FC2ブログ

食事五観文 その3 【お米1粒に88の苦労、では半粒なら苦労は44!?】

600食事五観文四






私も家族の食事を作ることがありますが、食事を作るときに3人前を作るのも4人前作るのも苦労は同じだと思います。同じものを作るのであれば1人前だからといって苦労が減るわけではありません。


昔から、”米”という漢字の成り立ちを含めて「お米1粒を作るのに88(八十八)の苦労がある」と言われています。


では、1粒ではなく半粒だったら苦労は半分になるのでしょうか。


もちろんなりません。


88の苦労があります。


では、1/4粒なら!?


もちろん22の苦労ではなく88の苦労があります。


と、言うことは茶碗にこびりついてしまったお米にも88の苦労があるのです。






食事の前に「いただきます」と挨拶をしますが、禅宗ではもう少し丁寧な言葉があります。


それが食事の前にお唱えする食事五観文【しょくじごかんもん】というお経です。


食事五観文は食事をする際の誓いの言葉であり、5つの言葉から成り立っています。


その中に


心を正しく保ち、あやまった行いを避けるために、過ちを持たないことを誓います。


という意味の

三つには、心を防ぎ、過貧等を 離るるを 宗とす
【みつには しんをふせぎ とがとんとうを はなるるを しゅうとす】


という言葉があります。



心を正しく保ち、あやまった行いを避けるために、過ちを持たないことを誓います。


普段の生活でも大切にしなくていけないことですが、食事に目を向けたときには


「欲張らず、残さずいただきます」


と言い換えることもできます。



”残さず”というのは本当に難しいことです。

茶碗にこびりついたお米にも88の苦労が詰まっているのであれば、この1粒にも満たないこびりつきすら残してはいけないのです。



だからこそ禅宗の食事だけでなく、古くからの習慣として【洗鉢:せんぱつ】があるのです。


洗鉢とは、鉢を洗うことです。


鉢とは食事をする際に使う食器です。
※托鉢を受ける器も同じものです。


つまり、食器を洗うことです。


「え、食器を洗う!? 誰でも洗うよ!!」


と思うかもしれませんが、多くの方が想像する洗剤とスポンジを使って台所で行う食器洗いとは少し違います。



洗剤の代わりにお茶、又はお湯

スポンジの代わりにタクアンを使い、

洗う場所は台所ではなく、食事をした場所なのです。






食事が終わると、使っていた器にお茶を注ぎタクアンでこびりついたお米をそぎ落とし、お茶もタクアン、そぎ落としたお米も全てを飲み干しいただくのです。


この習慣には多くの意味が込められていますが、


「残さない」を徹底的に行った姿だと私は捉えています。


こびりついた部分にすらお米の”いのち”を感じて大切にするための習慣なのであり、「欲張らず、残さずいただく」ことの実践なのです。




こういった、大きい・小さいなどと言った形にこだわることなく全ての“いのち”を大切にする習慣こそが、「心を正しく保ち、あやまった行いを避ける」ために大切なことになるのです。



心を正しく保つために、


慣れない洗鉢を突然することは難しいかもしれませんが、徹底的な「残さない」に挑戦し、習慣になっていくことを願っています。
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

私の父が、食事の最後にお茶碗にお茶を注いでいたのを懐かしく思い出しました。

お坊様ではありませんが(^。^)
戦争を体験した世代です。

私も、今日から早速真似を致します。
ありがとうございます!

コメントありがとうございます!

この話をさせていただいた所、複数の方からお坊さん以外の身内(戦争を体験されている年代の方が)が同じことをしていたと教えてくださいました。

大切にしたい習慣だと感じています。 無理のない範囲で、やれるとき・やりたいと感じたときにぜひ実践してくださいv-290 
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる