仏教は優しくもあり、厳しくもある




私は、誰もが生まれたときから仏様のような尊い心をいただいていることを示す



「 生本来仏なり : しゅじょう ほんらい ほとけなり 」



という温かい言葉に導かれ僧侶になったと思っています。






しかし、仏教の教えは温かいだけではありません。厳しくも感じることがあります。





仏教聖典の中に、こんなお話が紹介されていました。




500仏教豆知識シール 171


お金持ちの女主人は謙虚で親切だと評判であった。


その評判が本物か試すために使用人がわざと失礼なことをした。



初めはわざと半日遅刻した。



女主人は機嫌を悪くしながら注意をした。



そこで使用人は次の日に、わざと遅刻した。



しかもこの日は前日よりもさらに遅刻をした。





すると女主人は怒り、使用人を棒で打った。



このことが知れ渡り女主人はそれまでの良い評判を失った




というお話です。




どんなときでも 静かな心と 良い行いが大切であることを伝えてくださるお話だと感じました。




仏教聖典にはこのお話の最後に次のような一文が残されていました。




自分が置かれている環境が恵まれているときに、善い行いをしてもそれはまことに良い人とは言えない。衣食住にゆとりがないときにこそ、静かな心を持ち、良い行いをしなくては行けない。





かなり厳しい言葉ではあります。



この厳しい教えを実践するからこそ



衆生本来仏なり



という言葉の本当の意味を体感することができるのかもしれないと思いながら、まずは どんな時でも心を調えていくことを実践していこうと改めて感じました・・・

足を踏み外さないために


昨日、東光寺(静岡市清水区横砂)も全国の皆様と同様に大雨に見舞われました。


500大雨170623

境内の保育園も、浸水することはありませんでしたが、教室の近くまで水が来ました。



500大雨1706232




原因は短い時間に急激に大量の雨が降り、川へと続く裏の用水路があふれたことです。



境内の水は用水路へ流れるのですが、用水路がいっぱいなので水はどんどん溜まってしまうのです・・・



裏の用水路は、普段ほとんど水が流れていません。



500大雨1706233



しかし、今回の雨で用水路はあふれ、道路と用水路の区別がつかなくなっていました!



手すりが(ガードレール)があるので、落ちることはありませんが、



もしも手すりがなければ水の中をジャブジャブ歩いていると、用水路に気が付かず流されてしまうかもしれません。



私は幼少期に川で遊んでいて、急に深くなる場所で足をとられて溺れ、偶然近くにいた大人に助けてもらったことがあり、今でも危険を感じる水辺は苦手です・・・





仏教には六道【ろくどう】という考え方があります。



六道とは





地獄
 苦しみの世界です。

餓鬼【がき】
あれも欲しい これも欲しいと 欲張り続ける世界

畜生【ちくしょう】
苦しみが多くて、楽しみがほとんどない。みんなが自分勝手に生きている世界

修羅【しゅら】
いつもケンカをしたり戦争をしている世界

人間界
いろんな悩みをかかえて生きている世界

天界【てんかい】
楽しそうな世界だけど、いつこの楽しい世界から追い出されるかビクビクして過ごす世界






という6つの世界があり、私達はこの6つの世界を生まれ変わり死に変わると考えられています。



そしてもちろん、実際に亡くならないと生まれ変わり死に変わることができないということでもありません。



今、生きているこの瞬間も生まれ変わり死に変わるのです。




川で遊んでいて、油断をすれば急に深くなる場所で足をとられて溺れるように、いつどこで六道の中を生まれ変わり死に変わるかはわかりません。



しかし、道と用水路の間に手すり(ガードレール)があれば誤って用水路に落ちる可能性は少なくなります。





では、人間界で生きている人が突然地獄や修羅の世界などに落ちないようにするためには、どのような手すり(ガードレール)が必要なのでしょうか。




それこそが、これまでに私達に命をくださった御先祖様が残してくれた良い習慣なのだと思います。




朝夕にお仏壇に手を合わせる。季節ごとのお参り、お寺での坐禅や写経、ありとあらゆる良い習慣が私達の手すりになってくれているのです。




雨で増水した用水路を注意深く見ることで、普段はなかなか気が付くことができなかった手すりを見て、その有難さを感じました。そして、それと同時に自分自身の心も溺れることが無いようにしなくてはならないと改めて感じました。

久しぶりに 東光寺のホームページに新たなページが加わりました。

500寺嫁まめこ



平成26年5月に東光寺のホームページを大幅改装してから早くも3年が経ちました。




坐禅会の日程や、寺子屋体験など体験告知等少しずつ変化をしてきましたが、このたび新たなページを加えることができました。




その名も・・・





寺嫁まめこの一言通信
※ここをクリックすると東光寺ホームページへ移動します



です。




寺嫁まめこの一言通信 第1号から最新刊である20号まで全て掲載しています。





寺嫁まめこの一言通信、通称『まめこ通信』はお寺のことをもっと知ってほしいという想いで



「名古屋の普通の家庭で育つも、なんのご縁か、静岡のお寺の副住職と結婚したペンネーム(!?)「寺嫁まめこ」



と自己紹介をする妻が始めました。



ご家族皆さまで読んでいただけるように、できるだけ難しい仏教用語をかみ砕いて書いてくれています。



かみ砕きすぎて住職チェックで書き直しを言い渡されることもありますが・・・




ホームページで紹介しているのは住職チェックを見事にすり抜け、実際に檀信徒の皆まさに配布をさせていただいたものです。




興味のある方は東光寺ホームページ(寺嫁まめこの一言通信)へ移動していただき、画像をクリックしていただければ、記事をご覧いただけます!!





ちなみに最新刊(20号)は平成29年6月発行の「開山忌特集」です。



下の画像をクリックしていただければ大きな画像ファイルでお読みいただけます。
※ホームページは画像ファイルではなくPDFファイルでお読みいただけます。



1ページ目
500まめこ通信020




2ページ目
500まめこ通信0202

大発見は終着駅ではない

500富士山151129



駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠




と、江戸時代に富士山と同じように尊敬された白隠禅師は




大悟十八度、小悟数知らず




と言う言葉を残されています。




500雲と光1




大きな悟りを18回、小さな悟りは数えきれないくらいしたことを示す言葉です。




仏教では「悟り」をとても大切にします。




私のような未熟者は1回も悟ることはできていませんが、悟りこそがゴールだと思い込んでいました。そのため、白隠禅師の




大悟十八度、小悟数知らず




に、かなり驚きました。





そして、先日JJトムソンの言葉を知り、さらに驚きました。




JJトムソンは理系の教科書には必ずと言いていいほど登場する電子を発見したとされている有名人です。




今でこそ、小学生でも当たり前だと考えている




原子は原子核と電子でできている




と、考えた方です。




その、JJトムソンが




大発見というものは けっして終着駅ではありません
それは、今まで知られていなかった区域へ導いていく、大通りなのです






とい言葉を残しています。





当時、誰も知らなかった電子の存在を発見した後に残した言葉です。




私でしたら、誰も知らないことを発見しただけで満足し、ゴールに達した気分になり、さらなる成長はできていなかったはずです・・・





現状に満足することなく努力を積み重ねることの大切はを




白隠禅師はそのことを「大悟十八度、小悟数知らず」と表現し、




トムソンは「大発見というものは けっして終着駅ではありません」





と表現されているように感じます。

やっぱり 科学が仏教(宗教)を観察できるくらいになってきた【忍辱:にんにく】

500達磨 ダルマ 石の上


私は末っ子です。


末っ子は自由に(甘やかされて)育てられるから我慢強さがない


とよく言われます。



あながち嘘ではないかもしれません。私に我慢強さが残念ながらありません。





そんな私は大学時代、理学部物理学科(光化学)で勉強をしていました。



そのころは



「科学こそ最先端で素晴らしい!! 仏教(宗教)なんて遅れている!!」



と本気で思っていました。



今考えると恥ずかしいほどの思い込みです・・・



理系の勉強をした後、仏教のことを学ぶようになると、これまで見えていた世界が変化し始めました。



これまで、科学で仏教(宗教)を見ていなかったので気が付いていないだけで、科学と仏教には密接なつながりがあり、これまで守られ伝えられてきた教えを科学でも少しづつ説明することができるようになってきたと感じるようになってきたのです。



例えば忍辱【にんにく】です。



仏教では彼岸(悟り)の世界に到達するための六つの方法(六つの正しい実践の道)を 六波羅蜜 と呼んでいます。



その六つの方法の中のひとつに忍辱【にんにく】があります。






耐え忍ぶことを意味する言葉です。



仏教では耐え忍ぶこと「ガマン」を大切にしているのです。





「ガマン」することが悪いことで、「ガマン」させないことが良いことと感じる方もいるのではないでしょうか。



育児書や教育関係の書籍には



「怒らない・叱らない」を大切にして、「自由」こそが素晴らしい。ガマンなんてしてはいけない!!



といった内容のものも多く目にします



しかし、ガマンすることを覚えずに大人になってしまい、個性と自己中心的な振る舞いの区別がつかない人が話題になることもあります・・・


先日、プレジデントという本で



我慢強い子は高学歴・高所得者になる



という記事が紹介されていました。



これは、専門家の研究等によって実証された事実です。



詳しい内容をここに掲載することは難しいのですが、



我慢強さや自制心があると、学力が伸びるそうです。




 それは、自制心や社会性がある子は、学校で先生の話にしっかり耳を傾け、懸命に勉強したり、スポーツや習い事をしたりすることができるためです。



さらに




 「重要なことは、自制心や社会性が伸びると学力は伸びるけど、その逆はないということです。」



と断言しています。



学力が伸びたからといって、必ずしも自制心や社会性などが高くなるわけではありません。





「子育ての順番としては、自制心を鍛えるほうが先なのです」





と、紹介されていました。こういった内容を見ても、やはり科学の力で、仏教(宗教)の世界(今回は忍辱)を説明できるようになってきていると感じます。

人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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