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オンライン坐禅会での法話【一般向け:仏教聖典 心を清める4 耐え忍ぶ】

耐え忍ぶことは受け流すことに 我慢は自慢につながる。

自慢ばかりする人に魅力を感じますか。

私は感じません。






前回の記事で

仏教聖典の中にある「煩悩から離れる五つの方法」の中の「耐え忍ぶ」を紹介させていただきました。
※記事はこちらです



その中で、

耐え忍ぶためには「受け止める・受け入れる・受け流す」ことが大切であること。

自然豊かな山の中で苦手な虫に出会ったとしても
1.虫がいた
2.この虫がいるから豊かな山がある ありがたい
3.石を元に戻す
といった具合に受け流すことと、坐禅の最中に呼吸に集中する過程で頭の中に浮かんできた事柄を受け流す方法の共通点を紹介させていただきました。


今回はその続きとも言える内容です。



少し前に、本屋さんである本の題名を見たときに衝撃を受けました。





600そいつ今ごろパフェ

多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ



という本です。



この言葉も,、耐え忍ぶ際に必要な「受け止める・受け入れる・受け流す」を実践する助けになるように感じます。



何か嫌なことを言われれば、その瞬間は嫌な気持ちになります。


しかしその後、嫌なことを言った人がいなくなっても私達はどうしても嫌な気持ちを引きずってしまいがちです。


では、その時に嫌なことを言った人は嫌なことを言い続けているのでしょうか。


もちろん、そんなことはありません。


パフェでも食べているかもしれません。


では、なぜ私達は嫌な気持ちを保ってしまうのでしょうか。


パフェでも食べてのんびりしているかもしれない嫌なことを言った相手を いつまでも自分の中で生かし続けているからです。


そんな、バカらしいことをやめましょうよと「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ」という言葉は教えてくれています。






では我慢をすれば良いのでしょうか。


残念ながら我慢はよくありません。


ストレスが溜まるから?


もちろんそれもあります。


しかしそれだけではありません。


仏教では「我慢」を良い意味では使いません。



「我」には“自分だけをかえりみる”

「慢」には“(他人と比較して思い上がる”




という意味があり、


我慢は他社と比較して自分だけが優れていると思い込むという意味があるのです。




このことから、私は


我慢は やがて 自慢に変わる


と考えています。


我慢をしたことは、「俺はこんなに苦労したんだ!」という一時的な高揚感を生み出しますが、その後は慢心へとつながり、ついつい自慢をしてしまいます。


しかし、「受け止める・受け入れる・受け流す」の実践は、その後 何も残りません。



だからこそ、仏教聖典でも我慢ではなく耐え忍ぶことを説いているのかもしれません。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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