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自己紹介やお知らせなど 【固定記事】

【自己紹介】
氏名:横山友宏 

東光寺 副住職 (静岡市清水区横砂)
袖師保育園事務職員

昭和54年(西暦1979年)誕生。高校まで静岡で過ごし科学にはまって理学部 物理学科卒業。科学の楽しさを伝えたくなり公立中学校勤務(理科担当 時々技術 部活は卓球部顧問)。その後いろいろあって現職です。

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※自己紹介はこちらの記事で詳しくさせていただいています


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親子でプチお寺体験 【写経と精進料理】
2022年7月17日

【仏教豆知識シールの郵送について】
オンライン坐禅会開催にともない、みんなの坐禅会(子供坐禅会)で参加者に配布している坐禅手帳と仏教豆知識シールの郵送を始めました。詳しくはこちらの記事をご覧ください。

子供坐禅会 般若心経シリーズ その42 是無上呪

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。






昔、”どっちの料理ショー”という番組がありました。

ゲストの複数の芸能人が食べたい料理を選ぶ番組です。

最高の食材を準備し、一流の料理人が目の前で調理をします。

2つの料理が完成するとゲストはどちらの料理を食べたいか選びます。

多数決で選んだ人が多い方の料理だけが食べられるのです。

ただし、料理を食べることができるのは、多数派の料理を選んだ人だけ。

少数派の料理を選んでしまうと、何も食べることができない。



そんな、番組でした。

毎回素晴らしい料理が紹介されて、テレビの前であふれる唾液を必死に抑えながら見ていた気がします。




素晴らしい食材

素晴らしい料理法や道具

素晴らしい料理人


この3つが揃えば、素晴らしい料理ができることは間違いありません。



600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 2022冬休み8


般若心経というお経の中に


是無上呪【ぜむじょうしゅ】


という言葉があります。


様々な教えがあるが、般若心経より上は無い。すばらしい教えを集めたものが般若心経である。


ということを伝える言葉です。



では、なぜ般若心経がこれ以上のものがないという”無上”なのでしょうか。


そもそも仏教が説く”無上”とは何でしょう。


私は「仏教の無上とは何か」と聞かれたとき「仏法僧【ぶっぽうそう】」と答えます。



600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 2022冬休み9




仏法僧とは


仏:仏様

法:仏教の教え

僧:仲間


の3つが揃っていることです。




般若心経には、

観音様が舎利子【しゃりし】という弟子に、大切なことを教えるお経です。



観音様という仏様が

大切な仏教の教えを

仲間である弟子に伝えているのです。


つまり、般若心経そのものが仏法僧という無上を表しているのです。



だからこそ、そのことを是無上呪【ぜむじょうしゅ】という言葉で伝えようとしているのです。



しかし、是無上呪【ぜむじょうしゅ】は般若心経の素晴らしさだけを示す言葉なのでしょうか。



私は少し違うように感じます。




素晴らしい料理は



素晴らしい食材

素晴らしい料理法や道具

素晴らしい料理人


によって作られます。



食材が痛んでいた、料理方法を忘れたり、料理人が到着しなければ間違いなく素晴らしい料理は出てきません。



どれか一つでも欠ければダメなんです。


般若心経の是無上呪が示す仏法僧は、


「般若心経は最高だぜ!!」


とだけ言っているのではありません。



「般若心経が素晴らしいお経だと言えるのは、般若心経をお唱えする人々が”仏法僧”を忘れないからだ。」


仏法僧も、どれか一つでも欠ければ無上ではなくなってしまいます。


だからこそ、般若心経は是無上呪という言葉で、


仏様、教え、仲間、この3つを大切にすることを誓いながら般若心経をお唱えすれば、


お唱えするあなたが仏様であり、その教えを忘れることはない。そしてその教えを大切にする仲間と生きていくことができる


ということを教えてくれているように私は感じています。

子供坐禅会 般若心経シリーズ その41 是大明呪

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。




ある言葉に救われたことがあります。

4人で会議をしているときに、とっても失礼な発言をされと時のことです。

3人が思わず引いてしまうくらいの言葉でした。

私は、あまりに失礼な発言だったので、対抗して文句を言ってやろうと考えました。相手の言っていることはただの悪口でしたし、反論すれば相手を言い負かすこともできると思っていると・・・

その姿を見た方が私に

「相手と同じ土俵に立ってはいけないよ」

と止めてくれたのです。その言葉を聞いて「私は、悪口を言う人と同じことをしようよしていたのかもしれない」と気がついてハッとしました。



冷静になって考えてみると、とても失礼な発言をした人の心は“道を見失って、暗闇をさまようような辛い状態”だったのです。


その人が道を見失って暗闇をさまよっているからといって、自分も一緒に暗闇に落ちる必要はない。あなたはその人を照らす光とならなくてはいけないと教えてくれたのです。




600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 2022冬休み4

人は簡単に道を見失います。


この写真は何を撮影したものか分かりますか?


実は、道です。



東光寺には観音山という頂上に観音様が祀られている小さな山があります。

しかし、日当たりの良い場所はしばらく放置をすると・・・・

この通り。雑草が生い茂って道が見えなくなってしまいます。


でも道が無くなったわけではありません。

道が見えないだけなのです。




このように道を見失った状態を、仏教では「無明【むみょう】」と呼びます。





600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 2022冬休み5


見えなくなった道ですが、草を刈れば道は見えてきます。






私達の迷い苦しむ心も同じです。



無明という暗闇の中にも光は差し込みます。



真実に気づかずに悩み苦しむ「無明」を照らしてくれる光は何でしょう。



600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 2022冬休み6



仏教聖典という書物に


「無明とは無知のことで、 ものの道理をわきまえないことである。」


と、書いてあります。さらに


正しい智慧のない状態をいう。迷いの根本である無知を指す。煩悩を煩悩たらしめる原動力のようなものととらえられている。


とも書いてあります。



草だらけのこの状態、つまり すぐそこにあるコンクリートの道が見えない状態が「無明」と言います。


そこにあるものを見つけることができず、自分が進むべき道を見失ってしまっているのです。


コンクリートがあると認識できれば その道の周辺にある草を刈っていくことができます。


しかしコンクリートがあることに気がついていないとすれば、そこから動くことができません。


これを仏教の話にすると、


生まれたときから誰しもが仏様のような尊い心をもっていることを知らない、否定することなのです。





般若心経というお経の中に


是大明呪【ぜいだいみょうしゅ】


という言葉があります。般若心経というお経の素晴らしさを伝える言葉であり、


 般若心経の教えは不動明王が闇を照らすような私達を照らす光明である。


と受け取ることができます。




600法話用 般若心経に学ぶ 掲示用パワーポイント 2022冬休み7



般若心経の教えを実践することが、自分の心を照らすことになる。とも言うことができます。


草だらけの道の草を刈れば道を見つけて歩き出すことができる。


心が暗闇になったとき、そこを照らす光が必要です。


その光はどこにあるのか、もちろん誰かに照らしてもらうこともあります。


しかし、自分自身で照らすことができる、それも とっても強い光で照らすことができると般若心経は是大明呪【ぜいだいみょうしゅ】という言葉で教えてくれています。




般若心経の実践の1つが、やはり坐禅です。


生まれたときから持っている素晴らしい心を見つめ直して調えていく実践が坐禅です。


身体を調え、呼吸を調えることで、心が調っていくことを実感するのが坐禅です。



さぁ、一緒に身体を調え、呼吸を調え、心を調えましょう。

子供坐禅会 般若心経シリーズ その40 是大神呪

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。





600是大神呪2




私は子供の頃に友達とケンカをしたことがあります。

職員室で先生に「お互い謝れ」と言われて、お互いに「ごめんなさい。」と口に出しました。

しかし、それでケンカが終わるほど子供の世界は単純ではありません。

終わったと思って気持ちが落ち着いたのは指導した先生の気持ちだけです。

お互いに、お互いを嫌いになっているので長い間ケンカをしました。





1年が経ったある日、ケンカをしていた相手のおばあちゃんが亡くなりました。

私は家族と一緒にお参りに行きました。

お参りが終わると彼は玄関先で「ありがとう」と私に言ったのです。とても心のこもった“ありがとう”だと感じました。

しかし、少し照れくさかったので、この時は何も言わずに帰りました。

数日後に彼が学校で「今までごめんな」と声をかけました。

他人から見たら職員室での謝罪よりも軽く感じるかもしれない彼の言葉でしたが、心がこもっていました。 だからこそ、私も自然と「こっちもごめんな」と心の声が漏れたように感じます。




心をこめた言葉に力があります。


般若心経というお経の中に


是大神呪 【ぜだいじんしゅ】


という言葉が出てきます。




神呪という漢字を見ると「神の呪い!!?」と思うかもしれませんが。

しかし、そうではありません。


神聖で、霊力のある仏の真の言葉という意味です。



つまり、


「般若心経の言葉は、私たちを真実の世界に導いてくれる。般若心経の教えを信じ切って真言をお唱えすれば大きな功徳を得ることができる。」

ということを教えてくれる言葉です。




心を込めた言葉が相手を動かすように、心を込めてお唱えした般若心経は自分も、そして周囲の人にも必ず届くことを般若心経では是大神呪 【ぜだいじんしゅ】と表現しているのです。



では、どうしたら心を込めることができるのでしょうか。

その方法は1つではありません。

その中の1つが心を調えることです。


きれいに手入れがされている畑から素晴らしい作物ができ、しっかりと整った工場で作られる製品の品質が向上するように、
調った心から発せられる言葉に心がこもらないはずがありません。


 

生まれたときから持っている素晴らしい心を見つめ直し、調えていく実践が坐禅です。


身体を調え、呼吸を調えることで、心が調っていくことを実感するのが坐禅です。


さぁ、一緒に身体を調え、呼吸を調え、心を調えましょう。


600法話用 般若心経に学ぶ 是大神呪

インスタで学ぶ、後悔しないお葬式⑨ 引導法語「喝」

お葬式で「喝」を入れられる!? 喝!に込められた想いとは?


【インスタで学ぶ、後悔しないお葬式⑨】

臨済宗のお葬式に参列したときに「かぁぁぁぁつ!!!(喝)」という大きな声を聞いたことがありませんか?
ただ、気合を入れているわけではありません。
され、あの大きな声にはどんな意味があるのでしょうか。




※ここで紹介している内容は東光寺(臨済宗妙心寺派)で行っているお葬式についてのお話です。宗派や地域によって違いがあることを御了承ください。


毎週土曜曜日にインスタ(Instagram・インスタグラム)を更新し、その内容をブログにも掲載しています。



Instagram(インスタ・インスタグラム)はこちらです
※これまでの記事はこちらです。




600インスタ用 お葬式9 引導法語2 喝1


600インスタ用 お葬式9 引導法語2 喝2
600インスタ用 お葬式9 引導法語2 喝3
600インスタ用 お葬式9 引導法語2 喝4
600インスタ用 お葬式9 引導法語2 喝5
600インスタ用 お葬式9 引導法語2 喝6




臨済宗のお葬式では「喝!」と叫ぶ場面があるそうですが、これは亡くなった人に気合を入れる感じで「喝を入れ」てるんですか?



なるほど!トンチンカンなことを言っているわけではないし、核心に触れている訳でもない・・・
なんとも言えない表現だね。



照れるね



喝って何かは分かる?



気合



驚き!!!

これまた、何とも言えない・・・・
喝とは言葉では表現しきれない禅の教えを短く表現したもので、煩悩が消え去った涅槃へと人を導くものなんだよ。



ほーーー
では、「喝」に禅の教えがすべて詰まっていると言ってもいいの???



その通り!
修行をしている人達は禅問答をして悟りの境地へ進むけど、その中にも喝があるよ。
師匠が弟子に対して喝をすることで、弟子が悟るんだよね。



ふ~ん。そもそも「喝をする」というのは「喝!と叫ぶ」と同じことなの?



そうなんだよ!



ってことは、「喝!」と叫ばれて悟ることがある、ということか?



その通りなんです。だからこそ、お葬式の中で亡くなった方に悟って成仏して欲しいと願って「喝!」と叫ぶのです。



そういう意味があったんだね!!!



だから、お葬式で「喝!」って聞こえたら、「あ~、これで亡くなった方が悟ったんだ、成仏したんだ。」と安心してもらえたら嬉しいですね。



そうだね~
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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