ジャガイモと仏教聖典

保育園児のジャガイモの収穫と・・・

仏教聖典・・・
関係は無いと思っていました。
東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にある保育園では普段食べている作物がどのようにできているのかを知るために畑で野菜を育て収穫体験を行っていました。
しかし、以前は種まきや草取りの世話などをお願いし、園児は収穫体験だけを行っていました。
園児たちはタマネギや、じゃがいも・さつま芋など旬の野菜を収穫できるということで、とても喜んで収穫をしていました。しかし、あるとき職員の中から
「収穫体験は確かに楽しい行事で旬のものを自ら収穫することで学ぶことも多いかもしれないが、まったく世話をしないで収穫だけを楽しむのはいかがなものか。」
と言った意見が出されました。そこで、次の年にジャガイモを栽培するときに、大人と一緒に畑の石を拾い、草を取るなどの、畑の準備をする所から始めました。
畑の準備ができると次は種芋を植えます。このときも園児が穴を掘り種芋を全て植えました。
そして、雑草も出てきますので雑草も抜きました。
そして収穫の時期が来ました。残念ながらその年は春先の気温が上がらなかった影響でじゃがいもはこれまでより大きく成長することなく小粒の芋が多くなってしまいました。しかし、収穫の様子を見ていたある先生が
「去年よりも一生懸命掘っている。いつもなら飽きて遊んでしまう子も今年は最後までがんばっている。」
と言ったのです。自分たちが石を拾い、種をまき、草を取った畑のジャガイモだったからこそ、収穫にも力が入ったのだと思います。
実はこれに近いと私が感じることが仏教聖典に書いてあります。
以下、仏教聖典より引用です。
三学を学ぶものが仏の弟子と言われる。三学とは持戒と禅定と智慧である。
農夫が秋に収穫を得るために、まず春のうちに田を耕し、種をまき、水をかけ、草を取って育てるように、さとりを求める者は、必ずこの三学を学ばなければならない。
農夫がまいた種が今日のうちに芽を出し、明日中に穂が出て明後日には刈り入れができるようにと願ってもそれは出来ないことであるように、さとりを求める者も、今日のうちに煩悩を離れ、明日中に執着を無くし、明後日に悟りを得ると言うような不思議は得られないのである。
だから、さとりを求める者は、心を清らかにして教えを守り、戒を保たなければならない。戒を保てば心の統一を得、心の統一を得れば智慧が明らかとなり、その智慧こそ 人をさとりに導く。
と書かれています。
今年もジャガイモの植えつけの時期が迫ってまいりました。今年も園児達とジャガイモを育てたいと思います!!
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