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長者窮児【ちょうじゃぐうじ】 と 竹ろうそく  その1

 東光寺(静岡市清水区横砂)で行われた子供坐禅会で



 白隠禅師坐禅和讃 【 はくいんぜんじ ざぜんわさん 】




 というお経について話をしたことがあります。





400坐禅和讃5 長者の家の子となりて




 この白隠禅師坐禅和讃の中に





 「長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず」






 という言葉があります。






 この言葉を現代的な言葉にすると





「裕福な家の子に生まれたのに 貧しい里をさまよい歩いているのと同じである。」





と訳すことができます。






「お金持ちの家に生まれたのに「お金がない」と悩んでいるようなもの」






とも言い換えることができます。しかし、実は「長者の家の子となりて」と言う言葉は 単に 「裕福な家に生まれた」という直接的な言葉だけを表しているのではありません。






 この言葉は法華経というお経の中に出てくる





 長者窮児【ちょうじゃぐうじ】






 というお話を表した言葉なのです。とても有名なお話で、仏教聖典の中にも登場しますので聞いたことがあったり、よくご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、「長者窮児」とはどのようなお話か簡単に紹介をさせていただきます。









 昔、大金持ちの長者に大切に育てられた1人の息子が、親の元を離れ屋敷を出てさすらいの身となり、貧困のどん底に落ちぶれてしまいました。


 父である長者は息子を探すためにあらゆる努力をしたにも関わらず、どうしてもその行方を求めることはできませんでした。


 しかし、ある日 記憶を無くした息子は ここが自分の家の前だと理解できない状態で我が家の門の前に来ます。父は息子に気が付き声をかけ、家に入るように言いますが、記憶を無くしている息子は父親である長者のことを信用できません。


 そこで長者は息子を使用人として雇い入れるなど工夫をします。すると息子は屋敷の中で働くようになりました。息子はこの家で一生懸命働き、やがて出世をしていきます。そして臨終のときを迎えた父から実の子だと告げられ、屋敷などすべてを引き継ぐよう言われ ようやく自分の豊かさに気が付くと言うお話です。








 私がこの話を初めて聞いたときには 「あ~、なるほど恵まれた環境に気が付かないなんてもったいないなぁ。」とは感じました。しかしもう少し詳しく調べてみると、父親である長者や息子、そして屋敷などの財産には違う意味が込められているお話だと知ることができました。






 長者とは仏、 息子は迷いの世界にいる私達衆生を表します。






 仏である長者は息子つまり衆生に布教をしていました。しかし、息子は親の心子知らずで家を出てしまいます。家を出ると言うことは迷いの世界に出てしまうことを表します。親は必死に息子を救おうとしますが、息子である衆生は迷いの世界をさまよいます。


  ある時、息子は親である仏の前にやってきますが、目の前にいる仏が仏だとは思えません。そこで仏は息子を使用人として雇い入れます。この行為は仏の教えを様々な工夫をして説くことを表しています。やがて衆生である息子は長者の家を相続、つまり悟りをひらき法を継ぐのです。







 話しを表面的にしかとらえることができない私にとって、初めてこのような解説を知って「長者窮児」の例え話の深さを理解することができました・・・・
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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