無所得(自然に体が動いた少年に感動しました!)
先日、とても美しい光景を目にすることができました。
お寺での法要が終わり参列された方々が外に出ようと玄関へ向かいました。

あまり広くない玄関に参列者がいっせいに集まったため下駄箱から靴を出す人や、靴を履く人で少し渋滞ができていました。
そのとき一人の小学生の男の子がスッと父親の靴を手に取り父親の足元に揃えて置いたのでした。そして、次に母親の靴も同じように母親の前に並べたのです。
このとき親子に会話はありません。男の子の動きはとても自然で何の違和感もなく、私はただ「あ、美しい」と感じました。もちろん、男の子は誰かに
「靴を取ってくれ」
と言われたわけではありません。男の子の体が自然に動いていたのです。
日常でも使われる言葉に
無所得【むしょとく】
という言葉があります。一般的には「収入がない」という意味で用いられます。しかし、仏教語や禅語では無所得は
とらわれの心がない自由な境地。執着することのない理想的な境地
という意味で使われます。
まさに、男の子の行動は無所得な行為であったために非常に美しいと感じたのだと思います。
この、男の子は法要の最中も真剣にお経の本を見ながらお経をお唱えしたり、あいさつもしっかりできるなど感心させられることばかりでしたが、最後の行動は本当に感動的でした。
また、とっさのときに体が動かない私自身の修行不足を痛感させられました・・・
お寺での法要が終わり参列された方々が外に出ようと玄関へ向かいました。

あまり広くない玄関に参列者がいっせいに集まったため下駄箱から靴を出す人や、靴を履く人で少し渋滞ができていました。
そのとき一人の小学生の男の子がスッと父親の靴を手に取り父親の足元に揃えて置いたのでした。そして、次に母親の靴も同じように母親の前に並べたのです。
このとき親子に会話はありません。男の子の動きはとても自然で何の違和感もなく、私はただ「あ、美しい」と感じました。もちろん、男の子は誰かに
「靴を取ってくれ」
と言われたわけではありません。男の子の体が自然に動いていたのです。
日常でも使われる言葉に
無所得【むしょとく】
という言葉があります。一般的には「収入がない」という意味で用いられます。しかし、仏教語や禅語では無所得は
とらわれの心がない自由な境地。執着することのない理想的な境地
という意味で使われます。
まさに、男の子の行動は無所得な行為であったために非常に美しいと感じたのだと思います。
この、男の子は法要の最中も真剣にお経の本を見ながらお経をお唱えしたり、あいさつもしっかりできるなど感心させられることばかりでしたが、最後の行動は本当に感動的でした。
また、とっさのときに体が動かない私自身の修行不足を痛感させられました・・・
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