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自己紹介やお知らせなど 【固定記事】

【自己紹介】
氏名:横山友宏 

東光寺 副住職 (静岡市清水区横砂)
袖師保育園事務職員

昭和54年(西暦1979年)誕生。高校まで静岡で過ごし科学にはまって理学部 物理学科卒業。科学の楽しさを伝えたくなり公立中学校勤務(理科担当 時々技術 部活は卓球部顧問)。その後いろいろあって現職です。

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※自己紹介はこちらの記事で詳しくさせていただいています


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親子でプチお寺体験 【写経と精進料理】
2022年7月17日

【仏教豆知識シールの郵送について】
オンライン坐禅会開催にともない、みんなの坐禅会(子供坐禅会)で参加者に配布している坐禅手帳と仏教豆知識シールの郵送を始めました。詳しくはこちらの記事をご覧ください。

子供坐禅会 般若心経シリーズ その13 是諸法空相

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。





600子供坐禅会 般若心経シリーズ その13 是諸法空相 2



「白雪姫」ってどんな話?

と聞かれて、

「カボチャの馬車!?」

と答えたら

「それはシンデレラ!」

と言われたことがあります。



白雪姫は「鏡の話」と言えば「あ~、あの話か!」となると思います。





簡単にまとめると


王様とお妃さまの間にかわいい白雪姫誕生。

しかし、お母さんであるお妃様は病気で亡くなる。

新しく来たお妃様は、自分が美しさしか考えていない。

新しいお妃様は魔法の鏡に「世界で一番美しいのは誰?」と聞いては、「世界中であなたが一番美しい」と答えてもらって喜んでいた。

しかし、白雪姫が美しいお姫様に成長すると、魔法の鏡の答えは変わる。

「世界で一番美しいのは誰?」と聞くと「白雪姫」と答えるようになる。


怒ったお妃様は白雪姫を殺すように家来に言う。

しかし家来は命令に背き、白雪姫をこっそり森の奥に逃がす。

白雪姫はそこで7人の小人(妖精)と楽しく過ごす。

白雪姫がいなくなって安心をした新しいお妃様は再び鏡に質問をする。

「世界で一番美しいのは誰?」

鏡は答える

「白雪姫」

魔法の鏡によって、白雪姫がまだ生きていることを知ったお妃様は白雪姫をだまして毒りんごを食べさせる。

白雪姫は倒れるが、王子様が助けて、その後幸せに暮らす。





と言う話です。


私は、この物語の中で素晴らしい心をもった登場人物がいるように感じています。


それが”魔法の鏡”です。


鏡は質問をしたお妃様に忖度することなく、素直に答えています。


権力を持ったものに質問をされれば忖度をした答えを出したくなるものです。


しかし、”魔法の鏡”は常に正直に答えます。


なぜでしょう?


とても簡単なことです。


”鏡”とはそういうものですから!


仏教の話の中にも”鏡”はよく出てきます。


鏡は全てをそのままに映します。


花を鏡の前に置けば、花を映します。


赤い花を黄色にかえることはありません。


小さな花を大きく見せることもありません。



仏教では忖度なく、ありのままに世界を映す鏡のような心を“仏心”や“仏様のような心”、“悟り”など様々な名前をつけて大切にしています。

そして、そのような心を誰もが持っていると言います。


般若心経の是諸法空相【ぜ しょう ほう くう そう】は、「すべての本質は空である」と教えてくれています。


前回までの記事でも紹介をしているように
※前回の記事はこちらです。
https://blog.tokozenji.net/blog-entry-3319.html


「空【くう】」とは、「かたよらず、こだわらず、とらわれない心」です。


全ての人が、この「かたよらず、こだわらず、とらわれない鏡のような心」を持っているのです。


だからこそ、私達は鏡のように世の中を見なくてはいけないのです。

もちろん簡単なことではありません。

鏡に汚れが付いたり、曇っていれば、ありのままに映すことはできません。

掃除をしなくてはいけません。

同じように心も掃除が必要です。

その、掃除方法の一つが坐禅です。


さぁ、身体と呼吸と心を調えて、本来持っている鏡のような心を大切にしていきましょう!!!


600子供坐禅会 般若心経シリーズ その13 是諸法空相

子供坐禅会 般若心経シリーズ その12 受想行識亦復如是

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。





突然ですが、問題です。


 一休さんと言う名前の 和尚様がオレンジ色の服を着ています。この和尚様の 名前は何ですか?



600子供坐禅会 般若心経シリーズ その12 受想行識亦復如是



え、簡単すぎる??


そうですよね。


「一休さん」って言っているんだから、答えは「一休さん」ですよね。


オレンジ色の服でも、青色の服でも、黒色の服でも、何を着ても一休さんは、一休さんですよね。






なぜ、こんな問題を出したかと言いますと、一休さんの有名な話を紹介したいからです。




トンチで有名な一休さん(一休禅師)は禅宗の和尚さんです。


ある日、一休さんがお金持ちの家にお経を読んで欲しいと頼まれました。


約束の前日に、たまたまその家の前を通ったので、立ち寄ると一休さんの顔を知らない門番が、


「おい坊主、物がほしいなら裏から入れ」


と汚い恰好の一休さんを追い出そうとします。


「いやいや、この家の主人に呼ばれたのだ。」


と言っても門番は中に入れてくれませんでした。



翌日、紫の衣を身にまとい、弟子を連れて門前に立つと、昨日の門番も神妙に頭をさげて迎えています。


奥座敷に通された一休さんは、紫の衣を脱ぎすて


「この一休には、なんの価値もないから紫の衣に、お経を読んでもらったらよかろう~」


と言って衣を置いて帰ってしまいました。





こんなお話が残っているのです。



さっきの問題に多くの人が正解できたように、どんな服を着ていても中の人は変わらないことは多くの人が理解しています。


では、一休さんを追い返してしまった門番だけが特別におかしな人だったのでしょうか?


もちろん違います。


頭では「中身が大事」ということは理解しています。


しかし私達は、どうしても外見にとらわれて本質を見失ってしまうことが多くあるのです。


一休さんは衣を置いていくことで、そのことを伝えようとしてくれています。



般若心経には

受想行識亦復如是 【じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ】

と言う言葉が出てきます。



「目に見える世界だけでなく、心で感じるものも全て「空」である」


という意味です。


600子供坐禅会 般若心経シリーズ その12 受想行識亦復如是2




前回の記事でも紹介したように「空」は

かたよらない心

こだわらない心

とらわれない心



と表現することができます。
※前回の記事はこちらをご覧ください。



かたよらず、こだわらず、とらわれない心に気がつくことができれば、どんな服を着ていても、一休さんを一休さんだと見ることができるのです。


もちろん、これは見た目だけの話ではありません。私たちは外見だけでなく、自分の感じていること、自分が考えていること、自分がやろうとしていること、それらにもとらわれてしまいがちです。





だからこそ、



「それじゃダメだよ!!」



と般若心経では受想行識亦復如是 【じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ】と教えてくれています。




もちろん、簡単なことではありません。


しかし、そのような素晴らしい心を誰もが持っているとも仏教では説いています。


その心に気がつくことが坐禅です。




さぁ、身体と呼吸を調えることで、素晴らしい心に気がついていきましょう!

子供坐禅会 般若心経シリーズ その11 空即是色

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。





600子供坐禅会 般若心経シリーズ その11 空即是色1



この曲がりくねった松を まっすぐに見たものに、褒美をとらせよう



トンチで有名な一休さんこと、一休宗純という和尚様が実際に言ったと言われている言葉です。


見事なくらいに曲がった松を見て、そこに住む村人に一休さんは

「この曲がりくねった松を まっすぐに見たものに、褒美をとらせよう」

と言ったそうです。


村人たちは、遠くから見たり、近くから見たり、または下から見たりと、いろいろ試してみますが・・・

どう見ても曲がっています。

そんな、様子を見ていたひとりの子供が

「この松、曲がってるね!」

と言うと、一休さんは「その通りだ!あなたは、松をまっすぐに見ることができた。」と子供をほめて褒美を与えたそうです。


600子供坐禅会 般若心経シリーズ その11 空即是色2




”まっすぐ”という言葉を素直に受け取った子供と、自分の価値観に当てはめてしまって悩んだ大人の姿を描いた逸話だと感じます。





仏教の言葉に「空【くう】」というものがあります。


詳しく説明しようとすると、難しくなってしまいますので、薬師寺と言うお寺の住職を務められた高田好胤師の言葉を紹介します。


高田好胤師は「空」を




かたよらない心

こだわらない心

とらわれない心





と表現されました。


このような素晴らしい心を誰もが持っていると仏教では教えてくれています。



しかし、私達の心は、かたより、こだわり、とらわれてしまいがちです。



かたよった心はやがて、思い込みを生じさせてしまい、その思い込みが差別をする心を生み出します。



同様に


こだわってしまう心も、”こうでなければいけない”という心を生み出し、理想との違いに悩み、やがては理想につぶされてしまいます。


とらわれの心も、過去にしばられる心となり、心身の身動きが取れなくなってしまいます。




このような心で松をまっすぐ見ようとしたとき、場所を変えたり、松を伸ばそうとしたり、”外側”を変化させようとしてしまいます。


松をまっすぐに見たいならば、かたより、こだわり、とらわれてしまう自分の心、つまり”内側”を変えなくてはいけません。





かたよりがちな心は、広い世界を見ることで自分のかたよりに気がつくことができます。


こだわってしまう心は、精一杯努力をしてから「ま、いっか!」と声に出すことで、心がほどけていきます。


とらわれがちな心は、静かに息を吐き出すことを繰り返すことで、少しずつ解放されていきます。





もちろん、これらの実践だけが素晴らしいのではありません。


かたよらず、こだわらず、とらわれない心を実感するための大切な実践の一つが坐禅です。


身体を調え、呼吸を調え、心を調える


これが坐禅であり、自分の心をまっすぐに見る実践です。


さぁ、これから一緒に坐禅をしていきましょう!!



600子供坐禅会 般若心経シリーズ その11 空即是色3

子供坐禅会 般若心経シリーズ その10 色即是空

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。





600法話用 般若心経に学ぶ 10 色即是空


「自分の価値」は何で決まるのでしょうか?



幼少期の私は「自分の価値」というものがわからず、悩み続けた時期がありました。

誰かと比較されるたびに「お前には価値がない」と言われているように感じました。




その頃の私は「自分の価値」を、何かと比較して決めてしまっていたように思います。




あの人よりも努力をしているから、自分には価値がある。

あの人よりも努力をしていないから、自分には価値がない。

あの人はたくさんのお金を持っているから価値がある。

あの人はお金が無いから価値がない。


本当に、そのようなことで価値が決まるのでしょうか?


たくさんお金を持っていても、死んでしまったらあの世へお金を持っていくことはできません。

もしもお金や持っている物でその人の価値が決まるのであれば、亡くなった人はみんな無価値になってしまいます。


「大切な人でも亡くなったら、その人は無価値ですよ」


とはなりません。




と言うことは、人の価値は”お金や物”で決まることは無いのです。



そのことを



『大切だと思い込んでいる宝物を持ってこの世を去ることはできない。見えているモノは空であり、実体などない』


と般若心経の中にある色即是空【しきそく ぜくう】という言葉が教えてくれています。






では、「空・実体がない」ということは「みんなが無価値」と言うことなのでしょうか?


もちろん違います。


「空」とは何でしょうか?


薬師寺の高田好胤和尚は般若心経の空を


かたよらない

こだわらない

とらわれない




と紹介しています。




「あらゆるものが空」ということは、

このような、「かたよることなく、こだわることなく、とらわれることがない心」も「空」であり、この心を誰もが持っていると仏教では説くのです。




誰にでも、かたよることなく、こだわることなく、とらわれることがない心で物事を見ていくことができると説いているのです。



もしも、「自分の価値」というものを知りたいのならば、自分の財産等は調べる必要などありあません。



誰にでも、かたよることなく、こだわることもなく、とらわれることもない素晴らしいものを持っているのだから、誰もが「自分の価値」は∞(無限大)なのです。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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