写経会のときに どんな話しをしているの? その5

 東光寺(静岡市清水区横砂)で行われている写経会で、副住職(新米和尚)の法話と配布させていただいている絵葉書を紹介させていただきます。

 今回は第5回目です。 (申し訳ありませんが第1回~4回に比べて長文になってしまいました・・・)


※なぜ、絵葉書と法話(仏教のお話)が登場するのかはこちらをご覧ください。
写経会 絵葉書 草木国土 悉皆成仏


観自在菩薩 【かんじざいぼさつ】

世の中の音を見る。人々の苦しむ声、悲しむ声、悩む声を聞き取って救ってくださる菩薩の慈悲。
観自在とは、自分の修行も、他人の救済も、観ること行うこと自由自在(自利利他)である働きをいう。







~ 人生いろいろあります ~

 生きとし生ける者はみんな仏様のいのちを頂いていることを思いおこす「白隠禅師坐禅和讃(坐禅和讃)」というお経があります。このお経は350年程前に現在の沼津市原(静岡県)に住んでいらっしゃった白隠禅師という臨済宗の和尚様が記したお経です。



 東光寺のある静岡市清水区横砂が静岡や清水と言われるよりも前、庵原と呼ばれていた350年ほど前に平四郎という男がいました。


 平四郎は僧侶ではなく、一般の方でしたが あるきっかけがあり 一人で必死に坐禅をするようになります。何日も坐禅を続けると自分が「悟った」と感じたそうです。しかし、自分では本当に悟っているのかわかりません。そこで、本当に悟っているのか確認をしたいと、山を越え、原に住む白隠禅師に聞きに行こうと考えました。





 平四郎は険しい薩埵峠【さったとうげ】を超えて原に向かいます。その時見たのが富士山と山々の緑そして海が作り出す素晴らしい景色でした。平四郎は薩埵峠を越えるとき思わず


「草木国土 悉皆成仏とはまさにこのことだ!」


と叫んだそうです。平四郎はその後、白隠禅師との問答を通して悟りを認められています。



「草木国土 悉皆成仏」 とは、人間だけでなく、犬や猫などの動物、草や木さらに山や川にまで皆同じ仏様の心でつながっている。という意味で、お釈迦様が坐禅をされ、お悟りを開かれたときの言葉です。






 坐禅和讃も「衆生本来仏なり」といって、生きている者はみんな仏様の心を頂いていることを表す文章から始まっています。仏様の心とは、「悟り」や「生まれながらにいただいている宝のようなこだわりのない、ほどけた心」とも言い換えることが出来ます。






 私は「衆生本来仏なり」という言葉に何度も助けられたことがあります。私が初めてこの言葉の意味を知ったのは10年ほど前でした。この言葉の意味を教えて下さったのは妙心寺の中の霊雲院御住職則竹秀南老師でした。






 縁がありまして、これから修行をさせていただくときに、ご挨拶に行かせていただきました。当時の私は修行をさせていただくことは決まっていましたが、

「修行はとっても厳しくて私には勤まらないのではないか」、

とも思っていましたし、自分の生き方について悩んでいた時期でもありましたので

「修行へ行くと自分の悩みは解決するのか?」

など、もやもやした気持ちがあり、前向きになりきれていませんでした。老師は、そんな気持ちを持ったまま座っている初対面の私に2言だけ声をかけてくださいました。





2言だったのでよく覚えています。一言目は

「いろいろなことがあったんだね。」

という言葉でした。



驚きました。老師は私の生い立ちや、なぜこれから修行へ行こうとしているのかなど知る由もありません。しかし、「いろいろなことがあったんだね。」と声をかけていただいただけで、何故か込み上げてくるものがありました。






 どきどきしている私に老師はもう一言

「君は衆生本来仏なりという言葉を知っているか。」

と声をかけてくださいました。



 不勉強な私は正直に「分かりません」と答えると老師は続けます。

「衆生と言うのは あなたであり、私だ。生きている者はみんな仏様の心を頂いているんだ。修行と言うのは、仏様を感じることなのだ。」

と・・・

 もちろん、私は老師に悩みを打ち明けていません。しかし、今現在悩んでいること、そしてこれまで悩んできたことの答えを突然突きつけられた気持ちになりました。自分の中で、これまでに作り出してきたいろいろな「こだわり」という名の壁が「衆生本来仏なり」という言葉で小さいけれどしっかりと穴を開けられ、その小さな穴から水があふれ出てダムが壊れていくように、私の凝り固まっていた心がほどけていくように感じました。




 私はそれ以上何も言えなくなり、心がほどけて行くと同時に涙が流れていたことを覚えています。




 しかし、この時は「自分の中に仏様がいる」と言うことを実感できたわけではありませんが、目の前にいる老師が私の心の中までも見通し、その上で言葉をかけてくれているのだから、必ず私の中にも そして これまで私を支えてくれたすべての方に「こだわりの無い、素直な心、仏心と呼んでもよい、生まれながらに頂いている宝」が有ると信じることができました。





 そう信じることができた瞬間、これまで悩んでいたことは次々に解決し、今、この瞬間を精一杯に生きていこうと決心するとことができました。




 心がほどけた庵原の平四郎がいつも見ていた富士山を見て「草木国土 悉皆成仏」と感動の声をあげました。この言葉には、いつも見ていたはずの景色がひとつの気付きをきっかけにして これまでと違って見えた感動もあったのだと思います。





 私も同じように「衆生本来仏なり」という言葉と出会い、臨済宗妙心寺派の生活信条が違って見えてきました。経典には心の修理方法が書いてあるとも言われていますが、生活信条はまさに現代を生きる私達の心の修理方法だとも言えます。



一日一度は静かに坐って 身と呼吸と心を 調えましょう



 静かに坐ることで、心が調い 本来持っている仏様の心を見つめ直すことができること。心が調うからこそ自分の尊さに気が付くことでき、自分の尊さに気が付くからこそ他人の尊さに気が付くこともできる。他人の尊さに気が付いたとき、自分が生かされていることを実感し、感謝せずにはいられない。感謝の気持ちを持つことで、さらに心が調ってくることを今を生きる私たちに教えてくれているのだと思います。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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