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臨済録の「無事」

最近、娘が九九【くく】の練習をしている声が聞こえてきます。


「あ~、そういえば幼い頃は9の段が苦手だったな~」


と、昔のことを思い出します。


また、うまく口が動かず、できるようになるまで何度も何度も繰り返して必死に覚えたことを思い出します。



そして九九が言えるようになると多くの問題を解くことができるようになりました。だからこそ九九は算数や数学の基礎基本になっているように私は感じます。九九ができなかったら多くの場面で苦労をしただろうと今になればよく分かります。




東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗のお寺です。
 


臨済宗は禅宗のお寺ですので禅の教えをとても大切にしています。その禅の教えを学ぶ際に必ず目にすることになるのが臨済録という書物です。



臨済宗の最初の和尚様は、臨済義玄禅師【りんざいぎげんぜんじ】です。



臨済禅師は約1200年前、唐(現在の中国)の僧侶であり、お釈迦様より数えて38代目の和尚様です。臨済禅師は御弟子様達を大変厳しく指導されました。その臨済禅師の教えを弟子が編集したものが臨済宗では最も大切な語録とも言われる臨済録です。









この臨済録には「無事」という言葉たくさん出てきます。私がざっと数えただけでも「無事」という言葉を使った話が17個出てまいります。くどいほどに出てきます。






640臨済録181121


今、私達が臨済録を読みたいと考えて本屋さん言ったとします。するとそこで購入できるのはこの入矢儀高先生が訳注した岩波文庫の臨済録だと思います。




この臨済録の表紙には



『臨済録』は「無事の人」に到達しようとする臨済のきびしい自己格闘の跡をまざまざと描き、語録中の王といわれている。





とあります。さらに解説にも



臨済は「無事の人たれ」と繰り返し教えた





とあります。



それだけ、無事ということの大切さを臨済禅師は伝えてくださっているように感じます。






無事という言葉は日常的に使われる言葉で、日頃は「変わりがないこと」や「健康であること」、「平穏に過ごしている」といった意味で使われています。しかし、




禅では、無事 は 仏や悟りを外や他に求めない心の状態を言い 「一切の作為を離れた自然なあり方」 や 「こだわりのない生き方」 を意味しています。





九九が算数の世界であらゆることの基礎基本になっています。だからこそ、繰り返して覚えます。




同様に、「無事」が私達の生き方の基礎基本だと感じています。
だからこそ、臨済録の中で何度も何度も「無事」と繰り返す必要があったのではないでしょうか。





娘が繰り返し九九に挑戦する姿を見て、私も臨済宗では最も大切な語録とも言われる臨済録の無事について もっと学んでいきたいと感じています。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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