「約束をやぶったら針を千本飲まされるの!!?」
突然ですが、これから
持戒【じかい】
という言葉について紹介をさせていただきたいと思います。今回は4回目(全4回中)、いよいよ最終回です。
「約束をやぶったら針を千本飲まされるの!!?」
と題してお話をさせていただきます。
第1話 「持戒【じかい】って何!?」はこちらをクリックしてください。
第2話 「仏教徒になるための約束って何!?」はこちらをクリックしてください。
第3話 「仏教徒になるための約束をもっと具体的に!!」はこちらをクリックしてください。
これまで、「戒」とは
「 人として生きていくうえで守らなければならない約束」
だということを紹介してきました。
では「戒」をやぶる、つまり約束をやぶったらどうなるのでしょうか!?
昔から「嘘ついたら針千本のーます」とは言いますが、戒を守らなかったからと言って特に罰則が決まっているわけではありません。もちろん針を飲まされることもありません!!
日本は法治国家だから、
「法律で罰せられるから守らないといけなのだ。」
と考える人もいるかもしれませんが、これも違います。
臨済宗妙心寺派の生活信条の
「人間の尊さにめざめ、自分の生活も他人の生活も、大切にしましょう。」
という言葉にも表されるように、
自分自身が持戒の気持ちを持ち、他人も同様に持戒の気持ちを持っているという事実を受け止めることによって人間の尊さに気が付くことができるのだと思います。

戒を守らなければ法律で罰せられるかというと、全て罰せられるわけではありません。
しかし、戒を守らなかったと言う気持ちが自分自身の心の中から次々に出てきてしまい、自分ができていないのだから他人も戒を守れていないのではないかと思い込んでしまい、自分も他人も大切にできなくなってしまうと思います。
これは法によって罰せられるよりもはるかに苦しいことなのかもしれません。
今回の話しの始めに紹介させていただいた「彼岸に到る」という意味がある「波羅蜜多」(パーラミター)は、彼岸という迷いのない安らかな境地に至ることを意味しています。

この安らかな境地は、遠くにあるわけではありません。自分自身の心の中にあるものです。
「そこにある」ということに気付けるか気が付けないかは私たちの心次第で、日常の何気ない些細なところに、どこにでもあるものです。
私自身も五戒と言う言葉を目の前にすると、分かってはいるのですが なかなか普段の生活では意識することができていない気がします。せっかくこのような尊い教えを知っても普段の生活で忘れてしまっていてはもったいないものです。
ですからお寺でお参りをしていただいたときや、御自宅やお墓の前で御参りをしたとき、さらにお彼岸の期間などに六波羅蜜や持戒のこと思い出し、できるだけ忘れずに生活していきたいと思います。
皆さんも、どこか頭の片隅に「持戒」や「五戒」といった言葉を留めていただきながら生活をしていただければ日常の生活がより豊かなものになっていくのではないかと思います。
長文で失礼しました。
持戒【じかい】
という言葉について紹介をさせていただきたいと思います。今回は4回目(全4回中)、いよいよ最終回です。
「約束をやぶったら針を千本飲まされるの!!?」
と題してお話をさせていただきます。
第1話 「持戒【じかい】って何!?」はこちらをクリックしてください。
第2話 「仏教徒になるための約束って何!?」はこちらをクリックしてください。
第3話 「仏教徒になるための約束をもっと具体的に!!」はこちらをクリックしてください。
これまで、「戒」とは
「 人として生きていくうえで守らなければならない約束」
だということを紹介してきました。
では「戒」をやぶる、つまり約束をやぶったらどうなるのでしょうか!?
昔から「嘘ついたら針千本のーます」とは言いますが、戒を守らなかったからと言って特に罰則が決まっているわけではありません。もちろん針を飲まされることもありません!!
日本は法治国家だから、
「法律で罰せられるから守らないといけなのだ。」
と考える人もいるかもしれませんが、これも違います。
臨済宗妙心寺派の生活信条の
「人間の尊さにめざめ、自分の生活も他人の生活も、大切にしましょう。」
という言葉にも表されるように、
自分自身が持戒の気持ちを持ち、他人も同様に持戒の気持ちを持っているという事実を受け止めることによって人間の尊さに気が付くことができるのだと思います。

戒を守らなければ法律で罰せられるかというと、全て罰せられるわけではありません。
しかし、戒を守らなかったと言う気持ちが自分自身の心の中から次々に出てきてしまい、自分ができていないのだから他人も戒を守れていないのではないかと思い込んでしまい、自分も他人も大切にできなくなってしまうと思います。
これは法によって罰せられるよりもはるかに苦しいことなのかもしれません。
今回の話しの始めに紹介させていただいた「彼岸に到る」という意味がある「波羅蜜多」(パーラミター)は、彼岸という迷いのない安らかな境地に至ることを意味しています。

この安らかな境地は、遠くにあるわけではありません。自分自身の心の中にあるものです。
「そこにある」ということに気付けるか気が付けないかは私たちの心次第で、日常の何気ない些細なところに、どこにでもあるものです。
私自身も五戒と言う言葉を目の前にすると、分かってはいるのですが なかなか普段の生活では意識することができていない気がします。せっかくこのような尊い教えを知っても普段の生活で忘れてしまっていてはもったいないものです。
ですからお寺でお参りをしていただいたときや、御自宅やお墓の前で御参りをしたとき、さらにお彼岸の期間などに六波羅蜜や持戒のこと思い出し、できるだけ忘れずに生活していきたいと思います。
皆さんも、どこか頭の片隅に「持戒」や「五戒」といった言葉を留めていただきながら生活をしていただければ日常の生活がより豊かなものになっていくのではないかと思います。
長文で失礼しました。
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