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「整える」 と 「調える」


以前このブログで「坐禅と座禅 【 ざぜん と ざぜん 】」と題して違いを紹介しました。
※記事はこちらです。


今回は「整える と 調える」の違いです。




東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。



臨済宗妙心寺派の生活信条に


1日1度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう



とあります。このとき、


500ブログ 調える と 整える の違い1

「調える【ととのえる】」と書きます。






500ブログ 調える と 整える の違い2


「整える【ととのえる】」とは書きません。



一般的には「整える」と書くのかもしれません。



先日もテレビで子供坐禅会を取材していただいた際も、「整える」と表現していました。



新聞や雑誌で子供坐禅会を取り上げていただくときにも「整える」と書いてあることがほとんどです。





辞書で調べると


ととの・える[整える/調える]


と書いてあります・・・



「同じ意味なのか!?」


と思いましたが、漢字には意味があります。





500ブログ 調える と 整える の違い4

「整」には「正」の字が入っています。ですから、



「形を正しくする。」



という意味がる言葉になります。







500ブログ 調える と 整える の違い3

これに対して、「調」には



「まとめる」



という意味があります。




「整」の字が使われている言葉には



整理整頓や整地


「調」の字が使われている言葉には



調和 調理 調律



などがあります。




整地や整理整頓という言葉からは「型にはめる」や「分別をする」ということを連想できます。



調和や調理という言葉からは「受け入れてまとめる」ということを連想できます。





「心をととのえる」ときには



心を型にはめるのではありません。


良い心・悪い心に分別するのでもありません。


自分自身の心を全て受け止めていくのです。


良い心・悪い心と分別したくなりますが、全てが自分の心なのだと受け入れて、ひとつになることが「ととのえる」ことになるのです。




ですから 1日1度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう と、あるように



「調える」を使っているのです。

「めんどくさい」を調べてみた

500心を磨く布巾2



東光寺(静岡市清水区横砂)で以前(かなり昔)配った布巾の言葉です。



500心を磨く布巾1

毎日みがこう 心と佛だん


と、書いてあります。



東光寺は禅の教えを大切にする禅宗のお寺です。



禅宗では「坐禅」を大切にしますが、それ以外の掃除や食事などの日常も修行の一つとして大切にします。



昔から 「掃除をすることで自分の心が磨かれる」とよく言います。



しかし、いざ掃除をしようとすると、ついつい「めんどくさいな」と感じてしまいます。






そこで、「面倒くさい【めんどうくさい・めんどくさい】」という言葉に興味を持って辞書を引いてみました。



いかにも面倒に感じられる。わずらわしい。





と書いてあります。



そこで、「面倒」を調べてみると



手間がかかったり、解決が容易でなかったりして、わずらわしいこと。





とあるのです。



「めんどくさい」は煩わしい【わずらわしい】のです。





そこで、「わずらわしい」を調べてみれば



心を悩ましてうるさい。





と書いてあるのです。



と、いうことは



私達が「めんどくさい」と感じたとき、それは心が悩んでいるときと言っても良いのかもしれません。



昨日の記事で


「ゆったり坐って、ゆったり呼吸をすること(坐禅)で、心にたまった汚れを掃除していきましょう」



という言葉を紹介しました。
※記事はこちらです。



心にたまった汚れとは、心の悩みのことであり、「めんどくさい心」です。



もちろん心の掃除方法は坐禅だけではありません。



「毎日みがこう 心と佛だん」という言葉の通り、本当の掃除も心をみがきます。



でも、掃除が「めんどくさい」。特に誰かに「掃除をしなさい」なんて言われたら余計に「めんどくさい」と感じてしまいます。



しかし、ピンチはチャンス。その「めんどくさい心」をきれいにする方法こそが「めんどくさいこと」なのです。




このことを昔から「苦労は買ってまでしろ」と表現しているのです。



お寺のことに関われば関わるほど「めんどくさい」と感じることが多くあるかもしれません。



しかし、この「めんどくさい」には「その先」があることを伝えていくことが僧侶の務めの一つだと感じる今日この頃です。

心の「象」を消してみよう!

500坐禅手帳作成用 こまめ 坐禅 息を吐く 呼吸





妻が「マインドフルネス」の本を読んでいて興味深い記事を紹介してくれました。

※マインドフルネスとは仏教の教えや実践をもとにした瞑想の方法のようです。




その記事は


1.頭の中で象を思い浮かべる

2.その象を頭の中で消してみる

という実験からはじまります。頭の中に象を思い浮かべることは誰にでもできますが、その象を消すことは難しいのです。消そうと思えば思うほど象が頭の中を駆け巡ります。

しかし、ここで

3.足の指をできるだけ開き、その後ギューと閉じる

という動作を繰り返すといつの間にか頭から象がいなくなる





といったものです。



「象」は自分の悩み・苦しみなどを表しているように感じます。



その象を好き勝手させてしまえば、象に自分の意識を占拠されてしまいます。



そこで、象とは関係ないことに集中することで、象が消えてなくなるのです。




これは、まさに坐禅の呼吸だと感じます。



坐禅では3つのものを調えます。



1つが体、もう1つは呼吸、そして体と呼吸が調うと自然と心が調ってきます。



体とは姿勢です。ですから姿勢を調え呼吸を調えるのですが、呼吸の調え方が数息観【すそくかん・すうそくかん】です。これは息の数を数えることを言います。




説明するときも


坐禅の最中は自分の呼吸を数えましょう。吐く息を心の中で、ヒトーツ、フターツ・・・と数え、トーオまで数えたらヒトーツに戻ります。初めのうちは他のことを考えてしまい、なかなか十(トーオ)まで集中して数えることができませんが、どこまで数えられるか挑戦してみてください。



と説明をします。




静かに坐っていても、どうしても他のことを考えてしまいます。そこで呼吸に集中するのです。集中することで心の中の「象」を追い出していくことができるのです。




この記事を読んだとき、立派な和尚様が坐禅の説明をするときに



坐禅は心の掃除です。

心という場所を掃除しているときに荷物が届いても開けてはいけません。開ければいろいろなものが出てきて汚れてしまいます。
ゆったり坐って、ゆったり呼吸をすることで、新たな荷物を開けることなく、心にたまった汚れを掃除していきましょう





と話されたことを思い出しました。




西洋で現在注目されているマインドフルネスは実は古くから伝わる伝統的な呼吸法に由来しているのです。



伝統=古い、めんどくさい



と思われがちですが、伝統には大切なものが詰まっていると改めて感じます。

心が静かになると 音が聞こえなくなる? その2

500避難訓練180817


東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にある袖師保育園では、毎月避難訓練が行われています。



火災、地震、不審者などに対応するための訓練です。



この避難訓練、園児だけでなく職員にも日時を伝えない抜き打ちの場合もあります。



私も事務の仕事をしていると突然非常ベルが鳴り、訓練が始まると驚きます。



しかし、何回も聞いているうちに突然の非常ベルにも驚かなくなってきたようにも感じていました。



ところが、園児達は毎回必死です。



ベルがなれば驚き、先生の指示をしっかりと聞いて動くことができています。



走るべきところは走り、静かにするときには静かにする。



何度やっても真剣に取り組みます。





この光景を見るたびに先日紹介した、興味深い実験結果を思い出します。



坐禅を科学的に検証する実験です。


※詳しくはこちらの記事(心が静かになると 音が聞こえなくなる?)もご覧ください。



その実験は、私のような未熟な僧侶と坐禅を極めた老師【ろうし】と呼ばれる僧侶に脳波を調べる機械をつけて坐禅をしてもらったそうです。


そして、坐禅中に一定の間隔で鐘の音を鳴らします。


すると、未熟な僧侶は坐禅をしていると鐘の音に初めは反応しているものの段々に鐘の音に脳が反応しなくなったそうです。


しかし、老師はいつまでも脳が初めて鐘の音を聞いたときと同じように反応し続けたそうです。






私達は仏様のような尊い心をいただいて生まれてくると仏教では説いています。



その心が素直に表に出ている姿こそ老師と呼ばれる和尚様がありのままに鐘の音に反応する姿であり、保育園の園児が何度も非常ベルに反応し新鮮な気持ちで訓練を受けている姿なのだと思います。



園児が真剣に訓練する姿を見るたびに、何回も聞いているうちに突然の非常ベルにも驚かなくなってきたように感じてしまう私の姿は、尊い心が曇って見えなくなってしまっている姿なのだと反省しています・・・・

心が静かになると 音が聞こえなくなる? その1

500坐禅体験180402






坐禅して、何も聞こえないというわけではありません。

白山の小池老師は90歳くらいまで毎朝2時間も坐禅をしていましたが、終わると今日は鳥が鳴いていた、ウグイスがきていた、鳥がやかましかったとよく言われていた。

はじめは老師は無心になっていないのかな、などと思ったものですが、ありのままに聞こえるのです。逆に心になにかひっかかることでもあると、何も聞こえなかったりします。思い悩んで道を歩いていては、まわりの景色もなにも目に入ってきません。





円覚寺派管長 横田南嶺老師の著書「祈りの延命十句観音経」の言葉です。




以前、興味深い実験結果を聞いたことを思い出しました。



坐禅を科学的に検証する実験です。



その実験は、私のような未熟な僧侶と坐禅を極めた老師【ろうし】と呼ばれる僧侶に脳波を調べる機械をつけて坐禅をしてもらったそうです。



そして、坐禅中に一定の間隔で鐘の音を鳴らします。



すると、未熟な僧侶は坐禅をしていると鐘の音に初めは反応しているものの段々に鐘の音に脳が反応しなくなったそうです。



しかし、老師はいつまでも脳が初めて鐘の音を聞いたときと同じように反応し続けたそうです。





鳥の声が聞こえること、鐘の音に反応し続けることを「ありのままに見る」と言うのだと思います。




東光寺で現在「子供坐禅会」を開催していますが、


私は坐禅中に雨が降てくれば気がつきますが、いつの間にか雨が降っていること、雨の音が聞こえなくなっています。



・・・未熟者の代表として、これからも坐禅を続けていかなければならないと感じる毎日です。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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