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自己紹介やお知らせなど 【固定記事】

【自己紹介】
氏名:横山友宏 

東光寺 副住職 (静岡市清水区横砂)
袖師保育園事務職員

昭和54年(西暦1979年)誕生。高校まで静岡で過ごし科学にはまって理学部 物理学科卒業。科学の楽しさを伝えたくなり公立中学校勤務(理科担当 時々技術 部活は卓球部顧問)。その後いろいろあって現職です。

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親子でプチお寺体験 【写経と精進料理】
2022年7月17日

【仏教豆知識シールの郵送について】
オンライン坐禅会開催にともない、みんなの坐禅会(子供坐禅会)で参加者に配布している坐禅手帳と仏教豆知識シールの郵送を始めました。詳しくはこちらの記事をご覧ください。

昔話に学ぶ 分福茶釜 その4 一呼吸(間)の大切さ

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。




昔話に学ぶ 分福茶釜 その4 一呼吸(間)の大切さ


600分福茶釜4




分福茶釜シリーズ その4です。


東光寺には頂上に観音様を祀った観音山があります。


この山を登っている時に、うっかりするとビックリして声が出てしまう場所があります。


それは、いつ行っても蛇がいる場所です。


私は蛇が苦手です。ですから、蛇に出会ってしまうと声が出てしまいます。


でも、実はここに蛇はいません。竹の根っこが土から出ていて蛇に見えるのです。


落ち着いて見れば竹の根だと分かるのですが、慌てていると蛇に見えて声が出てしまうのです。


そして、驚いて声が出るだけならいいのですが、驚いて坂道でバランスを崩せば転んだりケガをしてしまいます。




では、ケガをしないようにするにはどうしたら良いのでしょうか。


それは、竹の根を竹の根だと分かれば良いのです。


もちろん、知識は大切です。「あそこに竹の根がある」と知っていれば驚きません。


しかし、知っていても慌てていれば、つまり心が乱れていれば、せっかくの知識も役には立ちません。




大切なのは心を調えることです。


今、皆さんと一緒にしている心を調える坐禅がとっても大切なのです。


心を調えて山を登れば、竹が竹に見えるのです。竹が竹に見えれば驚いてバランスを崩してケガをすることがない。


同じように、心を調えて普段の生活をすれば、周囲のものを正しく見て、正しく感じることができます。そうすれば人生のバランスを崩してケガをすることもありません。





そんな、ことを教えてくれている場面が分福茶釜にあります。


前回までで、和尚さんが気味悪がった茶釜をくず屋の男が貰うこと。そして、その茶釜はタヌキが化けたもので、茶釜に化けたタヌキが男の食事を隠れて食べたけど男はみごとに「あきらめた」という場面まで紹介をしました。


今回はその続きです。


ご飯を勝手に食べたのに怒らずに寝ようとする男を見て茶釜に化けたタヌキは男に声をかけました。


「すいません、私が食べました。」


そして、タヌキは茶釜からタヌキの手足・しっぽ・頭を出しました。


しかし、びっくりした男は気絶をしてしまいます。


気絶した男をタヌキは看病しました。


やがて気がついた男にタヌキは魚を食べてしまったことを謝りました。


男はタヌキの話を聞くことにしました。



この場面を見て、


「そんなはずはない!!」


と怒る人はあまりいません。だからこそ、この場面が時代が変わっても伝わっているのです。


「え、何を言っているのか分からない」ですか?


私はこの場面で、気絶した男が目を覚ましたとき、タヌキが看病していることやタヌキが喋っていること、さらにタヌキが茶釜と一体になっているのに、素直に話しを聞くことができているのが素晴らしいと思います。



そして、この場面が、そのまま受け継がれてきたことが素敵だと思います。



タヌキが化けて喋るという、驚くような場面に出会ったとき、初めて見たときには気絶するほど驚いた男が、いったん眠って目を覚ますと、そのことを受け入れているのです。



落ち着けば、現実を受け入れることができる



ということを教えてくれているのです。もちろん「落ち着けば」です。



そして、そのことを昔の人も、現代に生きる人も、同じように感じているか、大切なことを教えてくれていると感じるからこそ、この場面もそのまま受け継がれているのです。


もちろん、何かあったら気絶して心を落ち着かせろと言うことではありません。


坐禅会に参加しているみなさんはすでに、心の落ち着かせ方を知っています。


では、その実践を一緒にしていきましょう。



身体を調え、呼吸を調える。

背中を伸ばして、ゆっくりと息をする。

そうすると自然に心が調っていくことを実感することができます。

それでは、2回目の坐禅を始めましょう。




600仏教豆知識シール 420-431 昔話シリーズ 分福茶釜4

昔話に学ぶ 分福茶釜 その3

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。




昔話に学ぶ 分福茶釜 その3 【「受け入れる」心】

600分福茶釜 3


分福茶釜シリーズ その3です。


皆さんは あきらめが良い方ですか?


私は悪いです。



分福茶釜では「あきらめる」ことが尊いことを教えてくれている場面があります。


昔ばなしは”良くない見本”となる人と、”良い見本”となる人からできていることが多くあります。


分福茶釜では”良くない見本”が前半の和尚さん。そして”良い見本”がくず屋さんです。くず屋とは現代の中古品の販売をしている人と思っていただければ分かりやすいかもしれません。



貧乏だったくず屋さんは、突然和尚さんから茶釜をもらって大喜び。


「こんな素晴らしい茶釜を貰えるなんて」と家に帰って一人でお祝いをしました。


用意したのはたっぷりのご飯と尾頭付きの豪華な魚。


しかし、食べようとしたら魚が消えてしまいました。




家には誰もいません。


ですから、魚が消えるはずはありません。


そうです、茶釜に化けたタヌキが食べたのです。




あるはずのものが、無くなった。


みなさんなら、どうしますか。


私なら探し回ります。


それでも見つからなければ、パニックです。


イライラしながら、あっちを見たり、こっちを見たり・・・




しかし、くず屋さんは違います。


「はて、おかしいな」と言って寝ようとするのです。


そうなんです。魚が無くなったことを受け入れたのです。


「受け入れる」ことは「あきらめること」です。あきらめるというと、あまり良い意味で使われませんが、実際には素晴らしい心なのです。


試合や、勉強、仕事をあきらめるのは良くありませんが、今回の「受け入れる」・「あきらめる」は「物事をありのままに見る」という姿なのです。





坐禅をして、身体を調え、呼吸を調えると、心が調います。調った心で周囲を見渡せば、見え方が変わります。


この見え方が「ありのままに見る」ことであり、「受け入れてあきらめる」ことなのです。


無くなった魚をいくら探しても出てきません。それよりも、そのことで心悩ますよりもしっかりと寝たほうが心が休まります。


そんな大切なことを教えてくれている場面です。




600仏教豆知識シール 420-431 昔話シリーズ 分福茶釜3

昔話に学ぶ 分福茶釜 その2 【百回の説明と一回の体験】

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

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昔話に学ぶ 分福茶釜 その2 【百回の説明と一回の体験】




600【昔話】71分福茶釜



分福茶釜シリーズ その2です。


前回は和尚さんが悪い見本となって、「あれも欲しい、これも欲しい」と欲張ってしまう話しをしました。


今回は、その続きです。


残念ながら、まだタヌキ(茶釜に化けたタヌキ)は芸をしません。


そして、今回も和尚さんが悪い見本になってくれる場面です。


タヌキが化けた茶釜が少し臭いことに気がついた和尚さんは小僧さん達に「茶釜を洗いなさい」と言います。小僧さん達にとっては余計な仕事です。


和尚さんが見ていないところで、雑に洗います。


手を使うことすら面倒なので、水をかけて足でゴシゴシ洗います。


今回の教訓は「大切な物を足で洗ってはいけない」ということではありません。


では、何を感じて学べば良いのでしょうか。


話しは続きます。足で洗っていると、茶釜が思わず「いたいなぁ」と声を出してしまいます。


小僧さん達は驚きます。喋るはずがない茶釜から声が聞こえれば多くの人が驚きます。


小僧さん達は慌てて和尚さんに報告をしました。


しかし、和尚さんは信じません。それどころか


「私も茶釜の声を聞いてみたかったなぁ」と小僧さん達に嫌味まで言いました。


そして、「心を込めずに茶釜を洗ったりするから聞こえるはずのない声が聞こえるんだ。もっと修行をしっかりしなさい。」


とまで、言うのです。


小僧さん達は、確かに茶釜の声を聞いているので納得はできませんが、和尚さんには逆らえません。


次に和尚さんは小僧さん達に「洗った茶釜を火にかけなさい。お湯を沸かしてお茶を飲んで、心を落ち着けなさい」と言いました。


小僧さん達が言われるままに、茶釜を火にかけました。


すると茶釜が「あつい あつい」と叫んで火から降りてしまったのです。


和尚さんは茶釜が喋って動いたことに驚き、茶釜を通りかかった”くず屋”さんにあげてしまったのです。


今日の分福茶釜の話しはここまでです。


この部分から何を学んだら良いのでしょうか。



それが「冷暖自知(れいだんじち)」です。



冷暖自知は禅の言葉です。


単純に説明すると、「何事も体験しなければ分からない!」と言うことです。


今回も和尚さんが悪い見本をしてくれています。


和尚さんは、小僧さん達が実際に経験したこと「茶釜がしゃべる」ということを聞いても信じませんでした。


その気持ちは分かります。


では、なぜ小僧さん達が嘘を言っているわけではないのに信じなかったのでしょうか。


それは、自分が体験をしていなかったからです。


和尚さんが、これまでに喋る茶釜と出会っていれば、小僧さん達の言うことを信じることができたはずです。


しかし、体験したことがないから、信じられないのです。





このことはとても大切なことを教えてくれています。


例えば、和尚さんが別の小僧さん達に茶釜を洗わせたらどうなったでしょう。


また、茶釜が喋ったと小僧さんが訴えても、信じません。


さらに、別の小僧さんが言っても結果は変わらないでしょう。


何回も小僧さんが訴えても、その回数だけ「心を落ち着けなさい」と言ったことでしょう。




しかし、たった1回 和尚が茶釜の声を聞けば結果は大きく変わります。


私達も、この和尚さんと同じではありませんか?


つい、自分が知っていることだけが正しいと思って判断をしていませんか。


「そうなってはいけないよ!」


と、和尚さんは教えてくれています。



600仏教豆知識シール 420-431 昔話シリーズ 分福茶釜2


昔話に学ぶ 分福茶釜 その1

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

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昔話に学ぶ 分福茶釜 その1




600分福茶釜1




これからしばらく分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)という昔ばなしを紹介しながら、この話しから何を学んでいけるかを考えて行きたいと思っています。


みなさんは分福茶釜という話しを聞いたことがありますか?


私は、今回分福茶釜の話しをすることを決めてから本などを読みなおしました。


正直に言うと、「茶釜からタヌキが顔を出して綱渡りをする話し」という認識しかありませんでした。


しかし、改めて読んでみると学ぶべきものがつまった話しでした。


やっぱり、長い時間受け継がれてきたものには、受け継がれてきた意味があり、誰かに伝えたくなる中身があるものです。




分福茶釜は大きく分けると2種類の話しがあるようです。


茶釜にばけたタヌキが芸をしてみんなを喜ばせるという部分はどの話しも同じですが、前半と最後に多少の違いがあります。


違いはお寺の和尚が茶釜を手に入れる場面や、茶釜に化けたタヌキが病気で亡くなるか亡くならないかという部分です。


どちらが正しいということはありませんが、今回は30年以上前に日本昔話で放送された最後にタヌキが病気で亡くなってしまうものを紹介させてもらいます。



ですから話しを聞いていくと

「あれ、その部分は少し違うんじゃないか」と感じる部分があるかもしれませんが、「あ~、そういう分福茶釜もあるんだぁ」と感じながら話しを聞いてください。




分福茶釜のあらすじは

和尚が茶釜を手に入れる

不気味な茶釜だと感じる

茶釜をくず屋(リサイクルショップ)に渡す

分福茶釜こと、たぬきが化けた茶釜とくず屋が協力をして大儲け

分福茶釜引退



と言うものです。



皆さん、御存じの通り昔ばなしには、とってもいい人と、その反対の人で物語が構成されており、分かりやすくできています。



今回の”そうでない人”はお寺の和尚さんです。


分福茶釜の話は和尚さんが立派な茶釜を手に入れるところからはじまります。


そして、物語を読んでいる人に分かりやすく「この和尚はだめだなぁ」と思われるために、本来は和尚としてやってはいけないことをあえてするのです。



それは、何か。


茶釜を次から次に買ってくる! そして、小僧(弟子)の言うことを信じないのです。


この2つの愚かな行為をすることで、物語の構成上必要な”ダメな人”が和尚だと印象付けているのです。



小僧(弟子)の言うことを信じないことについては次回紹介をしますが、今回は「茶釜を次々に買ってくる」と言うことについて話しをさせていただきます。




禅の言葉に執着(しゅうじゃく)という言葉があります。



普段から使っている言葉としては、執着(しゅうちゃく)と言っています。


禅では執着は煩悩や苦しみの原因と言っています。


そして、この悪いことを”わざと”和尚がすることで「こうなっちゃだめだよ」と教えてくれているのです。


茶釜に執着して、「あの茶釜が欲しい、この茶釜も欲しい、あっちの珍しい茶釜も欲しい」本当は1つあれば良いのに、どんどん欲しくなる。茶釜に執着してしまっています。


やがてこの心は「欲しいのに手に入らないから悔しい」という苦しみになり、「悔しいから盗んでしまえ! だましてでも取ってしまえ」と悪行に繋がっていきます。


そうなってはいけないと、昔話が始まることが多くあります。




この和尚さんを見て、「あいつはだめなやつ」と感じるのか、


それとも、「あ、私にも同じ部分がある」と感じるのか。


落ち着いた心で、この和尚さんの姿を見てみると、今までとは違う見え方があるかもしれません。




今日はみなさん坐禅会に参加をしてくれています。



姿勢を意識して、ゆっくり呼吸をする。すると心が落ち着いてきます。これが坐禅です。


落ち着いた心で、昔話に登場するこの和尚さんの姿と自分の姿を見てみると、どう見えるか・・・


2回目の坐禅をしてみると分かるかもしれません。




600仏教豆知識シール 420-431 昔話シリーズ 分福茶釜1

人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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