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ファミコンのリセットボタンとPCの再起動

600更新プログラム 20220623





先日ファミコンをリセットボタンについて記事を書きました。
※記事はこちらです。



このときに、


ファミコンにリセットボタンはあるが

肉体にリセットボタンはない

しかし心のリセットボタンは

いつでも自分で押すことができる




という言葉を書きました。





実は、この言葉はオンライン坐禅会で話した内容です。


その坐禅会に参加している方から、





今の時代だと、リセットボタン というより→再起動ボタン かもですね。 パソコンに「再起動」ボタンがあるように、人生にも再起動ボタンはある。 くれぐれも、シャットダウンボタンを押さないように・・・ですね。






という感想をいただきました。


まさに、その通りだと思いましたし、この言葉に「更新プログラム」を加えたくなりました。




パソコンは再起動ができるが

肉体は再起動できない

しかし心の再起動は

いつでも自分ですることができる

仏法と言う更新プログラムを受け取り再起動することもできる




逃げ切れる人の意見で政策が決まるって そもそも間違ってるでしょ



「逃げ切れる人の意見で政策が決まるって そもそも間違ってるでしょ!」





胸に突き刺さる言葉が飛んできました。


NHKの「17歳の帝国」というドラマの中で出てきた言葉です。






60017歳の帝国 (2)




ドラマの説明はNHKのホームページから引用させていただきます。

舞台は202X年。日本は深い閉塞感に包まれ、世界からは斜陽国の烙印を押されている。出口のない状況を打破するため、総理・鷲田はあるプロジェクトを立ち上げた。「Utopi-AI」、通称UA(ウーア)構想。全国からリーダーをAIで選抜し、衰退した都市の統治を担わせる実験プロジェクトである。

若者が政治を担えない理由は、「経験」の少なさだと言われてきた。AIは、一人の人間が到底「経験」し得ない、膨大な量のデータを持っている。

つまり、AIによっていくらでも「経験」は補えるのだ。それを証明するかの如く、AIが首相に選んだのは、若く未熟ながらも理想の社会を求める、17才の少年・真木亜蘭(まきあらん)。

他のメンバーも全員20才前後の若者だった。真木は、仲間とともにAIを駆使し改革を進め、衰退しかけていた地方都市を、実験都市ウーアとして生まれ変わらせていく―。




といった内容です。



この中で、政治の運営を担う若者たちが議論をしていたときに先ほどの言葉が登場したのです。


1人の若者が、高齢者たちが置いてきぼりになるような政策に対して


「実際この国の4割は高齢者なわけだから 半数近くの意見は・・・」


と言いかけたときに別の若者が


「このままでも逃げ切れる人の意見で政策が決まるって そもそも間違ってるでしょ」


と言ったのです。これに対して最初に意見を出した若者は


「確かに今の問題に縛られたら 未来は見失う」


と、納得をしたのです。




この会話は、現代社会が抱える「若者と高齢者」の問題において、これからを生きていく若者の意見を象徴するようにも聞こえます。


しかし、この言葉は、ただ単に「若者と高齢者」という問題だけではありません。


私には、この言葉は”任期のある仕事”に対しても大切なことを伝えようとしているように感じました。


だからこそ、私の胸に確かに突き刺さったのです。




私自身もこれまでにいくつかの任期のある仕事に携わってきました。


お寺関係で組織する団体で4年間の会計の仕事や、オンライン坐禅会を開催している臨済宗青年僧の会の事務局員など、明確に終わりがある仕事をしたことがあります。


また、一旦受けると明確な任期がない仕事(又は明確な任期まで20年以上ある)をしています。



正直な話しをすると、4年任期の仕事をしている3年6ヵ月頃に


「あ、ここを改善したらもっと良くなる。でも、改善するのに労力が必要だ」


となったときに、


「残りの任期を少ないし、やっぱりやめておこう。変化しなくてもいいや」


という気持ちが出てきてしまいます。





任期が長い、または任期がない仕事をしていれば、「やめておこう」と思う前に一歩を踏み出せたはずなのに、終わりまでの時間を考えてしまうのに、若いも高齢も関係ないのです。


安定を望み、変化を嫌うのも人間の習性かもしれません。



しかし、仏教の大切な教えに「諸行無常【しょぎょうむじょう】」という言葉あります。


ありとあらゆるものは移り変わり、常に変わらないものなどない


という教えです。




安定を望み、変化を嫌い、何もしないことは大切な教えを無視していることに他なりません。


白隠禅師の言葉に次のような例え話があります。





「例えば、何百両という黄金があって、これを護衛させる場合に、部屋を閉旦扉を鎖して、黄金の傍に坐って、人に取られまい奪われまいと守ったとしても、これはとても気力ある者の優れた働きとは言えまい。」

それに対して

「もし、多くの盗賊が群れる中を、その黄金を持ってどこそこまで届けよと命じられた男が、胆力を発揮して刀を差して脛をかかげ、黄金を棒の先に突っかけ、たった一人で送り届け、少しも恐れる色がないならば、このような男こそあっぱれな働きの大丈夫というべきであろう。」



大切な習慣を守ることは素晴らしいことです。


しかし、大切なもの”守る”ことに固執してしまうことは、「諸行無常」を受け入れないことにつながります。





“黄金を棒の先に突っかけ、送り届ける”ことが大切であり、このことを現代の言葉で表現しているのが、


「このままでも逃げ切れる人の意見で政策が決まるって そもそも間違ってるでしょ」


という言葉のように感じます。

お供え物って最後はどうするの?


600法事の供え物



法事の際には様々なお供え物をします。


そのお供え物、法要の後どうしていますか?


これには地域差があるようです。




法事が終わった後、祭壇から降ろして家族で”いただく”地域もあれば、参列者に配る地域もあります。


この場合も、参列者が”いただく”ことになります。


そして、僧侶がお寺の関係者が”いただく”地域もあります。


地域によって習慣が異なりますが、共通していえることは「いただく」ということです。



法事の際にお供えするのは、果物や団子、お菓子、花など目に見えるものだけでしょうか。



もちろん違います。



そうです、お経があります。




お経をお唱えすることで、その功徳が亡くなられた方のためになりますようにとお祈りをします。


しかし、お経は亡くなられた方のためだけにお唱えしているのではありません。




お供えした供物を、今を生きている誰かが”いただく”のと同じように、

お経という仏教の大切な教えを、今を生きている私達が”いただく”ことができるのです。




お供えした供物を”いただく”ときには、お経の大切な教えも”いただく”ことを思い出してほしいと願っています。

お坊さん向けの研修会!? 【葬儀、法要をどう説くか】

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東京禅センター主催


「葬儀、法要をどう説くか」




オンライン坐禅会を一緒に開催している、東京禅センター様が寺院向けのオンライン講座を開催します。
※この本講座は寺院向けの講座になっております。一般の方のご参加はご遠慮願います。



『正法輪』に掲載された「葬儀、法要をどう説くか」について、執筆した教学研究委員会による臨済宗・黄檗宗の僧侶に向けた全4回の講演です。


第1回 は

日時 令和4年6月20日(月) 14:00~15:30

テーマは「戒名」。

参加費 各回1,500円(第1回は無料でご参加いただけます。)




詳しくはこちらをご覧ください。

桜の葉っぱの中に花を見る

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川の土手に生えている桜の木に大切なことを教えてもらいました。



その桜の木は決して珍しいものではありません。


ただ緑の葉っぱをたくさんつけた桜の木です。


私はこの桜の木を見たときにハッとしました。


もしも、この桜の木を3月に見ていたとしたら、私は何をしたでしょうか。


美しいピンクの花を写真に収めようとしたと思います。


しかし、私は緑の葉に覆われた桜の木の写真を撮ろうとしなかったのです。


このことに気がついたときに自分の未熟さを痛感したのです。





一般的な植物は花が咲くときには、葉っぱがあります。

葉っぱで光合成をすることで栄養をつくり、その栄養で花を咲かせます。

ですから桜の木のように木全体が花に包まれることは珍しいのです。



しかし、桜の木は花が勝手に咲くわけではありません。前の年に葉が光合成を行い、作り出された栄養分を木が蓄えて、一気に花を咲かせています。


ですから、花に覆われた桜の木が存在するのは、葉に覆われた桜の木があるからです。


ということは、花が咲いた桜の木が美しいと感じて写真を撮るならば、同じように葉に覆われた桜の木も美しいと感じて写真を撮らなければならないはずです。




しかし、私のスマートフォンには、葉でおおわれている桜の木の写真はありません。自分にとって都合の良い写真だけを選んで撮影した写真だけがスマートフォンに収められているのです。このような写真ばかりが収められ、”なにげない日常”に感謝をするような写真を撮影していない私は未熟だと感じます。




これからは、光合成を一生懸命行っている、この季節の桜の木を見て、その中に満開の花を見出すような心で日常を過ごしていきたいと思っています。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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