極楽への第一歩 【その1】



東光寺(静岡市清水区横砂)で行われている子供坐禅会に参加してくれている小学生が旅行のお土産を持ってきてくれました。




なんと、彼のお小遣いで購入してくれたとのこと。




ありがたく頂戴し、別の日に坐禅会の茶礼【されい】用のお菓子として使用させていただきました。


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禅宗で茶礼と言えば、全員でお茶をいただくことを言いますが、東光寺の坐禅会では



みんなで 姿勢よく お茶を飲む お菓子を食べる



行為だと考えています。





子供坐禅会に参加する子供達にとってお楽しみの時間の1つです。




今年の夏は23日間坐禅会を行いますので、23回茶礼があります。




そのたびに、お茶とお菓子を用意しています。




以前はお菓子を東光寺で購入していた時期もありましたが、最近ではお寺でお菓子を購入することはありません。





「坐禅会で使ってください」





と声をかけていただきながらお菓子をいただく機会が増えたためです。






多くの参加者が楽しみにしている茶礼を支えてくれているのが、参加者や関係のある方々だということが本当にありがたいことだと実感しています。

清風が起こる


禅の言葉(禅語)に


歩歩起清風 【ほほ せいふう おこる】


という言葉があります。




1歩進むたびに清らかな風が吹くことを意味しています。しかし、一歩進むごとに風が吹いてくることだけではなく、どの風も全てが私達を包んでくれていることを実感することの大切さを説いてくれています。




つまり、全てが清浄な悟りの世界だということを表す言葉と言われています。




煩悩や迷妄がなくなった者が感じる清らかな心を示す言葉です。









東光寺(静岡市清水区横砂)で行われた子供坐禅会のときの出来事です。





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この日は風が強く、私が座っている場所の近くの掛け軸が時々カタカタと音を出しながら揺れていました。




「うるさいな」と感じると同時に風を恨んだりもしていました・・・




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坐禅中に周囲の音が気になるようではダメなのですが、やはり気になります・・・




つい掛け軸に目がいってしまったとき、驚きの光景を目の当たりにしました。




掛け軸が風を受けて大きく、本当に大きく動いていたのです。




ここで風が止んでしまったら、相当大きな音がして坐禅をしている子供達が驚いてしまうかもしれないと不安になりました。




しかし、次の瞬間再び驚きの光景を目の当たりにしたのです。




大きく揺れた掛け軸が、まるで誰かの手によって優しく戻されるよう、優しい風に包まれに静かに元の状態の戻ったのです。




カタカタと音を出している原因だと思い込んでいた「風」が掛け軸を優しく包み込み元の場所に掛け軸を戻したのです。





風に「良い風」「悪い風」、といった区別などないこと、同様に差別や区別の意識は私達自身が作ってしまっていることを清風が教えてくれた瞬間だったのだと思います。

浜施餓鬼を開催しました!【平成29年】

毎年8月16日は同じような内容になってしまいますが・・・



大切な行事なので今年も紹介させていただきます。





東光寺は静岡市清水区横砂という地にあります。



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横砂地区では1年に1度 浜施餓鬼【はませがき】という行事があります。





横砂には現在の袖師埠頭があるところに大きな砂浜があり漁業も盛んな地域でした。また、昭和の時代までは海水浴場があり、夏にはJRの臨時駅も開設され大変なにぎわいだったそうです。




この海で毎年開催されているのが 浜施餓鬼  という 





漢字の通り 「浜」 で行う 「施餓鬼」 です。





施餓鬼とは亡くなったご先祖様や縁のある方、そして縁のない方まで全てをお参りする法要です。法要では餓鬼に洗米と言って洗ったお米やお水をお供えし供養すると同時に水一滴・お米一粒でも満足することができるはずの自分の心を見つめ直す法要です。




一般的な「施餓鬼」では、各寺院の檀信徒の御先祖様をお参りしますが、浜施餓鬼では海で亡くなった方を御供養します。




 砂浜があった時代は砂浜で、その後も海の近くの公園で行ってきましたが、十数年前から東光寺の本堂で開催をしています。




 今年も参加者と共に海の方角に向かいお参りをさせていただきました。




 自治会長さんをはじめ、担当をしてくださった地域の方などが中心になり準備をしていただき多くの方がお参りをしてくださいました。




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 子供達に地域の行事を経験してほしいと考え、夏休みの子供坐禅会に出席をしてくれている子供達や保護者の方に声をかけさせていただいたところ、多くの参加者が浜施餓鬼に参列してくれました。





 参列者と一緒にお経をお唱えし、御詠歌【ごえいか】、そして回向【えこう】をさせていただきました。




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子供達は坐禅会以外のお寺の行事へ参加する経験があまりありませんが、立派にお参りをしてくれました!

型にはまる 型を破る

僧侶としての修行で坐禅の指導を受けたとき、指導してくださる和尚様に坐禅の「型」について厳しく指導をしていただきました。



足の組み方、手の形、背筋の伸ばし方、呼吸の仕方




などなどなど・・・




「まずは型にはまりなさい!」




とも教えていただきました。しかし、同じ人に




「坐禅をすると心が自由自在に動き出す」




と初めて言われたときは頭の中が




「?????」




となりました。




「型にはまるのに自由自在!?型にはまったら動けないじゃないか!」




一見すると矛盾する言葉ですが、決してそのようなことはありません。





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先日、いそいで雪駄【せった】を履いて出かけようとした時のことです。




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通常、雪駄は親指と人差し指の間が鼻緒にかかるように足を入れます。




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当たり前ですね・・・




しかしこの時は急いでおり、足元に注意がいかず、裸足で雪駄に足を入れたのですが、うまく歩くことができず転びそうになってしまいました。




理由は簡単です。




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いつもと違う場所に足が入ってしまいバランスが悪かったのです。




これまで急いで雪駄を履いたことはありましたが、このようなことはありませんでした。




「なぜだろう??」




疑問に感じましたが、足袋【たび】を履いて出かけようとしたときに答えが分かりました。




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足袋をはくと親指とそれ以外の4本の指がそれぞれの場所に収まるのです。




つまり、型に入るのです。




型に入ることで簡単に雪駄を履くことができるのです。





坐禅という型にはまった心が自由自在に動き出すように、





足を足袋という型に入れることで、雪駄を簡単に履くことができて、自由に歩いて行くことができるのです。




型破りの人生を歩みながらも成功を治めた方々が




「まずは型を覚える。この型を一生かけて破っていくことで成功を治めた」





と発言されることは珍しいことではありません。






「まずは型にはまってみる」





どうやらこの言葉はどんな世界でも共通する考えなのだと改めて感じることができました。





・・・加齢のせいかもしれない雪駄でのつまずきから無理のある話になってしまったかもしれません。

手放すまでの時間



ある日、小学校低学年の孫を連れたお婆さんがお参りをしているところで見た光景が印象的でした。



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※写真はイメージです



お婆さんが孫に100円玉を渡して




「はい、これお賽銭に入れて」




と言うと、孫は




「うん、いいよ!」




と言って、渡された100円玉を賽銭箱に入れてお参りをしました。






微笑ましい光景だと感じると同時に、




「同じことが自分にできるのだろうか?」




とも感じました。





小学校低学年の子供にとって100円は大金です。




私が誰かに大金をもらってすぐに賽銭箱に入れるように言われたら、素直にできるのでしょうか?



もしもお金に困っていたら




「せっかくなら、この大金をいただいてしまいたい」




と考えてしまうかもしれません。



が、しかし 大金を受け取ってすぐに賽銭箱に入れるのならば、なんとかできるかもしれません。




しかし、時間がたつとしたらどうでしょう?




大金をあずかり、1年後に賽銭箱に入れてくれと頼まれたら




「せっかくなら、この大金をいただいてしまいたい」




との思いが強くなってしまうのかもしれません。




時間が経過すればするほど




預かっていた大金が「自分のもの」と思い込んでしまうかもしれません。




そして「自分のもの」と勘違いをしてしまえば手放すことはどんどん難しくなっていきます。






禅の言葉に



放下著【ほうげじゃく】



という言葉があり、放下は捨てることを表し




煩悩妄想だけでなく仏や悟りまでも捨て去りすべての執着を捨て去る




という意味があります。




 全てを捨て去さることの大切を今でも私達に伝えてくれる言葉です。





手に入れた(預かった)直後ならすぐに放下【ほうげ】できるのに、時間が経てば経つほど放下できなくなってくることを、素直に預かったお賽銭を賽銭箱に入れる子供に教えていただいた気がします。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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