なのに
遠くに仏を探すのはもったいないことです




と言っているのです。



人がいる、私がいる、あなたがいる、だから仏はそこにいるのです。


このことを、「灰の縄を作れ」という問題は教えてくれているように私は感じています。




※姥捨て山の記事の一覧やお話しの概要はこちらの記事をご覧ください。

昔話 「姥捨て山」に学ぶ その4

600仏教豆知識シール 408-414 昔話シリーズ 姥捨て山4



昔話「姥捨て山(うばすてやま)」は


老人を捨てなくてはいけない国で、母を捨てることができなかった息子が、母に助けられながら国を救い、その働きによって「老人を捨てる国」から「老人を大切にする国」に変わっていくお話です。



実はこの昔話、お釈迦様の説かれた話がモデルになっているようです。ですから、姥捨て山の話は「老人を大切にすることの大切さを説く」だけでなく、非常に多くのことを教えてくれています。







姥捨て山【その4】



先日、


「人間と機械の違いは何ですか」


という問題を出されて、答えが見つからずに困ってしまいました。


この問題は


「人間にしかできないこと」


を聞いているように感じますが、AI(人工知能)の登場で、人間にしかできないことが少なくなったように感じている人も多いのではないでしょうか。


そこで、AIについて調べてみると、AIを説明する言葉の中に興味深い言葉がありました。



それが、

「機械であるコンピューターが「学ぶ」ことができるようになった。」

というものです。


つまりAIの登場まで、人間と機械の違いは「学ぶ」ことだったのです。


ということは、人間とは何かと聞かれたときには


「学ぶことができる」


と答えることができるようです。




では、学ぶとは何でしょうか。


学ぶことは変化することです。


そう考えると、


人間 = 変化すること


と言えるのではないでしょうか。




昔話「姥捨て山」で、お母さんを山に置いてきた息子でしたが、お母さんの慈悲の心に触れて、改心をします。


息子が自分を捨てた後に、迷うことなく家に帰れるようにと、お母さんが折った枝を見て息子は


「おかあさんを捨てたのはやはりわたくしが悪うございました。こんどはどんなにしてもおそばについてお世話をいたしますから。」


と言って、心を入れ替えます。


この場面は、「人は変わることができる」ということを表現しています。


お婆さんの慈悲の心に触れた息子が、お婆さんを助けることを決意する場面は、どんなに“苦しい”ことも”楽”に変換させていくことができることを示しています。



現代はAIの登場で 人間 = 変化 と考えるようになったと私は考えていますが、姥捨て山は最新の技術ではなく、昔からの方法で人とは何かを示してくれています。


※姥捨て山の記事の一覧やお話しの概要はこちらの記事をご覧ください。

昔話 「姥捨て山」に学ぶ その3

600仏教豆知識シール 408-414 昔話シリーズ 姥捨て山3



昔話「姥捨て山(うばすてやま)」は


老人を捨てなくてはいけない国で、母を捨てることができなかった息子が、母に助けられながら国を救い、その働きによって「老人を捨てる国」から「老人を大切にする国」に変わっていくお話です。



実はこの昔話、お釈迦様の説かれた話がモデルになっているようです。ですから、姥捨て山の話は「老人を大切にすることの大切さを説く」だけでなく、非常に多くのことを教えてくれています。







姥捨て山【その3】



皆さんは、困っている人が目の前にいたら助けることができますか?


多くの人が助けようとするのではないでしょうか。


では、自分の身に危険が迫っているときに、困っている人がいたら助けることができます?


私は自信をもって「できる」と答えることができません。





昔話「姥捨て山」の、


息子がお母さんを山まで運び、捨てることを伝える場面は次のように書かれています。



お母さんは驚いた様子もなく、

「いいえ、わたしには何もかも分かっていました。わたしはあきらめていますから、お前は早くうちへ帰って、体を大事にして働いて下さい。さあ、道に迷わないようにして早くお帰り。」





この場面は、姥捨て山が物語を通して伝えたい「慈悲の心」を示しているように感じます。


慈悲の心とは相手のために楽しみを与え、苦しみを抜き去ることです。



これは簡単なことではありません。


ましてや自分自身のいのちが危ないときに、誰かのことを助けることなど、なかなかできません。



お婆さんは山の奥に置いて行かれるわけですから、このままでは死んでしまいます。


しかし、目の前で苦しむ息子を助けるために、苦しみを抜き取るために、優しい言葉をかけるのです。


「姥捨て山」の話は、”老人を大切にしましょう!”だけの話ではありません。


お婆さんの姿から私達は、自分のことを考えず、誰かのために何かをすること、慈悲の心の尊さを学ばなくてはいけないのです。


そして、大切なことは学ぶだけでなく実践することです。


いきなり”自分のことを考えない”は難しいかもしれません。


少しずつ、やれることから始めていくことが大切です。


”今、できること”を見つけて、姥捨て山に登場するお婆さんのように見返りを求めずに行動することから始めてみませんか。


※姥捨て山の記事の一覧やお話しの概要はこちらの記事をご覧ください。

昔話 「姥捨て山」に学ぶ その2

姥捨て山【その2】

 600仏教豆知識シール 408-414 昔話シリーズ 姥捨て山2



昔話「姥捨て山(うばすてやま)」は


老人を捨てなくてはいけない国で、母を捨てることができなかった息子が、母に助けられながら国を救い、その働きによって「老人を捨てる国」から「老人を大切にする国」に変わっていくお話です。





実はこの昔話、お釈迦様の説かれた話がモデルになっているようです。

ですから、姥捨て山の話は

「老人を大切にすることの大切さを説く」だけでなく、非常に多くのことを教えてくれています。






姥捨て山の前半は、母親を山に捨てに行く場面が主に描かれています。


話しによって少し違いはありますが、老人を捨てに行く山は次のように表現されていることが多いようです。


奥の奥の山奥まで行きました。

山の上はしんとして、鳥のさわぐ音もしません。

月の光ばかりがこうこうと、昼間のように照り輝いていました。

お百姓は草の上におかあさんを下ろして、その顔をながめながら、ほろほろ涙をこぼしました。





この場面は、何を伝えてくれているのでしょうか。


私は、この美しい光景の中でお婆さんが生きていることが大切だと感じます。


この美しい光景は「天国・極楽・悟りの世界」を表現しているように感じるのです。


私達はよく、「天国と地獄」や「極楽」といった言葉を使います。


このとき、天国、極楽、地獄はどこにあると考えますか?


死後の世界と考えてしまいがちです。


しかし、仏教ではこれらの世界は死後に行く場所ではなく、生きている「今・ここ」にあると説くのです。




天国や極楽は決して、遠い世界ではありません。


同じように悟りの世界も死後にしか行くことができない場所ではありません。


様々な修行や経験によって悩みや苦しみから解放された心を「悟り」と表現します。


姥捨て山の話ではお婆さんが生きているうちに美しい光景の場所に運ばれることによって、天国や極楽、悟りの世界は決して死後の世界ではないことを教えてくれているのです。


約250年前に活躍をした白隠禅師という和尚様は、白隠禅師坐禅和讃というお経の中でこのことを




衆生の他に仏なし

衆生近きを知らずして

遠く求むるはかなさよ




私達以外に仏はありません

私達自身が仏なのに

遠くに仏を探すのはもったいないことです





と表現をしています。


姥捨て山の話を聞いたり思い出したときには、この言葉を思い出してくれたらうれしいです!!




※姥捨て山の記事の一覧やお話しの概要はこちらの記事をご覧ください。

昔話 「姥捨て山」に学ぶ その1

600仏教豆知識シール 408-414 昔話シリーズ 姥捨て山1




昔話 「姥捨て山」に学ぶ その1


昔話「姥捨て山(うばすてやま)」は


老人を捨てなくてはいけない国で、母を捨てることができなかった息子が、母に助けられながら国を救い、その働きによって「老人を捨てる国」から「老人を大切にする国」に変わっていくお話です。



実はこの昔話、お釈迦様の説かれた話がモデルになっているようです。


ですから、姥捨て山の話は


「老人を大切にすることの大切さを説く」だけでなく、非常に多くのことを教えてくれています。





今回は、物語の冒頭部分を紹介しながら、ここから何を学ぶことができるのかを紹介させていただきます。





皆さんは、自分を殺そうとしている人が困っていたら、その人を助けようとすることはできますか?


私には自信がありません。


自分が助かりたい一心で、相手を攻撃してしまうと思います。


しかし、姥捨て山に登場するお婆さんは自分を殺そうとする息子を助けるのです。


誰もが「誰かのために何かすること」は大切なことだと分かっています。


では、どういったときに誰かのために何かをしているのでしょうか。


それは「自分に余裕があるとき」ではないでしょうか。


しかし、本当に大切なことは


どんなときでも、誰かのために何かをする


ということです。


そして、このような心を仏教では「慈悲の心」と呼んでいます。



姥捨て山という昔話の冒頭部分の息子がお婆さんを捨てるために山に連れて行こうとする場面で、


おかあさんは、道ばたの木の枝をぽきんぽきん折っては、道に捨てました。お百姓はふしぎに思って、「おかあさん、なぜそんなことをするのです。」 とたずねましたが、おかあさんはだまって笑っていました。


という部分があります。


これはまさに、お婆さんの慈悲の心を示してくれています。


余裕があるときに誰かのために何かをすることは難しいことではないかもしれません。しかし本当に大切なことは、自分に余裕がないときにこそ、誰かのために何かをすることなのだと、お婆さんの行動は教えてくれています。


そんなこと、できるわけがない!


と思うかもしれません。


その通りです。私もできる自信がありません。


しかし、小さなことでも今できることはあるはずです。



まずはそのことを実践することが大切です。



小学校の時に、九九を覚えようとしたときに、いきなり全部を覚えることができる人はいません。

1の段から順番に少しずつ覚えていきました。



誰かにために何かをするときも同じです。


できることを確実に行っていく。このようなことを積み重ねることで次の段階へと進むことができます。





もも、昔話「姥捨て山」の冒頭部分に触れる機会がありましら、


「あ、この部分は自分が苦しいときこそ誰かの為に何かをすることはとても大切だということを示してくれている。」


と思い出してもらえればうれしいです。



※姥捨て山の記事の一覧やお話しの概要はこちらの記事をご覧ください。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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