映画を見に行くときの服装

私は映画を見に行くときは“私服”で出かけていました。
衣でもなく、作務衣でもなく、一般的なズボンや服を着用して出かけていました。
しかし、数年前から少しだけ服装に気をつけるようになりました。
それは、ある老師【ろうし】様と呼ばれる、私のような未熟な僧侶を指導してくださる和尚様の言葉がきっかけです。
その和尚様が、
「先日、久しぶりに映画に行ってきた。私はその映画に衣で行ってきた。」
とおっしゃるのです。驚いて聞いていると
「誰かが一生懸命に作った作品を見るときには、こちらも正装をするのが当然だ。もちろん講演なども同じだ。相手がスーツなどの正装で話をされるのであれば、こちらも正装で聞くのは当然だ。」
と言うのです。
講演会を聞くときなどは、どうしても
話をする人 対 聞く大勢の人達
という構図が出来上がってしまいます。
そして、自分が大勢の中の1人だと感じてしまうと「見る・聞く」ということが1対1で対面しているときよりもおろそかになってしまいます。
ついつい寝てしまったり、だらしない姿勢で話を聞いてしまいます。
もちろん失礼な行為ですが、同時に自分自身にとっても大きな損失です。
1対1で話をするよりも得るものが少なくなってしまうのです。
よく、仏教や禅の話しの中の「なりきる」という言葉が出てきます。
掃除をするならホウキになりきる。
トイレを磨くならトイレになりきる。
お経を唱えるならお経になりきる。
分かりそうで、分からない、大変難しい言葉です。
実践することはもっと難しいかもしれません。
しかし、その第1歩が「正装で映画を見に行く」だと思います。
映画を見るなら映画になりきる
いまいち、つかみきれない言葉です。
実践方法も思いつきません。
ですが、正装で映画を見に行くことはできます。
そうすることによって
映画 対 大勢
ではなく
映画 対 1人
という真剣な気持ちで映画に向き合うことができます。
この真剣に向き合うことこそが「なりきる」為の第1歩になります。
老師の
「映画に衣で行った」
という話しは、「なりきる」ことの大切さを教えてくれているように感じます。
- 関連記事
-
- 食べごろのみかん (2020/12/20)
- 子供坐禅会と一般向け坐禅会の共通することと違い (2020/12/19)
- 映画を見に行くときの服装 (2020/12/16)
- “こまめ”の大阪デビュー (2020/12/11)
- 200,000件 【20万件】 (2020/12/10)