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手を合わせると、つけっぱなしの電気に気がつける!?

夕方頃から外で塔婆の炊き上げをしていたときのことです。


ひたすら、お経を読みながら塔婆を燃やしました。


ようやく炊き上げを終えた頃には日は沈み、周囲は真っ暗になっていました。



600障子と灯り

ふと本堂を見ると、事務机の電気がついたままになっていて光が外に漏れていました。



炊き上げを始めたときは夕方、周囲が明るいから電気がついたままになっていることに気がつきませんでした。



電気の光量に変化はありません。常に光続けていました。


周囲が暗くなったから光に気がつくことができたのです。



仏教の教えなどの”救い”を「光」に例えることが多くあります。

同様に迷いや苦しみを「暗闇」に例えます。


暗くなってつけっぱなしの電気に気がついたとき、


暗闇に落ちて初めて救いに気がつくことができると感じました。




私達は、つけっぱなしの電気と同様に、誰かを救い続けようとしている人のことになかなか気づくことができません。

電気のつけっぱなしはもったいないのと同じように、

救いに気がつかないのはもったいないことです。



電気のつけっぱなしに気がつくために「立ち止まって振り返る」ことが大切です。

同じように”救い”に気がつくためにも、「立ち止まって振り返る」ことが大切です。



私は普段の生活の中で合掌することを「立ち止まって振り返る」ことだと考えています。

愛に、血のつながりがいらないことは 夫婦がいちばん知っている。

600愛に、血のつながりがいらないことは 夫婦がいちばん知っている




愛に、血のつながりがいらないことは 夫婦がいちばん知っている。


厚生労働省が新聞に掲載した広告です。



私は

「親子なんだから・・・」
「親だから・・・」
「子供だから・・・」
「血縁関係があるから・・・」
「親戚だから・・・」

という言葉を聞くことが少なくありません。

そんな言葉を聞くたび違和感を覚えます。



血縁関係 = 素晴らしい
親子 = なんでもわかる
子供 = 親のために尽くすのは当たり前
親 = 子供のために尽くすのは当たり前


これらの言葉を否定しているのではありません。

血縁関係がある親子が素晴らしい人間関係を築いている場合も知っています、

血縁関係があっても、見るに堪えない関係性になっている場合も知っています。

私が感じる違和感は「前提が違う」ということです。


「親子とは何か・血縁関係とは何か」を共通理解しないで「親子・血縁・親戚」という言葉を使い、相手に何かをさせようとするから人間関係がこじれたり、違和感を覚えたりするのです。



仏教の教えを、今の言葉で伝える仏教聖典にも親子についての記述があります。そこには以下のように書かれています。


親子の道とは、子は父母に対して五つのことをする。父母を養い、父母のために働き、家系を守り、家督を相続し、祖先に対して供物を捧げることである。
これに対して、親は子に五つのことをする。それは悪を遠ざけ、善をすすめ、知恵・技能を学ばせ、結婚させ、適当な時期に家督を譲ることである。互いにこの五つを守れば、親子の道は平和であり、うれいがない。




時代によって中身に変化をありますが、

「お互いのために何かする」ことが大切であり、血縁関係については何も触れられていないことも重要です。

私はここが、「前提」になると感じており、ここまでタラタラと書いてきた文章を一言にまとめてくれたのが


愛に、血のつながりがいらないことは 夫婦がいちばん知っている。


という言葉です。

厳しさと優しさと鏡餅

正月に飾る鏡餅のお話です。

パックに入っていない鏡餅は、時間と共に乾燥し、割れていきます。

これは仕方のないことです。

また、少しでも長く乾燥したり、割れていない状態で保ちたいという気持ちを分かります。

そのために、何か手立てはあるのでしょうか。

同じ鏡餅を少しでも長持ちさせたちとビニールで保護をすればよいと思うかもしれません。

確かに、その通りです。

では、実際にやってみるとどうなるでしょうか。

実は、あまり意味がありません。




600厳しさと優しさと鏡餅3

ここに2つの鏡餅があります。


600厳しさと優しさと鏡餅2

左は1月7日までビニールなしで飾り続けたもの



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右は年末から1月7日の朝までビニールで保護をしていたものです。

写真を撮影したのは1月7日の正午です。

ビニールをはがしたときにはきれいな鏡餅が、あっという間に乾燥して割れてしまうのです。




毎年、同じ実験(!?)をしていますが、結果は同じです。


変化があるとすれば、天気や湿度の関係で、何もしなかった右の鏡餅が割れたりカビたりするだけです。



ビニールで保護すれば、保護しなくなったとたんに急激な劣化をする。


保護しなければ少しずつ劣化する。




どちらが良いのかは分かりません。


甘やかすのが良いか、厳しくするのが良いか・・・


考えるきっかけにはなります。



しかし、割れても気にせず、ありがたくいただくことが良いことだということは間違いありません。

お寺にサンタクロースはやってくる

600クリスマスとお地蔵さん20212


お寺にサンタクロースはやってきます。



クリスマスの前後になるとお寺で必ず話題になるのが


「お寺にサンタクロースはやってくるのか?」


ということです。




様々な考え方があることは承知しています。


私自身も、以前は異なる考え方をしていました。


しかし、東光寺(静岡市清水区横砂)の水子・子育て地蔵尊に毎年お供えされるクリスマスプレゼントを見ると、


サンタクロースが誰なのか、由来、国籍、宗教などを考えて議論することが無駄なことだと実感します。




理由はいりません。


お寺にサンタクロースはやってきます!!




600クリスマスとお地蔵さん2021

これが、その証拠です。

未来が分からないなら、どうするのか!? 答えは意外と簡単だ!!

毎週、臨済宗青年僧の会(臨青)のオンライン坐禅会の予定をSNSで発信しています。


予定表だけでは寂しいので、何か一言加えています。


今回は、臨青が発行している機関紙「不二」に掲載された言葉を紹介しました。


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昭和56年9月発行の不二第6号の記事に臨済寺僧堂 倉内松堂老師(掲載当時)の言葉があります。



 釈尊といえども、達磨といえども、先哲先賢、皆一生を捧げて修行と精進に終始されています。
 この秋は大洪水が出るか、大暴風雨が吹くか、先のことは全く解らぬけれど、今日一日あたえられた仕事として田の草をとるのです。



※先哲:せんてつ 昔のすぐれた思想家や賢者。
※先賢:せんけん 昔の賢人




お釈迦様がどんなに優れていた方でも、達磨(だるま)様がどんなにすごい方でも、先のことなど分かりません。


しかし、分からないからと言って何もしないのが良いのでなく、「田の草をとる」という言葉が「今できることを精一杯」することが大切だと説いているのです。



詳しくはこちらをご覧ください。記事の全文を読んでいただくことができます。
http://www.rinsei.net/kakohuni006.html


坐禅をするなら他のことを考えずに一生懸命身体と呼吸を調える。


そのような気持ちでオンライン坐禅会に参加していただけることを祈って


この秋は大洪水が出るか、大暴風雨が吹くか、先のことは全く解らぬけれど、今日一日あたえられた仕事として田の草をとるのです。


という言葉を紹介させていただきました。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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