食事五観文(しょくじごかんもん) 2

 新米のおいしい季節になってきました。今年は畑で採れた梅で作った梅干しがあるので、例年よりも食欲がある気がします。


 
 小さい頃、母に

「米は1粒も無駄にしてはいけないよ。米を作るのに八十八の苦労があるんだから!」

 と、言われたことは今でも覚えています。しかし、幼かった私はお米を大切にしなくてはいけないと思いながらも、どれほどの苦労があるのか実感したことはありませんでした。




 私は以前、中学校で理科の教員をしていました。理科の授業で人気があり生徒が興味を持って取り組むのは何と言っても自分の手や体を実際に動かして行う実験などの体験型の授業です。



 ある年、半年をかけてバケツで行う米作りに挑戦したことがありました。私自身も初めての経験だったので、先輩に教えていただいたり、本などの参考資料を調べたりして生徒達と悪戦苦闘しながらの米作りでした。

バケツで米作り2
↑↑ 無事に発芽した稲 ↑↑

バケツで米作り
↑↑ 米作り ↑↑


 この米作りは驚きと感動の連続でしたが、1番驚いたことは、もうすぐ稲に花が咲くという時期(花が咲く少し前)に稲をいじめることでした。


 田んぼでも同様のことが行われているのですが、花が咲く前に田んぼ(バケツ)の水を抜き、土を乾燥させるのです!! 水がなければ稲は枯れてしまいます。 理不尽ないじめに見えますが稲作の大切な工程です。土を乾燥させると稲は生命の危機を感じ、水を求めて必死に根を伸ばします。


 そして根が伸びたところで、再び田んぼ(バケツ)に水を入れるのです。根が伸びた稲は水をこれまで以上に体に取り込み、大きく成長し多くの米を実らせるのです。




 我々が普段からいただいている米一粒は、多くの方の苦労や想いだけでなく 「稲」 自身が生命の危機を感じるまでに追い込まれた結果産まれてきていることを実感した米作りの経験でした。



 禅宗では食事の前に唱えられる食事五観文(しょくじごかんもん)というものがあり、その2番目の言葉が


二つには、己が徳行の全けつを忖って供に応ず


です。現代的な言葉で表すと


 私たちは何の徳行もないのに、この食事をいただくことができます。食事をいただくに値する生き方をしていけるか、深く反省した上でいただきます。


と表すことができます。



 私は、米作りの体験を思い出すたびに、食事をいただくことができるということは 多くの方の苦労や想いに感謝するだけでなく まだまだ不十分ではありますが、多くの命をいただいて生きていく以上、この食事をいただくに値する生き方をしなくていけないと感じています。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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