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昔話シリーズ その15 かさじぞう


この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)で行われてみんなの坐禅会(子供坐禅会)で私が話した内容をまとめたものです。





600かさじぞう
昔話シリーズ【15】 かさじぞう



有名な「かさじぞう」ですが、調べてみると、話の流れは一緒ですが内容に細かい違いがあることもあります。




大まかな流れは

貧しい老夫婦が暮らしていた。

新年を迎えるための餅すら買うことができなかった。

おじいさんは、町に出て笠を売ろうとしたが売れなかった。

あきらめて雪の中家に帰ろうとする。

おじいさんは六人のお地蔵さまを見かけると、寒そうな様子を見て可哀想に思い、売り物の笠をかけてあげる。

おじいさんが家に帰って笠をお地蔵様にかけた話をしてもおばあさんは「良いことをした」と言って怒らない。

夜、老夫婦が寝ていると、家の外で音がする。
扉を開けて外の様子を伺うと、家の前に米や餅・野菜・魚などの様々な食料や小判などの財宝が山のように積まれていた。
老夫婦は、笠をかぶったお地蔵さまが去ってゆくのを見送る。



といったものです。



かさじぞうのお話しは大切な「布施」の心を教えてくれています。


布施【ふせ】とは仏教が大切にする見返りを求めずに誰かのために一生懸命何かをすることです。


”見返りを求めない”ということはとても難しいことです。




私達は

「何かしてもらったら ありがとう とお礼を言いましょう」

と教えられることが多くあります。



だからこそ、何かをしたのに「ありがとう」と言ってもらえないと「あいつは失礼な奴だ」と怒ってしまいます。


これでは「布施」ではありません。なぜ怒るのかと言えば、何かをしてあげたのだから「ありがとう」というお礼を求めてしまっているのです。


求めているのにもらえないから怒ってしまうのです。



“かさじぞう”の話しに出てくるおじいさんは見返りを求めるどころか、迷いや悩みもないように感じます。



雪が降る中でお地蔵様を見たときに


「笠をかけようかな?」


という気持ちになっても、


「そんなことを自分がしても良いのか!?」


「余った笠で失礼にならないか」


「お地蔵様と言っても石なんだからほっとけばよい」


などと考えてしまいます。

しかし、このような問題に正確な答えなどありません。


だからこそ、自分の心の中にある正しい答えに気がつかなければいけません。







心の中にある正しい答えに気がつくためには、余分なものを心の中からどかさなければなりません。


その方法のひとつが坐禅であり・読経です。


坐禅をして読経をした際に出現する、かさじぞうの主人公のおじいさんのように自分の中にある心に従って素直に行動できる人間になりたいものです・・・
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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