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施餓鬼会【せがきえ】 令和2年 開催報告



東光寺(静岡市清水区横砂)では、毎年8月7日は、ご先祖様をはじめ、すべての霊を供養する山門大施餓鬼会(さんもんだいせがきえ)を行っています。





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例年は多くの和尚様方、檀信徒の皆様でお参りをするのですが、コロナウイルス感染拡大の影響を考慮し、今年の僧侶は住職と副住職の2人で法要を行いました。




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檀信徒の皆様は「何時から」と決めてしまうと密になってしまうので、都合の良い時間に来て下さるように呼びかけました。






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今年の施餓鬼の飾りつけです。



写真の中にお参りをしていただくときにお供えする”洗米”と”水”も用意しましたので皆様に水向け【みずむけ:洗米やお水をお供えする】をしていただきました。





施餓鬼とは、餓鬼【がき】に施す【ほどこす】と書きます。


餓鬼とは満足をすることを知らず、貪り続ける状態のことを言います。


私は「餓鬼」というとお腹がポコッと出てひたすら何かを食べ続ける妖怪のような生き物を思い浮かべていました。漫画や挿絵でみる餓鬼という妖怪の姿を思い浮かべていました。


確かに餓鬼とは感謝することも満足することも知らないで、欲望に振り回される者のことです。しかし、餓鬼はどこか遠くにいる特別な妖怪ではありません。欲望に振り回される私たちの心の中にもいるのです。


「施」という字は見返りを求めない気持ちも表していますので、見返りを求めず餓鬼に洗米と言って洗ったお米やお水をお供えし供養すると同時に水一滴・お米一粒でも満足することができるはずの自分の心を見つめ直す法要が施餓鬼会なのです。




多くの地域で昔から行われてきた習慣ですので、菩提寺などで御縁のあるお寺などで

「お施餓鬼があるよ」

と言われたら、積極的に参加しお参りをしていただければと願っています。

いつもと同じ施餓鬼会 いつもと違う施餓鬼会

東光寺(静岡市清水区横砂)では毎年8月7日に施餓鬼会【せがきえ】を行っています。



施餓鬼とは、餓鬼【がき】に施す【ほどこす】と書きます。


餓鬼とは満足をすることを知らず、貪り続ける状態のことを言います。


餓鬼はどこか遠くにいる特別な妖怪ではありません。欲望に振り回される私たちの心の中にもいるのです。


「施」という字は見返りを求めない気持ちも表していますので、見返りを求めず餓鬼に洗米と言って洗ったお米やお水をお供えし供養すると同時に水一滴・お米一粒でも満足することができるはずの自分の心を見つめ直す法要が施餓鬼会なのです。




※以前、施餓鬼についてまとめた記事はこちらです。



施餓鬼会は毎年恒例の行事です。


多くの和尚様に出頭していだき、多くの檀信徒の皆様と共にお参りをしていました。


準備も毎年同じようにやってきました。


8月5日に多くの方に協力していただいて本堂や書院など準備をしてきました。


今年はコロナの影響で同じようにはできません・・・


準備も妻と2人でしました。




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施餓鬼台を出して供物を供え、本堂を掃除する。





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ここまでは変わりありません。



変更点は、今年はイスを並べなりということです。


檀信徒の皆様のお参りは、好きな時間に各々お寺に来ていただき、到着しだい順次お参りしていただくためです。





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その影響で塔婆の並べ方も大きく変更しました。


いつもなら和尚様方が座る場所に塔婆を並べていると、少し寂しい気持ちになります。




しかし、大切な施餓鬼の法要を行えないわけではありません。


いつもと同じように準備した施餓鬼台や、いつもと違う並べ方をした塔婆を見ながら、


今年も法要を務めさせていただくことができる御縁に感謝し、今できることを精一杯務めていこうと感じています。

浜施餓鬼を開催報告 【令和元年】

500浜施餓鬼令和元年1



前日の夜に西日本を通過した台風10号の影響で、夜中には大量の雨が降り、明け方になってもどんよりとした空模様で法要中も土砂降りの雨が降りましたが、今年も無事に浜施餓鬼が開催されました。

そんな強い雨の中ですが、地域の方、御詠歌の方、子供坐禅会参加者など多くの方が浜施餓鬼【はませがき】のお参りに来てくださいました。




毎年8月16日は地区の大切な行事である浜施餓鬼が行われています。




東光寺は静岡市清水区横砂という地にあります。



この横砂地区で1年に1度行われているのが 浜施餓鬼【はませがき】という法要です。



横砂には現在の袖師埠頭があるところに大きな砂浜があり漁業も盛んな地域でした。また、昭和の時代までは海水浴場があり、夏にはJRの臨時駅も開設され大変なにぎわいだったそうです。


この海で毎年開催されているのが 浜施餓鬼  という 


漢字の通り


「浜」で行う「施餓鬼」です。


施餓鬼とは亡くなったご先祖様や縁のある方、そして縁のない方まで全てをお参りする法要です。法要では餓鬼に洗米と言って洗ったお米やお水をお供えし供養すると同時に水一滴・お米一粒でも満足することができるはずの自分の心を見つめ直す法要です。


一般的な「施餓鬼」では、各寺院の檀信徒の御先祖様をお参りしますが、浜施餓鬼では海で亡くなった方を御供養します。



500浜施餓鬼令和元年2





砂浜があった時代は砂浜で、その後も海の近くの公園で行ってきましたが、十数年前から東光寺の本堂で開催をしています。


今年も参加者と共に海の方角に向かいお参りをさせていただきました。


自治会長さんをはじめ、担当をしてくださった地域の方などが中心になり準備をしていただき多くの方がお参りをしてくださいました。



500浜施餓鬼令和元年3



子供達に地域の行事を経験してほしいと考え、夏休みの子供坐禅会に出席をしてくれている子供達や保護者の方に声をかけさせていただいたところ、多くの参加者が浜施餓鬼に参列してくれました。




参列者と一緒にお経をお唱えし、御詠歌【ごえいか】、そして回向【えこう】をさせていただきました。


子供達は坐禅会以外のお寺の行事へ参加する経験があまりありませんが、立派にお参りをしてくれました!

餓鬼の喉を広げる!


500餓鬼 こまめ


先日のブログで


あの旗にはなんて書いてあるんですか?? 【施餓鬼】


と題して、施餓鬼会で掛けられている旗を紹介させていただきました。



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施餓鬼の由来になった救苦焔口餓鬼陀羅尼経【ぐくえんくがきだらにきょう】に


「清らかな器の中に清らかな水を入れ、重湯や餅、飯などを少しばかりその中に入れて
4人の仏様(多宝如来【たほうにょらい】、妙色身如来【にょうしきしんにょらい】、広博身如来【こうはくしんにょらい】、離怖畏如来【りふいにょらい】)の名前を唱えなさい。」



と書いてあり、その仏様の名前が旗にかいてあります。



と紹介をしました。※記事はこちらです。



このお経には、この4人の仏様の名前を唱えると何が起こるのかも書いてあります。





多宝如来【たほうにょらい】
積み重ねてきた物惜しみの悪業を打ち破り、罪障を消滅させる


妙色身如来【にょうしきしんにょらい】
餓鬼の醜く卑しい悪しき姿を打ち破ることで、そのまま仏のような美しい姿を完全に具えることになる


広博身如来【こうはくしんにょらい】
餓鬼の喉を広げて、施した食べ物を食べさせ満腹にさせることができる。


離怖畏如来【りふいにょらい】
畏れ【おそれ】を取り除き、餓鬼の世界から離れることができる。





とあるのです。



このことを知ったとき、広博身如来【こうはくしんにょらい】餓鬼の喉を広げて、施した食べ物を食べさせ満腹にさせることができる。



という部分が印象に残ったことを覚えています。




餓鬼がなぜ、食べ物を食べられないのか!?



これまで考えたこともありませんでした。



しかし、お経には餓鬼の姿もしっかりと記さされているのです。




やせ細り、衰え、

憔悴しきって極めて醜く

口の中で火が燃え、

喉が針先のようで、

頭髪が乱れ、

爪と歯が長く鋭い






と書いてあるのです。




喉が細いと言うことは、今の私の姿そのものだと感じます。



食べ物を食べるための喉ではありません。



餓鬼の喉は「教えを受け入れる心の道」だと私は考えています。



我以外皆我師【我以外 みな 我が師】



という言葉にあるように、本来であれば自分以外から大いに学ぶことはたくさんあるはずです。



しかし、私はついつい師匠を選り好みしてしまいます。



「あの人は実績があるから 言っていることは正しいだろう」


「あの人は たいした仕事をしていないから どうせ言っていることは間違っている」



などと、分別をしてしまっています。



この自分の都合に合わせて いろいろと選り好みする姿こそが 喉の細い餓鬼の姿だと感じます。





しかし、喉を広げて、施した食べ物を食べさせ満腹にさせることができるように、「教えを受け入れる心の道」も広げることができると信じています。

あの旗にはなんて書いてあるんですか?? 【施餓鬼】

500施餓鬼 旗1807203


「あの旗にはなんて書いてあるんですか??」



と、施餓鬼【せがき】の法要に初めて参加される方に聞かれることがあります。
※施餓鬼について詳しくはこちらをご覧ください。



500施餓鬼 旗1807201


確かに見慣れない旗がかかっています。



500施餓鬼 旗1807202




しかも漢字が書いてある。




無病息災、諸縁吉利、心願成就




などの言葉なら、普段は使わなくても漢字を見れば何となく意味が分かります。




しかし、これらの漢字はあまりになじみがないかもしれません。




実は、施餓鬼の由来となっているは




救苦焔口餓鬼陀羅尼経【ぐくえんくがきだらにきょう】というお経です
※由来についてはこちらをご覧ください。



短く、強引にまとめると、施餓鬼は



欲張る心・むさぼる心を表す餓鬼【がき】に食べ物などをお供えする法要です。





そして、お供えすることで自分自身の中にある餓鬼の心と向き合う法要なのです。



そして、気になる旗には仏様の名前が書いてあるのです。




それが、

多宝如来【たほうにょらい】

妙色身如来【にょうしきしんにょらい】

広博身如来【こうはくしんにょらい】

離怖畏如来【りふいにょらい】






です。





それぞれの最初に書いてある「南無【なむ】」は尊敬する、敬う、大切にする、帰依するなどの意味がある言葉です。



ですから、「南無多宝如来」であれば



多宝如来に帰依いたします。多宝如来を大切に拝みます



といった意味になるのです。



なぜ、この4人の仏様の名前が書いてあるのかと言えば、



施餓鬼の由来になった救苦焔口餓鬼陀羅尼経【ぐくえんくがきだらにきょう】に次のような教えがあるからです。




仏は阿難に言われた

「阿難よ、もしこの食べ物を施す作法を実施しようとするならば


清らかな器の中に清らかな水を入れ、重湯や餅、飯などを少しばかりその中に入れて


4人の仏様(多宝如来【たほうにょらい】、妙色身如来【にょうしきしんにょらい】、広博身如来【こうはくしんにょらい】、離怖畏如来【りふいにょらい】)の名前を唱えなさい。






この4人の仏様の名前は、施餓鬼の法要中にお唱えする開甘露門【かいかんろもん】というお経の中にも出てきますので、法要に参加しお経をお唱えしたことがある方には目にしたことがあるのではないでしょうか。



施餓鬼の法要では施餓鬼棚【せがきだな】と呼ばれている棚に水や食べ物をお供えします。



そして、その周囲には4人の仏様の名前が書かれた旗を立てるのです。



この姿こそが、仏様が阿難に伝えた



清らかな器の中に清らかな水を入れ、重湯や餅、飯などを少しばかりその中に入れ4人の仏様の名前を唱えなさい。



という教え、そのものなのだと私は考えています。



施餓鬼の法要に参加したとき、揺らめく旗を見たときには



「この旗には仏様の名前が書いてあるんだ!」



と感じて、法要中などに仏様のお名前を唱えていただければ幸いです。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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