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お坊さんになる“きっかけ” 【尊敬する僧侶との出会い編 その1】

500こまめ パンチをする 殴る 叩く カラー


自分自身の生き方を決めるときに どんなことをきっかけにしたのか思い出してみると、私の場合には多くのきっかけがあったのだと感じます。


どれかひとつに絞ることなどできません。
しかし、どれもが大切な きっかけだったことは間違いありません。







お寺で生活をしている子供によくあることなのですが、漠然と


「お坊さんにはなりたくない、ここから出ていきたい!」


と願う時期があります。


もちろん、私もその1人です。






さらに、お寺で生活をしている子供あるあるに

僧侶によく会う

というものもあります。


親の職場で生活し、そこへ出入りする仕事関係者ですから当然と言えば当然かもしれません。






私の場合、そこで出会った僧侶を見ていたことが今の自分を作り上げているようにも感じます。

何人もの尊敬できる僧侶との出会いが日常の中にあったことは幸せだったように感じます。





その中でも印象に残っている僧侶は“人に厳しく、自分にはもっと厳しい”を実践され続けている方でした。






その僧侶は、僧侶が集まる大きな法要のときなど周囲の年配の僧侶に恐れられるような方でした。


間違っていることがあれば一般の人の前だろうが誰の前でも相手を叱る人でした。


「そこまで言わなくてもいいのに・・・」


と感じることもありましたが、誰も何も言い返せません。


なぜなら、言っていることは正しく、言っている本人がそのことをしっかりと行っていることを言われている人が一番よく分かっているからです。







その和尚様が亡くなった際に周囲の方々が


「人に厳しく、自分にはもっと厳しい人だった。もう叱ってもらえないと思うと悲しい」


と口々に言っていたことが幼かった私には驚きでした。






しかし、自分自身が僧侶になったとき“人に厳しく、自分にはもっと厳しい”がどれだけ大変なことであり大切なことなのか改めて感じます。

と、同時に見本となるような方と実際にお会いできていた御縁に感謝しています。

お坊さんになる“きっかけ” 【頼まれたお葬式編】

自分自身の生き方を決めるときに どんなことをきっかけにしたのか思い出してみると、私の場合には多くのきっかけがあったのだと感じます。


どれかひとつに絞ることなどできません。
しかし、どれもが大切な きっかけだったことは間違いありません。






500【葬儀】龕前念誦





私は幼い頃(小学生の頃)に葬儀を依頼されたことがあります。


友人の家に遊びに行ったとき、彼のお父様に



「俺が死んだら、お葬式頼むな!」



と言われたのです。






 友人とは小さい頃から近所の公園やお互いの家で遊んでいました。たまに友人の家でそのお父さんに会うと「よう、久しぶりだな」といった挨拶をしていました。この男性には私に向かってはあいさつと一緒にいつも口癖のように「俺が死んだら、お前がお葬式をしてくれよ」と言っていました。

確かに当時から私はお寺で生活をさせてもらっていましたが、小学生の頃の私にはどう返事をしたらよいか分からない言葉でした。


月日が流れ私自身が自分の進路について考えたり、どのような生き方をしていくのか考えるときになりました。多くの方に教えていただいたことなど思い出しながら進路について自分なりに考えていました。



そんな時、なぜか思い出すのが、男性の「俺が死んだら、お前がお葬式をしてくれよ」という言葉でした。



そして、僧侶やお寺から離れて生活がしたいと感じたときも、この言葉を思い出していました。

しかし、この言葉を思い出しながらもやがて私はお寺・僧侶と違う方向へ進路を進め社会人として過ごしていました。

社会人として充実した日々を過ごしているときでも、不思議なことに時々男性の言葉を思い出して、

「私はこのまま自分のやりたいことだけをやっていていいのだろうか」

と悩むことも多くありました。


「もしかしたら自分を必要としてくれている人がいるのではないか」

「やらなくてはいけないことがあるのではないか」

とも考えるようになりました。





もちろん、男性の言葉だけではありませんが、様々な出来事、経験をさせていただいたとき、この言葉を思い出し私は僧侶として生きていこうと決意をし、修行をさせていただき、お寺に戻ることができました。



そして、お寺に戻ってきてしばらくした頃、私は衝撃的な電話を受けることになるのです。電話は友人からで、お父さんが亡くなったことを伝える電話でした。


僧侶として初めてのお葬式が


「俺が死んだら、お前がお葬式をしてくれよ」


と言ってくれていた男性のお葬式になってしまったのです。



通夜は自宅で、葬儀はお寺で行うことになりました。

お通夜のために男性の自宅の階段を上っているとき男性が私に「お前がお葬式をしてくれよ」と言ってくれているときのことを鮮明に思い出していました。


しかし、思い出すと同時に


「なぜ私に葬儀を任せることができたのだろう。」


という疑問が出てきました。




私が息子の友達だから葬儀を頼んだのか。それとも代々お寺のお檀家様であり、私がそのお寺で生活をしている人間だから頼んだのか。

どんなに思い出してみても、そのような意図をもって発言している様子はなかった気がします。


そして通夜の際にご家族や知人の方に聞いた男性の姿から、なぜあのようなことが言えたのか分かった気がしました。



男性の通夜、葬儀にはたくさんの方がお参りに来られていました。会社等の関係があるため義理で参列しているのではなく、たくさんの方々が男性との別れを悲しみながらお参りをされていました。これは男性が生前に多くの方との「御縁」をとても大切にし、日々の生活を送っていたことを示していました。


その様子はお釈迦様が亡くなれた際の涅槃図のように私は感じました。






500涅槃図160307




そして私は、この通夜や葬儀での様子、男性が生前に法事、棚経などでお参りをしている姿を思い出したとき、


「俺が死んだらお前が葬式をしてくれよ」という言葉は、私が息子の友人だから、お寺の子供だから、地元の人間だから・・・そういった細かい諸条件を足し算していって私に葬儀を頼んでいたのではないと確信をしました。



男性は「御縁」とも表現される多くの関わりやつながり、そういったものを感じ、目の前の損得にこだわることなく御縁を全て受けとめる方だったのだと思いました。 


そんな「御縁」を感じ受け止めることができるからこそ、当時 目の前に立っていた私に 「死んだら頼むな」となんのこだわりや躊躇もなく言ってくれていたのだと感じました。





私は今でも、この男性のことを思い出すたびに、自分自身も男性のように御縁を選ばず受け止めて生きているのか振り返るようにしています。

お坊さんになる“きっかけ” 【笑顔に導かれて編】

小学校に通う娘達が卓球の練習をしていると ついつい口を出したくなります。


文句ばかりを言っても仕方がないので たまには暖かい眼差しで見守ってみようと考え。にこやかに微笑んでみました。



すると、


「ニヤニヤしていると、なんだか怖いよ。不審者みたい」


と言われてしまいました。







自分の笑顔に自信を失ったときに思い出したのは、ある御檀家様の笑顔でした。



500こまめ 和顔施 カラー2





私が初めて僧侶の格好(衣:ころも)を着て一人で御檀家様の家に行ったのは小学校6年生の夏でした。


東光寺(静岡市清水区横砂)では毎年夏のお盆の時期に各御檀家様の自宅に棚経へ行かせていただいています。


小学校に入学したときから父親に連れられてお盆の時期は棚経に周っていました。


そして、小学校6年生になったとき1人で棚経に行くことになったのです。




このとき、初めて一人で回った御檀家様の家は20件ほどだったと記憶しています。


お経は事前に何百回と練習をして(させられて)読めるようにはなっていました。


それでも地図を持ち、各家々に一人で行きチャイムを鳴らすだけでもドキドキしたことをよく覚えています。


私もドキドキしていましたが、私が訪ねた各家の方々もドキッとしたと思います。


事前連絡がないのに玄関を開けると小さな小学生が棚経に来ている。


驚いた表情を見せる家がほとんどでした。


「一人で来たの?えらいねぇ~」


と迎えてくれる家もありましたし、私が1人で来ているのに驚いて


「え、1人? お経を読んでもらってもいいけど、後から和尚さんが来てくれるんだよね!?」


と言われることも珍しくありませんでした。


・・・当然の反応だと思います。








しかし、まったく違う反応をしてくださった家もありました。


玄関先に立つ私を見て


「あ、和尚さん。今日はありがとうございます。よろしくお願いいたします。」


とニッコリと微笑んでお参りの場所へと案内してくださり、お経が終わるとニッコリと微笑んで


「ありがとうございました。」


と丁寧に頭を下げてくださったのです。


小学生の私に大人の方が頭を下げてくれているという状態に驚きながら、ニッコリと微笑んでくださった笑顔にとても安心したことを覚えています。




子供に自分の笑顔が「ニヤニヤしていると、なんだか怖いよ。不審者みたい」と言われたときに思い出したのが、小学生の私をお参りの場所へと案内してくださった方の笑顔でした。


その後、歳月が経ち、自分自身の将来について考えたときにも“このときの笑顔”を思い出すことが多くありました。






何もできない小学生だった私をニッコリと微笑んで受け入れてくださった方がいたという御恩は、私の人生の支えになりました。


そして、進路について悩んだとき この笑顔という御恩になんとか報いていきたいと考えるようになりました。


そう考えると、このときの笑顔は私がお坊さんになったきっかけのひとつだったのだと言えます。





・・・にも関わらず、にこやかに微笑んだつもりが「不審者みたい」と言われている自分の未熟さを恥じています。


カレーパン は カレーとパンに分けることはできない

500カレーパン191010



“カレーパン”は“カレーパン”です。



500カレーパン191010 2




カレーとパンを分けることはできません。

パンだけを食べようとすれば、うまくはいかず汚してしまします



分けようとするとすればするほど、苦労をしてしまいます。








臨済宗最初の和尚様である、臨済禅師は


心が二つに分かれてはいけない。

仏の心と私などと、心が二つに分かれるから、迷いが生じるのです。

その心が一つになっていれば、それが生きた達磨であり、お釈迦様なのである。







といったことを示されています。



カレーパンは、カレーとパンが一体となった状態が一番良い。


そんなカレーパンを見ていると


仏様の心と自分の心、と区別することなく、生まれたときから頂いている尊い心と一体となって生活をすることの大切さを感じます。

月落不離天【月落ちて天を離れず】

500ブログ 月落ちて天を離れず1


私は満月を見ると、意味もなく気持ちが明るくなります。


やがて、その満月が見えなくなると なんだか寂しい気持ちになってしまいます。






500ブログ 月落ちて天を離れず2

夜空に輝いていた月は、時間の経過と共に輝く場所を変え、





500ブログ 月落ちて天を離れず3

やがては地平線へと落ちていきます。






500ブログ 月落ちて天を離れず4

月が移動し、無くなったように感じます。





しかし、その瞬間に他の場所でも月が見えなくなっているのでしょうか?


そのようなことはありません。


世界のどこかでは月は輝き、また別の場所ではとっくに沈んでいるのです。




自分自身が移動をすることができれば月を見ることはできるのです。






月落不離天【月落ちて天を離れず】という禅語があります。



月は西に沈み地へと落ちるように見えるが、天を離れたわけではない。


ただ目に見える範囲から外れただけなのです。


月自身は変わらず天にあります。




月は悟り、天は自分自身を示します。


「悟り、悟り!」とあちらこちらを探しても見つかりません。いつか悟りがやってくると待っているだけでも何もおこりません。


悟りは何か特別な場所にあるものでありません。


天から離れることがない月と同様に、いつも自分の中にあるのだと示しているのです。






月が見えなくなって寂しい気持ちになる私に「月落ちて天を離れず」という言葉が、「目先のものだけにとらわれてはいけない」と語りかけてくれているよう感じます。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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