型にはまる 型を破る

僧侶としての修行で坐禅の指導を受けたとき、指導してくださる和尚様に坐禅の「型」について厳しく指導をしていただきました。



足の組み方、手の形、背筋の伸ばし方、呼吸の仕方




などなどなど・・・




「まずは型にはまりなさい!」




とも教えていただきました。しかし、同じ人に




「坐禅をすると心が自由自在に動き出す」




と初めて言われたときは頭の中が




「?????」




となりました。




「型にはまるのに自由自在!?型にはまったら動けないじゃないか!」




一見すると矛盾する言葉ですが、決してそのようなことはありません。





500雪駄と足と足袋1




先日、いそいで雪駄【せった】を履いて出かけようとした時のことです。




500雪駄と足と足袋2




通常、雪駄は親指と人差し指の間が鼻緒にかかるように足を入れます。




500雪駄と足と足袋3





当たり前ですね・・・




しかしこの時は急いでおり、足元に注意がいかず、裸足で雪駄に足を入れたのですが、うまく歩くことができず転びそうになってしまいました。




理由は簡単です。




500雪駄と足と足袋4




いつもと違う場所に足が入ってしまいバランスが悪かったのです。




これまで急いで雪駄を履いたことはありましたが、このようなことはありませんでした。




「なぜだろう??」




疑問に感じましたが、足袋【たび】を履いて出かけようとしたときに答えが分かりました。




500雪駄と足と足袋5




足袋をはくと親指とそれ以外の4本の指がそれぞれの場所に収まるのです。




つまり、型に入るのです。




型に入ることで簡単に雪駄を履くことができるのです。





坐禅という型にはまった心が自由自在に動き出すように、





足を足袋という型に入れることで、雪駄を簡単に履くことができて、自由に歩いて行くことができるのです。




型破りの人生を歩みながらも成功を治めた方々が




「まずは型を覚える。この型を一生かけて破っていくことで成功を治めた」





と発言されることは珍しいことではありません。






「まずは型にはまってみる」





どうやらこの言葉はどんな世界でも共通する考えなのだと改めて感じることができました。





・・・加齢のせいかもしれない雪駄でのつまずきから無理のある話になってしまったかもしれません。

手放すまでの時間



ある日、小学校低学年の孫を連れたお婆さんがお参りをしているところで見た光景が印象的でした。



500お参り170814
※写真はイメージです



お婆さんが孫に100円玉を渡して




「はい、これお賽銭に入れて」




と言うと、孫は




「うん、いいよ!」




と言って、渡された100円玉を賽銭箱に入れてお参りをしました。






微笑ましい光景だと感じると同時に、




「同じことが自分にできるのだろうか?」




とも感じました。





小学校低学年の子供にとって100円は大金です。




私が誰かに大金をもらってすぐに賽銭箱に入れるように言われたら、素直にできるのでしょうか?



もしもお金に困っていたら




「せっかくなら、この大金をいただいてしまいたい」




と考えてしまうかもしれません。



が、しかし 大金を受け取ってすぐに賽銭箱に入れるのならば、なんとかできるかもしれません。




しかし、時間がたつとしたらどうでしょう?




大金をあずかり、1年後に賽銭箱に入れてくれと頼まれたら




「せっかくなら、この大金をいただいてしまいたい」




との思いが強くなってしまうのかもしれません。




時間が経過すればするほど




預かっていた大金が「自分のもの」と思い込んでしまうかもしれません。




そして「自分のもの」と勘違いをしてしまえば手放すことはどんどん難しくなっていきます。






禅の言葉に



放下著【ほうげじゃく】



という言葉があり、放下は捨てることを表し




煩悩妄想だけでなく仏や悟りまでも捨て去りすべての執着を捨て去る




という意味があります。




 全てを捨て去さることの大切を今でも私達に伝えてくれる言葉です。





手に入れた(預かった)直後ならすぐに放下【ほうげ】できるのに、時間が経てば経つほど放下できなくなってくることを、素直に預かったお賽銭を賽銭箱に入れる子供に教えていただいた気がします。

塔婆きれいですね

500並ぶ塔婆2




東光寺(静岡市清水区横砂)の位牌堂で印象的なことがありました。





500並ぶ塔婆1





ある日、塔婆【とうば】が並んでいるのを見て、位牌堂にお参りに来た小学生が





「なんだかお化け屋敷みたいで怖い」




と言いました。




しばらくして、お参りに来た別の女性は、並んでいる塔婆を見て




「塔婆きれいですね」




と言いました。




並んでいる数や形に変化はありません。




同じものを見ても、見る人の心で見え方が変わることを実感しました。





ちなみに塔婆は卒塔婆【そとば】とも言い、インドの言葉「スツーパ」の音に漢字を当てはめたものです。



古代インドでは盛り上げた墓または塚を「スツーパ」と言っていました。



 日本では仏教が伝わった後、




1.五重塔をお釈迦様の供養塔として建てた


2.お釈迦様の遺骨を納める入れ物(舎利瓶)の形を一般の人がお墓の墓標として使うようになる。


3.五重塔を建てることができない人が、石板・木柱・木板に刻み目をつけた墓標や供養塔が作られるようになる。


4.先祖供養の度に五重塔だけでなく、石板・木柱など大きな供養塔を作ることは難しいので板の供養塔を使うことが一般的になる。





 これが塔婆の始まりです。




お釈迦さまや亡くなったご先祖様を思って準備するのが塔婆ですので決して「怖いもの」ではなく、「美しい心が形になったもの」だと思います。


お寺は学ぶ場所

東光寺(静岡市清水区横砂)では


「お寺は みんなが幸せに生きる方法を勉強する場所」


を合言葉に子供坐禅会や寺子屋体験が行われ、多くの子供達が様々なことを学んでくれています。




500宝泰寺庭のお地蔵様



大人もお寺で学ぶことはたくさんできます。



いつも大変お世話になっているお寺では



「夏の一日、心を磨く修行をしましょう」



を合言葉に夏期講座が行われています。



今年は細谷亮太氏(聖路加国際病院 顧問)が『子どもたちのいのちの傍で』と題して講演をされるようです。

※詳しくはこちらをご覧ください




多くのお寺に、今を生きる私達がどのように生きていったら良いのかを考えるきっかけがたくさんあります。




ぜひ、時間のある時に自分に合った体験をしてみてはいかがでしょうか!!

お寺で もらう場所 から あげる場所 に気持ちを変えてみる

これ、もらうね!

あれ、もらうね!

このお菓子、もらうね!

この本、もらうね!!




子供が口癖のように「もらう」と言うと、いやしいと言われます。




500こまめ 花束を持つ カラー


このお菓子、あげる!

このおもちゃ、あげる!!

この花あげる!!

子供が口癖のように「あげる」というと、やさしいねと言われます。





「もらう」 よりも 「あげる」 の方が評判は良いようです。





東光寺(静岡市清水区横砂)には子供坐禅会や寺子屋体験等、様々な機会に子供達がお寺や仏教を体験するためにやってきます。




そんな子供達に何を感じて欲しいか考えているときに、




「もらう」と「あげる」と言う言葉が気になりました。




そして、一般的には




「あげる」の方が評判は良いのですが、お寺で過ごした子供達には「もらう」という言葉の大切さを知ってもらいたいと考えています。




お寺で大切にする「もらう」は「ちょうだい」や「欲しい」ではありません。




させて、もらう!




なのです




仏教では謙虚な気持ちをとても大切にしています。




謙虚になるための1つの修行こそが「させてもらう」という気持ちで行動をすることだと感じています。




「もらう(ちょうだい)」を「させてもらう」へ





多くの子供達にこれからも伝えていきたいと思います。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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