仏教とクリスマス
12月に入り、「クリスマス」を感じることが増えてきました。
「クリスマス」はイエス・キリストの誕生を祝う祭りだと私は認識しています。

昨年のクリスマスには、東光寺の水子・子育て地蔵尊にもたくさんのお供え物がありました。
私の個人的な考えですが、
お供え物は「これ」でなくてはいけない・お参りの仕方は「こう」でなくてはいけない!という決まりよりも、常に身近な場所で暖かい笑顔で見守ってくださるお地蔵様へ、「亡くなったお子様への祈りの気持ち」や「健やかな成長を祈る気持ち」を素直に表したお供え物の方が尊いものだと感じています。
現代の日本ではクリスマスが宗教行事だと強く感じている人は減ってきているのかもしれません。
しかし、最近少し気になるチラシを見つけてしまいました。それは、
クリスマスコンサート!
のチラシです。
「え、クリスマスコンサートなんてどこにでもあるじゃん!?」
と言う方もいらっしゃるかもしれません。
もちろん、私もどこにでもあると思います。しかし、今回はあって欲しくない場所にありました。
それは以前、写経会のポスターの掲示を依頼したところ
「宗教活動だからダメ!」
と断った公共施設だったのです・・・断られたときは納得しましたが、キリスト教の行事が良くて仏教がダメとなると話は違います!!文句でも言おうかと感じてしまいましたが、文句を言ったところで何も解決しません。
なぜ、公共施設でキリスト教がは許されて仏教がだめだったのか!??
答えは簡単かもしれません。キリスト教というよりも「クリスマス」が宗教行事を超えた国民的行事と認識されているからなのでしょう。
もっともっと仏教行事を普段の生活の中に浸透していくように努力や活動が必要なのではないかと、12月から始まるクリスマスで盛り上がる時期になると感じます。
「クリスマス」はイエス・キリストの誕生を祝う祭りだと私は認識しています。

昨年のクリスマスには、東光寺の水子・子育て地蔵尊にもたくさんのお供え物がありました。
私の個人的な考えですが、
お供え物は「これ」でなくてはいけない・お参りの仕方は「こう」でなくてはいけない!という決まりよりも、常に身近な場所で暖かい笑顔で見守ってくださるお地蔵様へ、「亡くなったお子様への祈りの気持ち」や「健やかな成長を祈る気持ち」を素直に表したお供え物の方が尊いものだと感じています。
現代の日本ではクリスマスが宗教行事だと強く感じている人は減ってきているのかもしれません。
しかし、最近少し気になるチラシを見つけてしまいました。それは、
クリスマスコンサート!
のチラシです。
「え、クリスマスコンサートなんてどこにでもあるじゃん!?」
と言う方もいらっしゃるかもしれません。
もちろん、私もどこにでもあると思います。しかし、今回はあって欲しくない場所にありました。
それは以前、写経会のポスターの掲示を依頼したところ
「宗教活動だからダメ!」
と断った公共施設だったのです・・・断られたときは納得しましたが、キリスト教の行事が良くて仏教がダメとなると話は違います!!文句でも言おうかと感じてしまいましたが、文句を言ったところで何も解決しません。
なぜ、公共施設でキリスト教がは許されて仏教がだめだったのか!??
答えは簡単かもしれません。キリスト教というよりも「クリスマス」が宗教行事を超えた国民的行事と認識されているからなのでしょう。
もっともっと仏教行事を普段の生活の中に浸透していくように努力や活動が必要なのではないかと、12月から始まるクリスマスで盛り上がる時期になると感じます。
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