人は亡くなると天国に行くのか!??
「地獄」と言う本を 他のお寺で見せていただき私も購入しよう本屋さんへ行くと「地獄」という本の隣に
極楽
と言う本が売っていたので衝動買いをしてしまいました・・・

極楽という言葉を目にすると「天国」という言葉が頭に浮かびます・・・
東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。
・・・・お釈迦様の教えを伝える仏教寺院です。
そのため、仏教徒の葬儀・告別式に接する機会が多くあります。
しかし、私がまだ若いころ(僧侶として生きていく前)に この告別式で読まれる弔辞について、ある和尚様に
「仏教徒なのに、弔辞やお別れの言葉で 天国に行っても見守ってください。 と言ってしまう人がいて困っている・・・」
と言われたことがあります。その時は
「え、天国って何か変なことなのかな?」
と、この和尚様の言わんとすることが分からず聞き流してしまいました・・・・
しかし、仏教のこと知ると「天国に行っても」と言う言葉は少し葬儀の場では相応しくない言葉なのかもしれないと感じるようになりました。
仏教的な考え方(仏教以前からあった考え方)に輪廻転生【りんねてんしょう】と言う考え方があります。仏教語の辞書で調べると
インドで広くおこなわれた考えであるが,仏教では,解脱(げだつ)しない限り,生ある者は迷いの世界である六道(ろくどう)を輪廻しなければならないと考えられていた
と書いてあります。
六道とは
地獄【じごく】
餓鬼【がき】
畜生【ちくしょう】
修羅【しゅら】
人間【にんげん】
天【てん】
の六つの世界のことであり、この六つの世界を生まれ変わり死に変わることを輪廻転生と言っています。
そして、この六つの世界をグルグル回り続けることから脱出することを解脱【げだつ】や悟りと表現します。
「天国」と言う言葉は仏教の言葉ではありませんが一番近い言葉が「天」・「天道」だと言えます。
残念ながら「天」は、何の苦しみも無い世界ではなく
経験苦のない喜びの世界だが、生死など根本苦が未解決な世界
と表現される世界です。 仏教徒は「天」ですら 突き抜けてしまおうと考えているわけですから、仏教の葬儀では
「天国へ行っても・・・」
と言う言葉は的確な表現とは言えなくなってしまうのです・・・
じゃあ どこへ行くの??
そんな疑問もあると思います。
私は、この疑問の答えが一休さんの詩にあると思っています。ちなみに一休さんは600年ほど前の臨済宗の和尚さんです。
その一休さんの詩に
死にはせぬ
どこへも行かぬ
ここに居る
たづねはするな
ものは云わぬぞ
といったものが残されています。分かりやすい、素敵な言葉です!
極楽
と言う本が売っていたので衝動買いをしてしまいました・・・

極楽という言葉を目にすると「天国」という言葉が頭に浮かびます・・・
東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。
・・・・お釈迦様の教えを伝える仏教寺院です。
そのため、仏教徒の葬儀・告別式に接する機会が多くあります。
しかし、私がまだ若いころ(僧侶として生きていく前)に この告別式で読まれる弔辞について、ある和尚様に
「仏教徒なのに、弔辞やお別れの言葉で 天国に行っても見守ってください。 と言ってしまう人がいて困っている・・・」
と言われたことがあります。その時は
「え、天国って何か変なことなのかな?」
と、この和尚様の言わんとすることが分からず聞き流してしまいました・・・・
しかし、仏教のこと知ると「天国に行っても」と言う言葉は少し葬儀の場では相応しくない言葉なのかもしれないと感じるようになりました。
仏教的な考え方(仏教以前からあった考え方)に輪廻転生【りんねてんしょう】と言う考え方があります。仏教語の辞書で調べると
インドで広くおこなわれた考えであるが,仏教では,解脱(げだつ)しない限り,生ある者は迷いの世界である六道(ろくどう)を輪廻しなければならないと考えられていた
と書いてあります。
六道とは
地獄【じごく】
餓鬼【がき】
畜生【ちくしょう】
修羅【しゅら】
人間【にんげん】
天【てん】
の六つの世界のことであり、この六つの世界を生まれ変わり死に変わることを輪廻転生と言っています。
そして、この六つの世界をグルグル回り続けることから脱出することを解脱【げだつ】や悟りと表現します。
「天国」と言う言葉は仏教の言葉ではありませんが一番近い言葉が「天」・「天道」だと言えます。
残念ながら「天」は、何の苦しみも無い世界ではなく
経験苦のない喜びの世界だが、生死など根本苦が未解決な世界
と表現される世界です。 仏教徒は「天」ですら 突き抜けてしまおうと考えているわけですから、仏教の葬儀では
「天国へ行っても・・・」
と言う言葉は的確な表現とは言えなくなってしまうのです・・・
じゃあ どこへ行くの??
そんな疑問もあると思います。
私は、この疑問の答えが一休さんの詩にあると思っています。ちなみに一休さんは600年ほど前の臨済宗の和尚さんです。
その一休さんの詩に
死にはせぬ
どこへも行かぬ
ここに居る
たづねはするな
ものは云わぬぞ
といったものが残されています。分かりやすい、素敵な言葉です!
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