ブログやSNSを再開します【2023年(令和5年)7月16日】
私のような未熟な人間が、仏教や禅のことを発信していいのか。
10年以上続けてきた、情報発信が間違っていたのかもしれない。
そのように感じる出来事がありました。
今まで、私は何をやってきたのだろうかと悩むだけでなく、私が今後、仏教や禅のことを発信して良いのか悩みました。

中学校の教員を退職し僧侶として歩み始めた10数年前、友人に
「もっと多くの人にお寺のことを知ってもらいたいんだよね。」
と相談すると
「何を言ってるんだ!?お前はSNSとかやってないだろ、ネットを使ってから悩めよ!」
と言われて、その場でFacebookに登録をさせられました。
登録をした際には
「本当に、こんなものが役に立つのだろか?」
とも考えていましたが、予想よりも多くの反響があり、続けていく決心がつくまでに時間はかかりませんでした。
さらにSNSやブログでの情報発信は、様々なことを勉強しなくてはできません。いつの間にか自分自身の学びになるSNSやブログは大切な存在になりました。
さらに、コロナの流行と共に始めたインターネットを活用したオンライン坐禅会も、SNSやブログで広がりを見せました。
少しでも、多くの方に仏教や禅の教えが伝わっていると信じていました。
しかし、私は遠くばかりを見ていたのかもしれません。
すぐ近くで助けを求めている方に気がついていなかったのです。
すぐ、近くで救いを求めている方に手を伸ばすことができていない自分に気がついたとき、
「こんな自分が情報発信をすることは許されない。」
と感じると同時に、情報を発信することが怖くなりました。
そのため、しばらくの間SNSとブログによる情報発信を休止しました。
休止をする中で、今後はこれらの媒体とどうのように向き合っていったら良いのかを考えました。
そして、その結果SNSとブログを再開する決心がつきました。
悩みに悩んだときに、尊敬する僧侶の言葉を思い出しました。私は一生懸命にお寺のことに取り組むその僧侶に
「なんで、そんなにがんばれるのですか。」
と聞いたことがあります。するとその僧侶は迷うことなく
「私は、今・ここにいる人だけでも救いたいんです。もちろん救いきれるということはありませんが、ただ手は出したいんです。そう思えれば大変だとは感じません。」
と答えられたのです。
救えるか救えないかを考えるのではなく、まずは手を出す。
恥ずかしいことではありますが、忘れていた言葉です。
自分自身が悩み苦しんだときに、ようやくこの言葉を思い出しました。
成果を求めるのではなく、まずはやってみる。
このことは紛れもなく大切なことです。
だからこそ私自身も、成果を求めずに、まずは一歩を踏み出してみたいと思います。
10年以上続けてきた、情報発信が間違っていたのかもしれない。
そのように感じる出来事がありました。
今まで、私は何をやってきたのだろうかと悩むだけでなく、私が今後、仏教や禅のことを発信して良いのか悩みました。

中学校の教員を退職し僧侶として歩み始めた10数年前、友人に
「もっと多くの人にお寺のことを知ってもらいたいんだよね。」
と相談すると
「何を言ってるんだ!?お前はSNSとかやってないだろ、ネットを使ってから悩めよ!」
と言われて、その場でFacebookに登録をさせられました。
登録をした際には
「本当に、こんなものが役に立つのだろか?」
とも考えていましたが、予想よりも多くの反響があり、続けていく決心がつくまでに時間はかかりませんでした。
さらにSNSやブログでの情報発信は、様々なことを勉強しなくてはできません。いつの間にか自分自身の学びになるSNSやブログは大切な存在になりました。
さらに、コロナの流行と共に始めたインターネットを活用したオンライン坐禅会も、SNSやブログで広がりを見せました。
少しでも、多くの方に仏教や禅の教えが伝わっていると信じていました。
しかし、私は遠くばかりを見ていたのかもしれません。
すぐ近くで助けを求めている方に気がついていなかったのです。
すぐ、近くで救いを求めている方に手を伸ばすことができていない自分に気がついたとき、
「こんな自分が情報発信をすることは許されない。」
と感じると同時に、情報を発信することが怖くなりました。
そのため、しばらくの間SNSとブログによる情報発信を休止しました。
休止をする中で、今後はこれらの媒体とどうのように向き合っていったら良いのかを考えました。
そして、その結果SNSとブログを再開する決心がつきました。
悩みに悩んだときに、尊敬する僧侶の言葉を思い出しました。私は一生懸命にお寺のことに取り組むその僧侶に
「なんで、そんなにがんばれるのですか。」
と聞いたことがあります。するとその僧侶は迷うことなく
「私は、今・ここにいる人だけでも救いたいんです。もちろん救いきれるということはありませんが、ただ手は出したいんです。そう思えれば大変だとは感じません。」
と答えられたのです。
救えるか救えないかを考えるのではなく、まずは手を出す。
恥ずかしいことではありますが、忘れていた言葉です。
自分自身が悩み苦しんだときに、ようやくこの言葉を思い出しました。
成果を求めるのではなく、まずはやってみる。
このことは紛れもなく大切なことです。
だからこそ私自身も、成果を求めずに、まずは一歩を踏み出してみたいと思います。