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食事五観文 その2 【こぼれ落ちた稲穂のいのち】

600食事五観文二





以前、中学校の教員をしているときにバケツを使ったお米の栽培に挑戦をしたことがありました。


栽培用の説明書の通り生徒達と栽培をしたところ、無事に収穫をすることができました。


収穫した稲穂を乾燥させ、精米をする作業は理科室で行いました。


栽培を大変でしたが、機械などありませんので手作業での精米は予想以上に苦労をしました。


それらの作業も無事に終わって


ご飯が食べられることはとてもありがたいことだと実感をしたことをよく覚えています。





しかし、それよりも衝撃的だったのが何日かしてから理科室の水道を見たときです。


記憶にある方もいらっしゃるかもしれませんが理科室の水道の排水溝には常に水が溜まっています。


その溜まった水の中から1本の稲が顔を出していたのです。


精米作業中にポロリと1粒の稲穂が水道に落ちて発芽したのです。


この小さい一本の稲を見たときに、言葉では言い表せない感動に身体が震えました。


と、同時にお米を栽培することで苦労を知ったつもりになっていた自分が恥ずかしくなりました。


栽培して精米をするまでの私は「お米」をお米としか見ていなかったのです。


理科室の水道で芽吹いた稲も環境さえ調えば無数のいのちを育みます。


私はそのことがまったく見えていなかったのです。


目の前にあるお米の中にある無数の「いのち」に気がついていなかったのです。


だからこそ、芽吹いた緑の中に「いのち」を感じたときに、感動と今まで気づいていなかった恥ずかしさや後悔などの感情がいっぺんに押し寄せてきたのです。







食事の前に「いただきます」と挨拶をしますが、禅宗ではもう少し丁寧な言葉があります。


それが食事の前にお唱えする食事五観文【しょくじごかんもん】というお経です。


食事五観文は食事をする際の誓いの言葉であり、5つの言葉から成り立っています。



その中に


自分の日々の行いを反省してこの食事をいただきます。


という意味の


二つには、己が徳行の全けつを忖って供に応ず
【ふたつには おのれが とくぎょうの ぜんけつを はかって くにおうず】



という言葉があります。




私は、ポロリと落ちた1粒の稲穂が発芽した姿を目の当たりにしたとき、この言葉を思い出しました。


目の前にあるお米の中にある無数の「いのち」の存在を実感したとき、どんなに苦労をしたつもりでも、その「いのち」をいただけるだけのことをしたのか自分を省みなくてはいけません。


そして、省みればどのように生きていけば良いかが見えてきます。


そのときに初めて、いただいた「いのち」を無駄にすることなく生かし切る生き方を歩み始めることができるのだと感じました。


食事五観文をお唱えすることはできなくても


食事をする際に手を合わせたときに自分を振り返ってから「いただきます」と挨拶をするのも良いかもしれません。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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