宗教とは 【臨済禅ハンドブックに学ぶ】
仏教のことを学び体験するまで「宗教」は怖い、気持ち悪いものだと思っていました。
「なんだか気味が悪いもの」「変な人の集団」というイメージがついてしまっている方も少なくありません。
たしかに“宗教”を自称し、私利私欲の為に人々を騙すような人間もいます。
しかし、学んでみると宗教とは本来、人間の根本の生き方を説くものでした。
「宗教」という文字を分解すると「宗」の「教え」となります。
「宗:むね」は、「おおもと」や「根本」を指す言葉です。
「教え」は、教えであり、生き方と言えます。
つまり、宗教とは、人間の根本の生き方ということになります。

最近、改めて勉強をするために「臨済禅ハンドブック」という本を読み返しています。
非売品の本なのでご覧になったことがある方は少ないかもしれません。
臨済宗妙心寺派の僧侶としての基本的な知識習得のためのテキストです。
この本(テキスト)の始まりは
です。そこには
と書いてありました。
そして、この第1章「宗教」の最後には
宗教は人間の心の拠り所として存在しているのである。
と締めくくられています。
人が1人では生きていけないことは誰もが知っていることであり、体験したことです。
だからこそ”つながり”の大切さを実感しています。
※「神と人とのつながり」だけではなく、全てのものとのつながり
そして、”つながり”の中で生きているのですから、その”つながり”が心の拠り所となるのです。
この”つながり”を「宗教」と呼んでいたのだと、臨済禅ハンドブックを読み返して改めて実感することができました。
現代では、「宗教」と聞くと”いかがわしいもの” や ”気持ち悪い”と思われてしまっていますが、宗教という言葉の本来持っている意味をこれからも伝えていこうと臨済禅ハンドブックに誓いました。
「なんだか気味が悪いもの」「変な人の集団」というイメージがついてしまっている方も少なくありません。
たしかに“宗教”を自称し、私利私欲の為に人々を騙すような人間もいます。
しかし、学んでみると宗教とは本来、人間の根本の生き方を説くものでした。
「宗教」という文字を分解すると「宗」の「教え」となります。
「宗:むね」は、「おおもと」や「根本」を指す言葉です。
「教え」は、教えであり、生き方と言えます。
つまり、宗教とは、人間の根本の生き方ということになります。

最近、改めて勉強をするために「臨済禅ハンドブック」という本を読み返しています。
非売品の本なのでご覧になったことがある方は少ないかもしれません。
臨済宗妙心寺派の僧侶としての基本的な知識習得のためのテキストです。
この本(テキスト)の始まりは
第1章 宗教について
です。そこには
1、宗教という名称
現在使われている宗教という言葉は、江戸時代末期に英語のレリジョン(religion)の訳語として使用され始め、明治時代になって広まった。
レリジョン(religion)の語源はラテン語のレリギオ(religio)で、「つながり」の意である。
一般に「神と人とのつながり」を指すものとされる。
仏教の経典や禅宗の語録の中にも、宗教という用語が見えるが、「根本的な教え」の意味であり、現代語の「宗教」とは指す内容が異なる。
と書いてありました。
そして、この第1章「宗教」の最後には
宗教は人間の心の拠り所として存在しているのである。
と締めくくられています。
人が1人では生きていけないことは誰もが知っていることであり、体験したことです。
だからこそ”つながり”の大切さを実感しています。
※「神と人とのつながり」だけではなく、全てのものとのつながり
そして、”つながり”の中で生きているのですから、その”つながり”が心の拠り所となるのです。
この”つながり”を「宗教」と呼んでいたのだと、臨済禅ハンドブックを読み返して改めて実感することができました。
現代では、「宗教」と聞くと”いかがわしいもの” や ”気持ち悪い”と思われてしまっていますが、宗教という言葉の本来持っている意味をこれからも伝えていこうと臨済禅ハンドブックに誓いました。
- 関連記事
-
- 涅槃図に描かれた老女と坐禅と最後の教え (2021/02/13)
- 仏教聖典 キサーゴ―タミーの話しに学ぶ (2021/02/04)
- 宗教とは 【臨済禅ハンドブックに学ぶ】 (2021/02/03)
- 寒松一色千年別なり (2021/01/24)
- 実践して実感する例え話 (2020/12/17)