fc2ブログ

子供坐禅会 般若心経シリーズ その17 是故空中無色

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。


600般若心経17 是故空中無色 1

子供坐禅会 般若心経シリーズ その17 是故空中無色






600般若心経17 是故空中無色 2
この写真は何の写真か分かりますか?

石がゴロゴロしています。

だた石が転がっている場所でしょうか。

よく見ると、石がない部分もあります。

少し、遠くからこの場所を見るとどうでしょうか。





600般若心経17 是故空中無色 3

なんだか道のようなものが見えますね。

もっと離れて見ましょう。







600般若心経17 是故空中無色 4
有名なナスカの地上絵です。


近くで見ると石だらけでつまずきそうな場所も、遠く離れてみると美しいものだと気づくことができるのです。


ナスカの地上絵だけでなく、近くで見ていると分からないけれども、遠くに離れたときに見えるものがあります。




近くで接していると、嫌なことばかりを言ってくる人だと思っていたけど、離れてみると誰よりも周囲のことを考えて行動する人だったことに気がつくこともあります。


「この人は嫌な人だ」


と思い込んで、その人を見ていれば、どんどんその人ことを嫌いになっていきます。


「この人は嫌な人」と思い込む心が、嫌な人を作り出してしまうこともあるのです。


そんなときはその人と離れてみてはいかがでしょうか。


そんなの無理だよ!!と言う人もいるでしょう。


もちろん、そのようなときもあります。


そういう場合はどうしたら良いのでしょうか。


そんなときは「この人は嫌な人」と思い込む心から離れて見ましょう。


ナスカの地上絵のように、何か違うものが見えてくるかもしれません。




600般若心経17 是故空中無色 5

般若心経の中で

無心になれば、すべて空である

と言うことを

是故空中無色【ぜこくうちゅうむしき】

と表現しています。


「無心」というのは心を無くすことではありません。一切の妄念を離れた心、つまり



無心とは「あれも欲しい、これも欲しい、自分だけがすごい、自分さえよければいい」と言ったわがままな心から離れた状態のことを言います。



「空【くう】」とは”こだわりがない”ことを意味しています。


ですから、是故空中無色【ぜこくうちゅうむしき】は


自己中心的なわがままな心から離れたとき、自分を苦しめていたものは自分が勝手に持っていた”こだわり”が作り出していたことに気がつける

ということを教えてくれています。




もちろん、自分の心だけで解決できない理不尽で辛い悩み苦しみもあります。


しかし、自分が作り出した悩みによって自分自身が苦しめられていることもあることを般若心経では


是故空中無色【ぜこくうちゅうむしき】


という短い言葉で教えてくれています。




お経をお唱えしているときに、この言葉に気がついたら「無心になれば、すべて空である」ということを思い出してください。


そして、悩みや苦しみに直面したときには、”離れてみる”という選択肢があることを思い出してください。



600般若心経17 是故空中無色 6




その実践が坐禅です。

身体を調え、呼吸を調え、心を調えるのが坐禅です。

このことを実践しているとき、すぐ近くにあると思い込んでいる悩みや苦しみの原因から自然と離れているものです。


さぁ、一緒に身体を調え、呼吸を調え、心を調えましょう。

子供坐禅会 般若心経シリーズ その16 不増不減

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。



600般若心経に学ぶ不増不減1


過冷却・過冷却水【かれいきゃくすい】という言葉を聞いたことがありますか。



数年前からはこの「過冷却水」という名前の付いた清涼飲料水もコンビニなどで販売されていますので、どこかで目にしたり、耳にしたり、または口にしたりしたことがある人もいるかもしれません。


水は本来0度になると氷になると言われています。小学校や中学校の理科の教科書にもそのように書いてあります。


水は0度になれば氷になる。100度になれば水蒸気になります。


しかし必ず0度になった瞬間に水が氷になるのかといえばそうではありません。


それが、過冷却という現象です。


なんと、0度になっても水の性質をとどめた水があるのです。

600般若心経に学ぶ不増不減2


不思議なことですが、液体に振動を与えずゆっくりと0度以下に温度を下げていくと、水は氷り始めるタイミングを見失います。そのまま温度だけがマイナス4度ぐらいまで下がっても凍らないということがあるのです。

この過冷却水という状態の水に、ちょっと振動を与えたりすると・・・


たちまちシャーベット状に凍っていきます。



そのような現象を見ることができるので、小学生や中学生の夏休みの理科の自由研究の題材としてよく使われます。


私はこの過冷却水という現象を見た時に白隠禅師坐禅和讃の中にある「水と氷のごとくにて」という言葉を思い出しました。そして改めて仏教の言葉が、「なるほどその通りだ!」と感じたのです。


600般若心経に学ぶ不増不減3


水は自由自在に動くことができ、形を 自由に変化しどんな器にも入ることができます。


ですから、仏教では水のことを「悩み、苦しみがない心」によく例えます。


それに対せて氷は、動くことができません。もちろん決まった形にしか入りません。


ですから、氷のことを「悩み、苦しむ心」に例えます。




そして、このことを般若心経では「不増不減」と表現しています。




氷が溶ければ水になり、水が氷れば氷になります。


全体の量が変化することはありません。




このことを


「不増不減」

増えることもなければ、減ることもない。


と表現するのです。


600般若心経に学ぶ不増不減4

では、私たちが悩み苦しんだりする時、水の心はだんだんに凍っていくのでしょうか。


そういうこともあるかもしれませんが、そうでないことの方が圧倒的に多いのではないでしょうか。


多くの場合、何かのきっかけで一気に心が凍りつくという場合が多いのではないでしょうか。


我慢に我慢を重ねて、何かの拍子に、些細なことをきっかけに一気に体や心が動かなくなるということは珍しいことではありません。



些細な出来事というのは、何か特別な出来事ではありません。物を落としたり、石につまづいたり、肩をさわられたり・・・


他人から見たら「え、そんなことで!?」と思うようなことで、一気に心が凍り付いたりするものです。


過冷却の状態にある液体をちょっとだけ振ってみたり、コップに注げばシャーベットになる姿が、普段の何気ないことがきっかけになって一気に凍りつく心の動きとよく似ているように感じます。



私たちの心が凍り付く様子は、冷凍庫の中に入れた水が少しずつ凍っていくのではなく、過冷却水のようなメカニズムに似ていると言えるのではないでしょうか。


少しずつ少しずつストレスを感じそれでも平静を装ってやってきたのに、いつもだったら聞き流すことができる何気ない一言にスイッチが入って心が一気に凍りつく。


ただボールペンを落としただけ、風がさっと拭いた、いつもならすぐに立ち上がれるのにちょっとつまずいてたら立ちあがれなくなるのは、まさにこの状態ではないでしょうか。


温度が0度以上の水はどんなに振っても氷になりません。


しかし、0度以下の水は何かのきっかけで一気に凍ります。



では、自分の心の温度はどうしたら測定することができるのでしょうか。残念ながら測定する機械はありません。そして、やっかいなことに、過冷却水が水のように見えるのと同様に、冷たくなった心も普段の心と見分けることが難しいのです。

では自分の心が過冷却の状態なのか、それとも本当に刺激を加えられたからといって凍ることがない水の状態なのかそれをどのようにしたら見極めることができるのでしょうか。


私は子供坐禅会を地元の小学校の長期休暇(夏・冬・春)に毎日開催しています


これには意味があると思っています。


もちろん1日だけ坐禅を体験することも大切です。しかし毎日坐禅をしていくと見えてくるものがあります。それはが何かと言うと、自分の心の状態です。


体を調え呼吸を調えることで、心が調っていくのが坐禅です。

姿勢を良くして、ゆっくり息をしていくと、自然と心が落ち着いてくるのです。




しかし毎日同じ姿勢、同じ呼吸をしたとしても、その日その日によって頭の中に出てくる感情は違います。


ある時は、姿勢良くゆっくり呼吸をしていると、さっと心が落ち着く。


しかし、別の日は同じように姿勢と呼吸調えようとしても、いつまでたってもザワザワと心が落ち着かないことがあります。



毎日坐禅をすればいま自分の心がどういう状態なのかということを感じることができます。


毎日の習慣になれば、自分では気がつかいない心の温度を自分で気がつくことができるようになってくるように私は考えています。


自分自身の心が過冷却な状態、つまり何かの拍子に凍ってしまうのではないかという状態に気がつけば、何か手立てを考えることができます。



そのように考えると坐禅というものを習慣化するというのはとても大切なことではないのでしょうか。

子供坐禅会 般若心経シリーズ その15 不垢不浄


この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。




突然ですが問題です。

焼香って何のためにするのでしょうか?


600法話用 般若心経に学ぶ 不垢不浄1



意味は解らないけど、みんながやっているからなんとなくやっていませんか?

私は大人になるまでなんとなく焼香をしていました。





600法話用 般若心経に学ぶ 不垢不浄2

実は焼香には、良い香りをお供えするという意味と、その空間や自分自身を浄めるという意味があります。

焼香をすることで、自分自身を浄め、浄めた身体と心でお参りをしているのです。






では第2問


600法話用 般若心経に学ぶ 不垢不浄3


焼香の時に使うものを”お香”と言いますが、その中でもとっても貴重で高級なお香『龍涎香(りゅうぜんこう)』というものがあります。これは何からできているのでしょうか?

有名な香水の原料にもなる龍涎香(りゅうぜんこう)は、なんと・・・



600法話用 般若心経に学ぶ 不垢不浄4



クジラの排泄物からできています!!!


排泄物・・・


おしりから出る、あれです!


でも、うんちではありません。


おしりから出るけど、うんちではない?



まさか、おなら??


残念ながらおならでもありません。






マッコウクジラの腸内に発生する“石”なんです。


多くの生き物は食べたけど、消化しきれず、そしてうんちとしても出せなかったものが、お腹を内側から傷つけるのを防ぐために”石”のようにすることがあります。


マッコウクジラも、体の中で”石”のようなものを作り、それが大きくなるとうんちと一緒に排出をするのです。


その”石”のようなものは水よりも軽いため海の上をプカプカと浮かびます。


そのまま何年も何年も浮かび続けている間に発酵し、良い香りの成分を出すようになるそうで。


それが、龍涎香(りゅうぜんこう)


プカプカと浮かんでいた”石”がたまたま浜辺に打ち上げられたときにしか人間はこの龍涎香(りゅうぜんこう)を見つけることができません。


とても豊かな香りを出すそうですが、なかなか手に入れることができないので、自然と高級なものになるとのことです。




お参りの前に、身体と心を浄めるお香の中でも、貴重なお香がクジラの排泄物とは驚きませんか。


初めて知ったとき、私はかなり驚きました。


排泄物と聞くと汚いと感じる。しかし、高級なお香だと聞くと浄められるような気もする。


結局は自分の心が全てを決めているのです。



そのことを般若心経というお経は

不垢不浄 【ふく ふじょう】

(汚れることもなく、 清らかでもない)


と教えてくれています。


600法話用 般若心経に学ぶ 不垢不浄5




焼き鳥の缶詰に「猫のエサ」と書くと、人は食べません。

猫はどちらでもおいしく食べるでしょう。

頭で理解しようとすると、何かを間違えてしまうことがあるのです。

自分の持っている知識や経験に頼りすぎると、見えなくなってしまうことがあるのです。




全てのものは きれい・汚いを分けることはできない。

あなたが、汚いと思えば汚い。

あなたが美しいと思えば美しくなるのです。

あなたが見ているものは何も変わらない。

あなたの心が変わっているだけなんだ。




そのことを不垢不浄 【ふく ふじょう】という言葉で教えてくれているのです。



クジラの排泄物は汚いもの中、貴重なものなのか。


坐禅をして、身体と呼吸と心を調えていくと自然と答えが見えてきます。

子供坐禅会 般若心経シリーズ その14 不生不滅

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。







600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 不生不滅



「人は亡くなったらどこへ行くのでしょか?」

私が小学生だったら、迷うことなく

「天国か地獄」

と答えていたと思います。

実際にはどこへ行くのでしょうか?




僧侶になりたてのころ、おしゃべりをしていた高齢女性に突然、

「あの世はきっといい所です。だってあの世に行った人が誰も帰ってきませんから」

と、言われて言葉を返すことができず、



「人は亡くなったらどこへ行くのか?」


という問題について考えたことがあります。




その際に出会ったのが、トンチで有名な一休さんの言葉です。




一休さんが亡くなる直前に言ったと言われる言葉に


今死んだ どこへもいかぬ ここにおる  たずねはするな ものはいわぬぞ




というものがあります。


亡くなったからと言って、突然遠くの世界に行くわけではない。いつでもそばにいる。でも、話しかけたりはできないよ。



「人は亡くなったらどこへ行くのか?」


という質問に対して明確に答えているように私は感じます。




私達はどうしても、何かを分別したくなります。

それが、便利で楽なことはよく知っています。

得か損か、好きか嫌いか、高いか安いか、価値が有るか無いか、正しいか間違いか・・・

しかし、実際には2つに分けられるものばかりではありません。

手に表と裏の境目がないように 2つに分けることができないものばかりです。




生きているか、死んでいるか。

死んだら天国に行くか、地獄に行くか。

そうやって2つに分けたり、分別をしようとする心が、悩みや苦しみを生み出します。





般若心経の中に


不生不滅【ふしょう ふめつ】


という言葉が出てきます。




生きることも、滅することも無い


と言う意味です。


「無い」は「こだわらない」


を意味しており、


生きているか亡くなっているかと分別することにとらわれてはいけない。


と教えてくれています。




「どこへもいかぬ ここにおる」のですから、そのことに悩み苦しむのではなく、


「大切な人もそうでない人も、すべての“いのち”が自分の中にいてくれる。」


と感じることが大切であり、そう感じることができる心を私達はすでに持っています。




姿勢を調え、呼吸を調えることで、心が調っていく。


それが坐禅です。



心が調ったときにこそ「すべての“いのち”が自分の中にいてくれる。」と実感することができます。



さぁ、一緒に身体と呼吸と心を調えていきましょう。

子供坐禅会 般若心経シリーズ その13 是諸法空相

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。





600子供坐禅会 般若心経シリーズ その13 是諸法空相 2



「白雪姫」ってどんな話?

と聞かれて、

「カボチャの馬車!?」

と答えたら

「それはシンデレラ!」

と言われたことがあります。



白雪姫は「鏡の話」と言えば「あ~、あの話か!」となると思います。





簡単にまとめると


王様とお妃さまの間にかわいい白雪姫誕生。

しかし、お母さんであるお妃様は病気で亡くなる。

新しく来たお妃様は、自分が美しさしか考えていない。

新しいお妃様は魔法の鏡に「世界で一番美しいのは誰?」と聞いては、「世界中であなたが一番美しい」と答えてもらって喜んでいた。

しかし、白雪姫が美しいお姫様に成長すると、魔法の鏡の答えは変わる。

「世界で一番美しいのは誰?」と聞くと「白雪姫」と答えるようになる。


怒ったお妃様は白雪姫を殺すように家来に言う。

しかし家来は命令に背き、白雪姫をこっそり森の奥に逃がす。

白雪姫はそこで7人の小人(妖精)と楽しく過ごす。

白雪姫がいなくなって安心をした新しいお妃様は再び鏡に質問をする。

「世界で一番美しいのは誰?」

鏡は答える

「白雪姫」

魔法の鏡によって、白雪姫がまだ生きていることを知ったお妃様は白雪姫をだまして毒りんごを食べさせる。

白雪姫は倒れるが、王子様が助けて、その後幸せに暮らす。





と言う話です。


私は、この物語の中で素晴らしい心をもった登場人物がいるように感じています。


それが”魔法の鏡”です。


鏡は質問をしたお妃様に忖度することなく、素直に答えています。


権力を持ったものに質問をされれば忖度をした答えを出したくなるものです。


しかし、”魔法の鏡”は常に正直に答えます。


なぜでしょう?


とても簡単なことです。


”鏡”とはそういうものですから!


仏教の話の中にも”鏡”はよく出てきます。


鏡は全てをそのままに映します。


花を鏡の前に置けば、花を映します。


赤い花を黄色にかえることはありません。


小さな花を大きく見せることもありません。



仏教では忖度なく、ありのままに世界を映す鏡のような心を“仏心”や“仏様のような心”、“悟り”など様々な名前をつけて大切にしています。

そして、そのような心を誰もが持っていると言います。


般若心経の是諸法空相【ぜ しょう ほう くう そう】は、「すべての本質は空である」と教えてくれています。


前回までの記事でも紹介をしているように
※前回の記事はこちらです。
https://blog.tokozenji.net/blog-entry-3319.html


「空【くう】」とは、「かたよらず、こだわらず、とらわれない心」です。


全ての人が、この「かたよらず、こだわらず、とらわれない鏡のような心」を持っているのです。


だからこそ、私達は鏡のように世の中を見なくてはいけないのです。

もちろん簡単なことではありません。

鏡に汚れが付いたり、曇っていれば、ありのままに映すことはできません。

掃除をしなくてはいけません。

同じように心も掃除が必要です。

その、掃除方法の一つが坐禅です。


さぁ、身体と呼吸と心を調えて、本来持っている鏡のような心を大切にしていきましょう!!!


600子供坐禅会 般若心経シリーズ その13 是諸法空相
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる