長者窮児【ちょうじゃぐうじ】 と 竹ろうそく その2
長者窮児【ちょうじゃぐうじ】についての話の後編です。
前編(長者窮児などの言葉の説明などさせていただいています。、こちらをご覧ください・・・

私は東光寺の墓地がある観音山で竹を切っているときに、この長者窮児の話を思い出します。
観音山は、頂上に観音様が祀られた標高50m程の山です。
以前は毎月17日に檀信徒の皆様と頂上に登りお参りをしていました。しかし、お参りをされる方の高齢化などがあり現在では毎月17日のお参りはこの本堂で行っています。
すると人が入らなくなった山は徐々に荒れてきてしまい、山の中腹にあった数少ない平地にまで竹が進行して来てしまいました。竹は年々増え続けてしまい以前は太陽の光が届き明るかった場所が昼間でも薄暗く感じるほどの竹林になってしまいました。
そこで若い檀家様と一緒に観音山の竹を切ることになりました。
最初の目標はもともとあった平地を取り戻すことでした。

竹は切ることはそれほど難しいものではありませんでしたが、切った後の処理に苦労をしました。使ってくれる人もいませんし、積んでおいてもなかなか腐りません。もちろんその場で燃やしてしまうわけにもいきません。
しかたがないので切って隅に寄せておきました。しかし、やがて他の竹を切る時に邪魔になるほどの量になってしまいました。
このとき、竹を切っていた人の中に
「この竹を短く切って中にロウソクを入れてお寺の境内に飾ったらきれいだよね。夜の行事と言うと除夜の鐘だから、除夜の鐘のときに境内を照らそうよ!」">「この竹を短く切って中にロウソクを入れてお寺の境内に飾ったらきれいだよね。夜の行事と言うと除夜の鐘だから、除夜の鐘のときに境内を照らそうよ!」
と言ってくれる人が出てきました。
それは良い考えだと、竹を切っていた私達は竹を加工し境内に運びました。
竹を切る作業などには少し危険も感じられますが、竹を境内に並べたりロウソクに火を灯すことは小学生にも手伝ってもらうことができますので、冬休みの子供坐禅会に参加してくれていた小中学生に一緒に作業をしてもらいました。
おかげさまで12月31日の夜中、除夜の鐘を撞くころは観音山で育った竹で作った数多くの竹灯篭の火に境内は美しく照らされていました。一緒に作業をしてくれた方々と喜び会えたことをよく覚えています。
また、この美しい風景を目の当たりにしたときに観音山をこれまで見守ってきてくださった方々への感謝の気持ちと、これまでに多くの方に見守られてきた観音山に今を生きている私達が見守られていることに気が付くことができました。
宗教哲学者の西谷啓治(にしたにけいじ)氏は 、私達が普段暮らしている悩みや迷いのある世界である 此岸 と 悟りの世界である 彼岸 と言う言葉を
此岸よりも もっとこちらにある 彼岸
と表現されています。
仏様も竹も常にすぐ近くにいてくださっていたのです。
そして私を見守ってくださっていた。
私がそのことに気が付いていなかった、体感することができてきていなかったということを、毎年の恒例行事になりつつある竹を切り、境内にロウソクを並べるという行事をしながら思い出しています・・・・・
前編(長者窮児などの言葉の説明などさせていただいています。、こちらをご覧ください・・・

私は東光寺の墓地がある観音山で竹を切っているときに、この長者窮児の話を思い出します。
観音山は、頂上に観音様が祀られた標高50m程の山です。
以前は毎月17日に檀信徒の皆様と頂上に登りお参りをしていました。しかし、お参りをされる方の高齢化などがあり現在では毎月17日のお参りはこの本堂で行っています。
すると人が入らなくなった山は徐々に荒れてきてしまい、山の中腹にあった数少ない平地にまで竹が進行して来てしまいました。竹は年々増え続けてしまい以前は太陽の光が届き明るかった場所が昼間でも薄暗く感じるほどの竹林になってしまいました。
そこで若い檀家様と一緒に観音山の竹を切ることになりました。
最初の目標はもともとあった平地を取り戻すことでした。

竹は切ることはそれほど難しいものではありませんでしたが、切った後の処理に苦労をしました。使ってくれる人もいませんし、積んでおいてもなかなか腐りません。もちろんその場で燃やしてしまうわけにもいきません。
しかたがないので切って隅に寄せておきました。しかし、やがて他の竹を切る時に邪魔になるほどの量になってしまいました。
このとき、竹を切っていた人の中に
「この竹を短く切って中にロウソクを入れてお寺の境内に飾ったらきれいだよね。夜の行事と言うと除夜の鐘だから、除夜の鐘のときに境内を照らそうよ!」">「この竹を短く切って中にロウソクを入れてお寺の境内に飾ったらきれいだよね。夜の行事と言うと除夜の鐘だから、除夜の鐘のときに境内を照らそうよ!」
と言ってくれる人が出てきました。
それは良い考えだと、竹を切っていた私達は竹を加工し境内に運びました。
竹を切る作業などには少し危険も感じられますが、竹を境内に並べたりロウソクに火を灯すことは小学生にも手伝ってもらうことができますので、冬休みの子供坐禅会に参加してくれていた小中学生に一緒に作業をしてもらいました。
おかげさまで12月31日の夜中、除夜の鐘を撞くころは観音山で育った竹で作った数多くの竹灯篭の火に境内は美しく照らされていました。一緒に作業をしてくれた方々と喜び会えたことをよく覚えています。
また、この美しい風景を目の当たりにしたときに観音山をこれまで見守ってきてくださった方々への感謝の気持ちと、これまでに多くの方に見守られてきた観音山に今を生きている私達が見守られていることに気が付くことができました。
宗教哲学者の西谷啓治(にしたにけいじ)氏は 、私達が普段暮らしている悩みや迷いのある世界である 此岸 と 悟りの世界である 彼岸 と言う言葉を
此岸よりも もっとこちらにある 彼岸
と表現されています。
仏様も竹も常にすぐ近くにいてくださっていたのです。
そして私を見守ってくださっていた。
私がそのことに気が付いていなかった、体感することができてきていなかったということを、毎年の恒例行事になりつつある竹を切り、境内にロウソクを並べるという行事をしながら思い出しています・・・・・
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