なぜ、お葬式やお通夜で剃髪をするの?

葬儀・葬式(仏式)では、剃髪【ていはつ】を行うことがあります。
東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。
臨済宗の葬儀でも剃髪の儀を行います。
地域によって習慣は様々で、実際に髪を剃る地域もあるそうですが、東光寺では儀式のみを行います。
剃髪の儀を行うときには剃髪偈【ていはつげ】というお経を唱えます。
剃髪偈は
剃除鬚髪(ていじょしゅはつ)
当願衆生(とうがんしゅじょう)
永離煩悩(ようりぼんのう)
究竟寂滅(くぎょうじゃくめつ)
というお経であり、意味は
髪や髭を剃るときに
私はありとあらゆるもののために願います
皆が煩悩から離れることを
そして、心静かな世界へとたどり着くことを
となります。
この剃髪偈というお経は、私達僧侶は普段から髪を剃るときにお唱えしていますのでなじみ深いものです。
しかし、一般の方で普段から髪を剃る人は多くありませんし、剃髪偈を唱えながら髪を剃っている人はかなり少ないと思います。
なぜ、なじみがない剃髪偈を唱えるのでしょうか。
私は葬儀で剃髪をする理由を
「亡くなられた方は、お釈迦様の御弟子様として旅立ちます。ですから剃髪を行います。実際に剃る地方もありますが、このあたりでは儀式としています。」
と説明をしてきました。
では、その際になぜ剃髪偈を唱えるのでしょうか。
それは、ある願いを込めるためだと私は考えています。
大切な方を亡くした私達がこのお経に込める願いとはなんでしょうか。
大切なお経を私のような未熟者が勝手に訳してはいけないのかもしれませんが、私は
剃除鬚髪(ていじょしゅはつ)
髪も髭も伸びなくなり、剃り落とす必要が亡くなってしまった
当願衆生(とうがんしゅじょう)
大切なあなたのために願います。
永離煩悩(ようりぼんのう)
あなたの心が煩悩の苦しみから永遠に離れ
究竟寂滅(くぎょうじゃくめつ)
いつまでも安らかであることを
という思いでお唱えしています。
そして日常に戻ったとき、剃髪偈が伝えてくれる、「私達自身が煩悩から離れることの大切さ」を忘れることがなければ、亡くなった大切な方の心と同じ心になれるのです。
同じ心となるのですから、心を一つにすることができるのです。これが、
「亡き人の 美しい心を 受け継ぐことが 供養である」
とも表現される供養の心だと私は考えています。
そして、この心になるからこそ大切な方のことを、忘れないで共に生きていくことができるのだと信じています。