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昔話シリーズ その12 桃太郎

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)で行われてみんなの坐禅会(子供坐禅会)で私が話した内容をまとめたものです。



60昔話し12

昔話シリーズ【12】 桃太郎




臨済宗円覚寺派の管長を務める横田南嶺老師と東京都世田谷区にある龍雲寺住職の細川師の対談を聞いて多くの僧侶が、思わずうなった場面があります。



コロナウイルス感染拡大の影響でこれまで行ってきた坐禅会を中止にしたときの感情を横田南嶺老師は

「雨が降ってきたから傘をさすような気持で坐禅会を中止にした。」

と表現されたのです。

長い歴史がある坐禅会を中止にする決断はなかなかできるものではありません。




「坐禅でコロナが広がるとは思えないから中止にしなくても良いじゃないか!」

「せっかくここまで続けたのだから、もう少しがんばってみよう。」

「中止にするのは簡単だが再開するのは難しそうだから、このまま細々続けよう!」



などなど、いろいろ考えてしまうものです。


しかし、横田南嶺老師は何も悩むことなく、そしてとどまることのない心で坐禅会の中止を決められたのです。



自分を捨てて”御縁にしたがった”姿がそこにあったように感じます。




私のような未熟な者は、なかなかこの心境に達することはできないと思います。

このような心境と昔話の桃太郎に登場するおばあさんには相通じるものがあるように感じます。






誰もが知っている昔話と言いても過言ではないのが“桃太郎”です。

その冒頭部分に

「お婆さんが川で洗濯をしていると桃が流れてきました。おばあさんは桃を拾っておじいさんと一緒に食べることにしました。」

とあるのです。




川に桃が流れていても現代を生きる私達は「あ、拾って食べよう」とはなかなか考えません。



「安全だろうか?」

「汚いかも!?」

「桃を食べたら怖いお兄ちゃんに高い桃代を請求されるかもしれない。」



などなど、頭で考えてしまいます。




しかし、お婆さんが頭で考えてしまっては桃太郎の物語は始まりません。


”桃”という流れてくる御縁を大切にしたからこそ、物語が始まったのです。


桃太郎の物語は流れてくる「御縁」を受け止めることの大切さも教えてくれているように感じます。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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