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園児の涙に感じる「今を生きる力」

600保育園の運動会に学ぶ




東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にある保育園で運動会が行われました。



最後の種目はリレーです。


勝った園児達は大喜び。


負けた園児達は悔しい顔をしています。


中には閉会式まで涙を止めることができなかった園児もいました。



私はこの園児の流す涙は素晴らしいものだと感じるようになってきました。



以前の私は、

「保育園の運動会なんかで泣くんじゃない!」

と本気で思っていたどうしようもない人間でいた。


なぜ、私はこのような考えになってしまったのか。

それは、これまで見てきた涙と比べていたからかもしれません。


全国大会を目指して懸命にがんばってきたのに、その直前で敗退したときに見せる涙。

想像を絶する努力の末に結果を出して流す涙。



こういった涙の中には、それまでの様々な努力や苦しみが詰まっています。


ですから、このような涙を見るとこちらまで感極まってしまいます。


以前の私は努力の先にある涙と、園児が保育園の運動会のリレーに負けて涙を流す涙を比べてしまっていたのです。


確かに園児達は運動会(リレー)に向けて一生懸命練習をしてきました。


しかし、それは、何百回、何千回、何万回と数多くの練習を積んできた部活動やプロスポーツなどに比べれば少ない数です。ですから


「そんな少ない努力で涙を流すなんて、もっと努力をしている人に比べたらまだまだだ」


と考えてしまっていたのです。




しかし、これは完全に私の思い違いでした。


それに気がついたのも保育園の運動会でした。


負けても泣かない園児はニコニコと楽しそうな目で走っているのに対して運動会のリレーで負けて泣く園児は走っているときの真剣な目をしています。


走る直前までボケーと地面の石をさわって遊んでいても自分の順番が来たら真剣な目になるのです。


この姿を見たときに、涙は多くの努力を積み重ねてきたから流れるのではなく、これまでの努力と、その瞬間の真剣さによって流れているのだと感じました。


スポーツ選手のように競技に向けて多くの努力をしてきたとは言えない園児の涙は“その瞬間の真剣さ”によって流されたものだと私は感じるのです。


ですから、以前の私は、「保育園の運動会なんかで泣くんじゃない!」と思っていましが、最近では園児の流す涙は素晴らしいものだと感じるようになってきたのです。





禅では「なりきる」ことを大切にします。坐禅をするなら坐禅になりきり、掃除をするなら雑巾になりきり、読経をするならお経になりきりなさいとよく言われます。


そのようなことを積み重ねていくからこそ、自分が生まれながらにいただいている仏様の心になりきることができる、自分が仏だと実感できると説くのです。


言葉では理解できますが、実感したり実践したりすることが難しいことです。


しかし、その姿を示してくれていたのが園児達の「その瞬間の真剣さ」でした。



リレーが始まれば、リレーになりきり、負ければこの世の終わりかと思うくらいに悲しみ、涙を流す。しかし、運動会が終わって帰り道にダンゴムシがいることに気がつけばダンゴムシと一緒になって遊ぶ。


余分な感情に振り回されることなく、その瞬間、その瞬間を生きる姿に大切なことを教えていただきました。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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