写経会開催報告 【平成30年4月】 自分で見つけた情報は記憶に残る

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東光寺(静岡市清水区横砂)では毎月23日午前10時から写経会を行っています。



今月【平成30年4月】も無事に写経会を開催することができましたが、今月は何と19名の方が参加をしてくださいました!



東光寺の写経会始まって以来、最多の参加人数です。




写経会の流れは

10時00分
  挨拶・法話(仏教のお話)

10時10分
  読経:皆様と一緒に般若心経をお唱えします。
  静坐:姿勢と呼吸を調えます。

10時15分頃
  写経開始

10時50分頃
  写経終了、お茶




となっています。

写経が終わった後、時間のある方にはお茶を召し上がっていただいています。



その際に初めて写経会に参加した方と話していて印象的だったのが



「自分で見つけた情報は記憶に残る」


という言葉でした。


この方は写経に興味を持ち、近くで写経会をやっていないか自分で調べたそうです。


そして毎月23日に写経会があることを知って参加してくださいました。このことを



テレビに映った情報だとすぐに忘れてしまいそうだが、自分で調べたいと思って調べた内容は記憶に残っているから、忘れずに写経会に参加することができました。



と話してくれたのです。


自分から動くこと、自分で動くことの大切さを改めて感じる言葉でした。

お知らせと過去の記事まとめ

【開催案内】
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500ボタン イス坐禅と写経 セノバ 500いちえの会 ロゴ 参加申し込み受付中 500友引喫茶 ボタン ロゴ


【開催報告】
160ボタン 子供坐禅会 冬休み 500ブログ 竹ろうそく ボタン

保育園児の坐禅体験 【平成30年4月】

春、特に4月は出会いの季節と言われています。



東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にある袖師保育園の園児達は坐禅体験にやってきてくれました。




年長組さんは昨年度に引き続き、がんばって坐禅に取り組んでくれています。

年中組さんは、初めての坐禅との出会いです。



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「本堂に入り、坐禅をする座布団に座るまでに合掌礼拝を3回するよ!」と説明をすると、ドキドキ、ビクビクしながら入っていきます。



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初めてだから足をうまく組めなかったりもしますが、







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真剣に取り組んでくれるので 短い時間ならしっかりと坐れます。



この真剣に取り組む姿をみていると、これから少しずつ座る時間を長くしながら、2年間で24回の坐禅体験を通して多くの学んでくれるように、努力していこうと感じさせてくれました。

お寺の前の道に動物が死んでいたらどうしますか

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※以下の文章で青文字になっている部分をクリックすると、詳しく書いた記事をご覧いただけます。




皆さんはお寺の前の道で動物が死んでいたらどうしますか。


1. 見て見ぬふりをする

2. 手を合わせる(お参り・供養をする)

3. 行政に連絡し引きとってもらう

4. お寺に供養を依頼する

5. お寺の敷地に運び込み供養するように電話で依頼をする




以前の私は「1」でした。


誰かが何とかしてくれると勝手に信じて、自分は何もしない人間でした。


しかし、先日の記事で紹介した「動物がひかれていたときに、とっさに避ける私とお経を読んだ先輩和尚」の姿を見て自分にもできることがあると感じ、「2」のお経を唱えるようになりました。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1832.html




そして、動物が死んでいるのが、自分の生活圏であれば「3」の行政に連絡し引きとってもらうように依頼をしています。その際自分達でできる範囲の供養「4」をしています。



先日、一本の電話を住職が受けました。


その電話が「5」のお寺の敷地に運び込み供養するように電話で依頼をするものでした。


「お寺の前の道でネコが死んでいたから、保育園とお寺が共用で使っている駐車場の入り口に入れておいたから供養をしてください。」



というお電話だったそうです。この電話の内容を聞いたとき私は「申し訳ないことをした」と感じました。これまでの布教不足のために誤解を生じさせてしまっていると感じました。



そのため、改めて「供養」ということについて考えて見ました。そのことを一度にここに書いてしまうとあまりにも長文になってしまいますので、いくつかの記事に分割して書かせていただきました。





葬儀や法事は何のためにするのかと聞かれれば「大切な人の心を受け取り、その心と共に生きていくことを改めて実感するためです」と答えます。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1835.html




そして、その法要は誰かに任せるものではありません。



葬儀であれば家族が中心になって亡き人を送るように、供養の中心人物はあくまでも「私」です。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1829.html





ですから「お寺で暮らしているから、お前がお経を読んで供養しろ」と人任せにすることは、もったいないというよりも危険な行為です。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1830.html





しかし、供養の方法などが分からないのに、「自分が正しい」と思い込んではいけません。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1827.html




慣れていないならしっかりと教えてもらいながら知っていると人と「一緒」に供養することが大切です。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1834.html





誰かと一緒に供養するはずが、いつの間にか自分が偉そうにする自分勝手な「お客様」になってしまうことがあります。


「俺はお客様なんだから、俺の言った通りにしろ!」とわがままを押し通そうとする今の時代の間違った「お客様」であり、本来のお客様は偉そうにすることではなく、自分の「立場」をまっとうすることです。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1828.html



供養を一緒にするのであれば、いわゆる「良いお客様」になることも大切です。




さらに、供養をしたい、しなくてはならないと感じる尊い心が私達には備わっています。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1833.html




この私達に本来備わっている「尊い心」に素直に従っていけば良いのです。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1831.html




そこに迷っている時間などありません。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1826.html




繰り返し自分の尊い心に従って行動することで、「誰かの為に喜んで何かをしよう」という良い習慣も身につけることこそが自分勝手でも自己中心的でもない「自分の生活も他人の生活も大切にする」という生活なのだと思います。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1825.html






お寺の前の道で動物が死んでいたらどうしますか・・・



「何とかしなくては!!」という自分自身の心に素直に従って、誰かに丸投げするのではなく、今自分にできる精一杯のことを「させていただく」という謙虚な気持ちを実行することが大切なのではないでしょうか。

葬儀や法事は何のためにするんですか?

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葬儀や法事は何のためにするんですか?



と聞かれることがあります。



私はこのように聞かれ、短い言葉で説明をしなければならないときには


「大切な人の心を受け取り、その心と共に生きていくことを改めて実感するためです」


とお伝えしています。




葬儀や法事は故人とのお別れの儀式だけではありません。


亡くなられた方を供養することで残された私達がどのように生きて行くのかを知ること、そしてどのように生きて行くのかを誓う式なのです。




元臨済宗妙心寺派管長 河野大通老師の言葉に次のようなものがあります





生きながら 死人になりて なりはてて

という歌がありましたけれども、我々が生きているということが、実は死んでおる。

死につつあるということで、一日生きたということは、一日死んだということ。

我々は今まさに生死しておるということ。

そして、それを私たちはただ心に、頭の中だけに思うのではなく、一息一息の中にそれを実現しているんだと実感することが大切だ。





この生死を実感するのが葬儀や法事と言った法要だと私は考えています。



「亡くなった人にお経なんか聞こえないから意味がない」


という人もいます。しかし、亡くなった人、亡くなった人の心は確実に私達の中にあります。手を合わせることで亡くなった方の心と自分の心が一つになっていきます。



その心にお経が入ってくるのです。


人は亡くなったら終わりではありません。


亡くなった人の心を誰もが受け取ることができます。


受け止めた心は私達の中で生き続けます。


受け止めるためには自分の心を調える必要があり、受け止めた後もその心を自分のものとしていくために心を調える必要があります。



そのために法要という習慣があるのです。


本当に必要がなければ習慣は残りません。


今でも葬儀・法事が習慣として残っているのは、法要をすることで我々は今まさに生死していることを、心に、頭の中だけに思うのではなく、一息一息の中にそれを実現しているんだと実感することができてきたからだと思います。



ですから、私は


「大切な人の心を受け取り、その心と共に生きていくことを改めて実感するのが葬儀や法事などの法要」


だと考えています。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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