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子供坐禅会 般若心経シリーズ その44 能除一切苦

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。





600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 2022冬休み12



いつも坐禅会の最後にお経を読んでいます。

何度も読んでいると人は覚えているかもしれません。

覚えることができたら、お経の本は見ない方がいいのか、見た方がいいのかという問題が出てきます。

どっちが正しいのか聞かれることもあります。



また、私たち僧侶がお経の本を見ながら読んでいると

「え、お経を覚えてないんですか?だらしないですね。」

と言われることもあります。



お経の本を見ながら読むのと、見ないで読むのはどっちが正しいんでしょうか?



実はお経の本を見て読む方が正しいのです。



私も一応お経は覚えています。

お通夜やお葬式でも様々なお経をお唱えしますが、お経の本を見なくても読めるようになっています。

しかし、お経の本を出せる環境であれば必ず出して読むようにしています。

お墓の前や火葬場ではお経の本が出せないので出さずに読んでいます。



では、なぜ経本を出すのでしょうか?

それはお経に集中できるからなんです。お経に集中して、お経と向き合っているのです。




私はお盆やお彼岸などの季節に各家を周ってお経を読みます。

幼い頃はお経の本を見るのが恥ずかしくて、お経の本を持たずに手を合わせて読んでいました。

悪いことではないのですが、これには欠点があります。

ある程度お経を暗記していると、心に余裕が出てくるのです。

余裕というものは「油断」を生み出します。


例えば、そこの家のお仏壇に飾ってあるものが目に入ってくるようになったのです。

余裕がないときは一生懸命読んでいるのですが、お経が読めるようになって余裕が出てくると


あ、このうちのお仏壇にはこういうものが飾ってあるんだ。

あ、なんか刺身が飾ってあるぞ。珍しいな!


などいろんなものが目に入るようになってきてしまいます。


そうなると、「あれ今どこ読んでるんだろう?」と不安になります。

ずっと口は動いてお経をお唱えしている。でも、今何してるんだろう。とも感じることがあります・・・



お経をお唱えしているときに、


今〇〇〇〇って唱えているけど、次はなんだろう△△△△△だったかな、


などと考えても、その瞬間に頭が混乱して失敗してしまいます。



慣れてくるからこそ、暗記してるからこそ、心のゆとりという油断が出てきて、どうしても他のことを考えてしまい、失敗をするものです。



時々、お経を読んでいるのに他のことを考えてしまっている自分がいて、それに気がついて


「集中しろ、集中しろ!」と自分に言い聞かせる。


でも言い聞かせたところで集中できるはずもないし、言い聞かせていること自体が、集中できていない証拠なので、どんどんおかしくなってしまうものです。


どうしたら良いのでしょうか。 簡単です、お経の本だけを目の前に置いて、しっかりとその世界に没頭していくのです。





そのことを般若心経というお経では

能除一切苦 【のうじょう いっさい く】

と示しています。




600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 2022冬休み13


一切の苦を取り除きます


という意味です。


般若心経というお経は私たちの苦しみを全て取り除いてくる素晴らしいお経なのです。


と教えてくれている言葉です。



しかし、ここは大前提があります。


能除一切苦の前に書かれている般若心経の意味を理解し実践することです。


そして般若心経をしっかりとお唱えすることで全ての苦しみを取り除くことができる。


と教えてくれているのです。


では、しっかりと般若心経をお唱えするとは何でしょう。

もうわかっていると思います。

暗記したとしてもお経の文字を見ながら一生懸命お唱えするのです。



これは普段の生活でも同じです。どうやって苦しみと向き合っていくか、取り除かれるはずの苦しみと、どうやって向き合っていかなくてはけないのかも教えてくれています。


私たちはこれからも必ず辛いこと、嫌なこと、避けては通れない苦しみと出会います。


では、それとどうやって付き合っていくのか?


見えているのに見ないようにしたり、少し距離をとることも一つの方法です。


しかし、それでは根本的な解決にはならない。


お経の一文字一文字と真剣に向き合うように苦しみと向き合うことも大切だと般若心経は説いているのです。


今、自分が苦しんだっていうことをはっきりと認識する。


このこともすごく大切で、距離を取って逃げることも有効ですが、それはずっと引っかかってくる。


そして、その苦しみは自分を追いかけてくる。


苦しいけれど、その苦しみと徹底的に向き合ってみると、「ああ、この苦しみの原因はここにあったんだ」ということに気がつくことができる。気がつくことができればどう対処していいかがわかる。


それこそが、般若心経が教えてくれている「能除一切苦」なのだと私は考えています。



どうやったら、苦しみと向き合えるのか・・・


この坐禅会に参加してくれている人ならもう分かっていると思います。


体と呼吸を調えて心を調えていくこと。


坐禅です。


調った心で自分の内側を見つめていけば、私たちはしっかりと自分の苦しみ、というものをはっきりと自覚し、そして取り除くことができるのです。


さぁ、一緒に身体を調え、呼吸を調え、心を調えましょう。

子供坐禅会 般若心経シリーズ その43 是無等等呪

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

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600是無等等呪 



SMAPが歌い大ヒットをした「世界に一つだけの花」という歌があります。


ご存知の通り、作詞・作曲は槇原敬之さんです。


この歌は

No.1にならなくてもいい もともと特別な Only one(オンリー ワン)

と始まります。



素晴らしい歌詞であり、すばらしい曲です。

何度聞いても心の奥底から熱いものがこみ上げてきます。


もともと特別な Only one


間違いないことです。でも・・・


No.1にならなくてもいいけど、No.1を目指した人と、目指さない人には大きな違いがあると思っています。




歌詞の中に


花屋の店先に並んだ
いろんな花をみていた
ひとそれぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて
争う事もしないで
バケツの中誇らしげにしやんと
胸を張っている



とあります。素晴らしい言葉です。


ただ、この言葉に触れるたびに忘れてはいけないことがあるように感じます。



「全ての種が花屋さんに並べられるようなきれいな花を咲かせるわけではない」 ということです。


たまたま縁があって発芽した種が、一生懸命自分の命を輝かせているのです。

命を輝かせた種だけが店先に並んでいるのです。



人間も同じです。

様々な修行をすることで 自分の心を見つめることの大切さを般若心経が説いています。

そして、その大切な心・素晴らしい心・尊い心が自分にはあること。

同じ心が、誰にでもあることに気がつくからこそ、比べる必要はないのです。



なんで花は「バケツの中誇らしげにしゃんと胸を張っている」のか?


水や栄養分を必死に吸い上げ、自分の力に変えてきたからです。


努力をしてきたからです。


人間も「比べなくてもいい」ことを知るために 努力する必要があることは誰もが分かっています。


だからこそ、そのことを1000年以上前の般若心経というお経でも


是無等等呪【ぜむとうどうしゅ】


という言葉で伝えようとしてくれているのです。



この言葉は、


般若心経の教えは等しいものが無い。無上を超えた素晴らしいものである。


と訳すことができます。しかし、般若心経が素晴らしいことだけを伝えようとしているのではありません。


般若心経は素晴らしい、般若心経の教えを実践する人の心も素晴らしいのです。


つまり、般若心経をお唱えする人の心は無上を超えた素晴らしいものであると言っているのです。


店先に並んだ花は、発芽した後も水や栄養分という御縁を生かし続けて花を咲かせました。


私達も、いのちを授かり誕生した後、様々な御縁をいただいています。


御縁をいただいているからこそ、いのちを保つことができています。


これらの御縁を生かし続けるからこそ、心の花を咲かせることができるのです。




どうしたら御縁を生かしていけるのは、すでに気がついているはずです。


そうです。心を調える坐禅が、基礎基本です。


身体を調え、呼吸を調えることで、心が調っていくことを実感するのが坐禅です。



心が調っていくから、御縁に気付くことができる。


楽しいマンガが目の前にあれば読まずにはいられません。


面白そうなゲームが目の前にあればやらずにはいられません。


同じように御縁に気付けば生かさずにはいられません。


さぁ、一緒に身体を調え、呼吸を調え、心を調えましょう。

子供坐禅会 般若心経シリーズ その42 是無上呪

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

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昔、”どっちの料理ショー”という番組がありました。

ゲストの複数の芸能人が食べたい料理を選ぶ番組です。

最高の食材を準備し、一流の料理人が目の前で調理をします。

2つの料理が完成するとゲストはどちらの料理を食べたいか選びます。

多数決で選んだ人が多い方の料理だけが食べられるのです。

ただし、料理を食べることができるのは、多数派の料理を選んだ人だけ。

少数派の料理を選んでしまうと、何も食べることができない。



そんな、番組でした。

毎回素晴らしい料理が紹介されて、テレビの前であふれる唾液を必死に抑えながら見ていた気がします。




素晴らしい食材

素晴らしい料理法や道具

素晴らしい料理人


この3つが揃えば、素晴らしい料理ができることは間違いありません。



600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 2022冬休み8


般若心経というお経の中に


是無上呪【ぜむじょうしゅ】


という言葉があります。


様々な教えがあるが、般若心経より上は無い。すばらしい教えを集めたものが般若心経である。


ということを伝える言葉です。



では、なぜ般若心経がこれ以上のものがないという”無上”なのでしょうか。


そもそも仏教が説く”無上”とは何でしょう。


私は「仏教の無上とは何か」と聞かれたとき「仏法僧【ぶっぽうそう】」と答えます。



600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 2022冬休み9




仏法僧とは


仏:仏様

法:仏教の教え

僧:仲間


の3つが揃っていることです。




般若心経には、

観音様が舎利子【しゃりし】という弟子に、大切なことを教えるお経です。



観音様という仏様が

大切な仏教の教えを

仲間である弟子に伝えているのです。


つまり、般若心経そのものが仏法僧という無上を表しているのです。



だからこそ、そのことを是無上呪【ぜむじょうしゅ】という言葉で伝えようとしているのです。



しかし、是無上呪【ぜむじょうしゅ】は般若心経の素晴らしさだけを示す言葉なのでしょうか。



私は少し違うように感じます。




素晴らしい料理は



素晴らしい食材

素晴らしい料理法や道具

素晴らしい料理人


によって作られます。



食材が痛んでいた、料理方法を忘れたり、料理人が到着しなければ間違いなく素晴らしい料理は出てきません。



どれか一つでも欠ければダメなんです。


般若心経の是無上呪が示す仏法僧は、


「般若心経は最高だぜ!!」


とだけ言っているのではありません。



「般若心経が素晴らしいお経だと言えるのは、般若心経をお唱えする人々が”仏法僧”を忘れないからだ。」


仏法僧も、どれか一つでも欠ければ無上ではなくなってしまいます。


だからこそ、般若心経は是無上呪という言葉で、


仏様、教え、仲間、この3つを大切にすることを誓いながら般若心経をお唱えすれば、


お唱えするあなたが仏様であり、その教えを忘れることはない。そしてその教えを大切にする仲間と生きていくことができる


ということを教えてくれているように私は感じています。

子供坐禅会 般若心経シリーズ その41 是大明呪

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

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ある言葉に救われたことがあります。

4人で会議をしているときに、とっても失礼な発言をされと時のことです。

3人が思わず引いてしまうくらいの言葉でした。

私は、あまりに失礼な発言だったので、対抗して文句を言ってやろうと考えました。相手の言っていることはただの悪口でしたし、反論すれば相手を言い負かすこともできると思っていると・・・

その姿を見た方が私に

「相手と同じ土俵に立ってはいけないよ」

と止めてくれたのです。その言葉を聞いて「私は、悪口を言う人と同じことをしようよしていたのかもしれない」と気がついてハッとしました。



冷静になって考えてみると、とても失礼な発言をした人の心は“道を見失って、暗闇をさまようような辛い状態”だったのです。


その人が道を見失って暗闇をさまよっているからといって、自分も一緒に暗闇に落ちる必要はない。あなたはその人を照らす光とならなくてはいけないと教えてくれたのです。




600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 2022冬休み4

人は簡単に道を見失います。


この写真は何を撮影したものか分かりますか?


実は、道です。



東光寺には観音山という頂上に観音様が祀られている小さな山があります。

しかし、日当たりの良い場所はしばらく放置をすると・・・・

この通り。雑草が生い茂って道が見えなくなってしまいます。


でも道が無くなったわけではありません。

道が見えないだけなのです。




このように道を見失った状態を、仏教では「無明【むみょう】」と呼びます。





600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 2022冬休み5


見えなくなった道ですが、草を刈れば道は見えてきます。






私達の迷い苦しむ心も同じです。



無明という暗闇の中にも光は差し込みます。



真実に気づかずに悩み苦しむ「無明」を照らしてくれる光は何でしょう。



600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 2022冬休み6



仏教聖典という書物に


「無明とは無知のことで、 ものの道理をわきまえないことである。」


と、書いてあります。さらに


正しい智慧のない状態をいう。迷いの根本である無知を指す。煩悩を煩悩たらしめる原動力のようなものととらえられている。


とも書いてあります。



草だらけのこの状態、つまり すぐそこにあるコンクリートの道が見えない状態が「無明」と言います。


そこにあるものを見つけることができず、自分が進むべき道を見失ってしまっているのです。


コンクリートがあると認識できれば その道の周辺にある草を刈っていくことができます。


しかしコンクリートがあることに気がついていないとすれば、そこから動くことができません。


これを仏教の話にすると、


生まれたときから誰しもが仏様のような尊い心をもっていることを知らない、否定することなのです。





般若心経というお経の中に


是大明呪【ぜいだいみょうしゅ】


という言葉があります。般若心経というお経の素晴らしさを伝える言葉であり、


 般若心経の教えは不動明王が闇を照らすような私達を照らす光明である。


と受け取ることができます。




600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 2022冬休み7



般若心経の教えを実践することが、自分の心を照らすことになる。とも言うことができます。


草だらけの道の草を刈れば道を見つけて歩き出すことができる。


心が暗闇になったとき、そこを照らす光が必要です。


その光はどこにあるのか、もちろん誰かに照らしてもらうこともあります。


しかし、自分自身で照らすことができる、それも とっても強い光で照らすことができると般若心経は是大明呪【ぜいだいみょうしゅ】という言葉で教えてくれています。




般若心経の実践の1つが、やはり坐禅です。


生まれたときから持っている素晴らしい心を見つめ直して調えていく実践が坐禅です。


身体を調え、呼吸を調えることで、心が調っていくことを実感するのが坐禅です。



さぁ、一緒に身体を調え、呼吸を調え、心を調えましょう。

子供坐禅会 般若心経シリーズ その40 是大神呪

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

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600是大神呪2




私は子供の頃に友達とケンカをしたことがあります。

職員室で先生に「お互い謝れ」と言われて、お互いに「ごめんなさい。」と口に出しました。

しかし、それでケンカが終わるほど子供の世界は単純ではありません。

終わったと思って気持ちが落ち着いたのは指導した先生の気持ちだけです。

お互いに、お互いを嫌いになっているので長い間ケンカをしました。





1年が経ったある日、ケンカをしていた相手のおばあちゃんが亡くなりました。

私は家族と一緒にお参りに行きました。

お参りが終わると彼は玄関先で「ありがとう」と私に言ったのです。とても心のこもった“ありがとう”だと感じました。

しかし、少し照れくさかったので、この時は何も言わずに帰りました。

数日後に彼が学校で「今までごめんな」と声をかけました。

他人から見たら職員室での謝罪よりも軽く感じるかもしれない彼の言葉でしたが、心がこもっていました。 だからこそ、私も自然と「こっちもごめんな」と心の声が漏れたように感じます。




心をこめた言葉に力があります。


般若心経というお経の中に


是大神呪 【ぜだいじんしゅ】


という言葉が出てきます。




神呪という漢字を見ると「神の呪い!!?」と思うかもしれませんが。

しかし、そうではありません。


神聖で、霊力のある仏の真の言葉という意味です。



つまり、


「般若心経の言葉は、私たちを真実の世界に導いてくれる。般若心経の教えを信じ切って真言をお唱えすれば大きな功徳を得ることができる。」

ということを教えてくれる言葉です。




心を込めた言葉が相手を動かすように、心を込めてお唱えした般若心経は自分も、そして周囲の人にも必ず届くことを般若心経では是大神呪 【ぜだいじんしゅ】と表現しているのです。



では、どうしたら心を込めることができるのでしょうか。

その方法は1つではありません。

その中の1つが心を調えることです。


きれいに手入れがされている畑から素晴らしい作物ができ、しっかりと整った工場で作られる製品の品質が向上するように、
調った心から発せられる言葉に心がこもらないはずがありません。


 

生まれたときから持っている素晴らしい心を見つめ直し、調えていく実践が坐禅です。


身体を調え、呼吸を調えることで、心が調っていくことを実感するのが坐禅です。


さぁ、一緒に身体を調え、呼吸を調え、心を調えましょう。


600法話用 般若心経に学ぶ 是大神呪
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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