涅槃図に描かれない最後の弟子

お釈迦様が亡くなれた際の様子を描いたものを涅槃図と言います。
お釈迦様の御命日である2月15日に多くのお寺で涅槃図を掛けてお参りをするので見かけたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
※涅槃図についてはこちらの記事をご覧ください
その涅槃図について書かれた本を読んでいると、興味深い内容が書かれていました
涅槃図には亡くなられたお釈迦様の近くで悲しみのあまり倒れているアナンダ【阿難尊者・あなんそんじゃ・アナン】が描かれています。
本には、
アナンダをスバッタと勘違いする人がいる。
と書いてあるのです。
本来ならばスバッタはお釈迦様が亡くなる前に亡くなっているので涅槃図に描かれることがない。
しかし、アナンダが倒れている姿が亡くなっているようにも見えるのでスバッタと勘違いしてしまう人がいる。
しかしスバッタはお釈迦様が亡くなることを知って、亡くなる瞬間にとても立ち会うことができないと言って
結跏趺坐し、
自ら神力をもって
身中より火を出し
身を焼いて
滅度を取る
という亡くなりかたをした。
とも書いてありました。
この「結跏趺坐し、自ら神力をもって身中より火を出し身を焼いて滅度を取る」という言葉は
足を組み、坐禅をして、体の中から火を出して、その火で全身を焼き尽くして亡くなった
と捉えることができます。しかし、スバッタの最後の姿は何を示してくれているのかと考えれば
結跏趺坐し
【坐禅をすることで】
自ら神力をもって
【生まれたときから頂いている尊い心を実感し】
身中より火を出し身を焼いて滅度を取る
【呼吸を調えることで、自分の中にある煩悩や迷いを焼き尽くす】
とも言えるのではないでしょうか。
坐禅中に呼吸を調えようとするときには、息をゆっくりと吐きます。
吐くときに自然とお腹がへこんでいき「もうこれ以上でない」と本気で感じるまで吐きつくします。
そして、ゆっくりと息を吸います。
すると先ほどへこんだお腹がゆっくりともとに戻ってきます。
実際にこの呼吸をすると、お腹の中からポカポカと温まってきます。
この呼吸を続けることが「身中より火を出し 身を焼いて 滅度を取る」なのだと考えています。
涅槃図に描かれていませんが、涅槃図の中で倒れているアナンダをお参りしたときには、最後の弟子であるスバッタのことを思い出し、スバッタの最後に姿から心を調えることの大切さを思い出していただきたいと思います。