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人は裸になれるのか 【その3】

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最近


無依の道人 【むえの どうにん】


という言葉を紹介させていただきました。



※ 記事「無依の道人【人は裸になれるのか その1】」では無依の道人という言葉について紹介をしました。詳しくはこちらをご覧ください。

※ 記事「無依の道人【人は裸になれるのか その2】」では「知識や経験」といった余計なものを脱ぎ捨てた方との出会いを紹介しました。詳しくはこちらをご覧ください。




無依の道人は「知識や経験」といった余計なものを脱ぎ捨てることで、自分自身が仏だと気が付きなさいと説いてくださっている教えです。

心を裸にする!と表現できるのかもしれません。

では、どうしたら心を裸にすることができるのでしょうか。



「心を裸にする」これは簡単なことではありません。


私自身ある出来事で、そのように感じることがありました。



ある日の夕方、お寺に警察から電話をいただきました。そして、



「Y氏という方をご存知ですか」



と質問をされました。このY氏は私が中学校の教員をしていたときの教え子で、警察から電話をいただく2か月ほど前に、卒業後10数年たってから突然お寺に遊びに来た男です。


警察は彼が職場の人間との間に起きた金銭トラブルで警察に来ていること、誰かに引きとってもらわないと帰らすわけにはいかないことを私に伝えます。


警察署へ私が行かなくてはいけない理由は特にありません。親族などに来てもらえば良いのですが複雑な家庭事情でそれもできません。


職場の同僚との金銭トラブルですので仕事関係の人には頼めない。


そこで彼の財布の中にあった名刺の中で私に依頼が来たのです。


これも何かの縁と考えるようにして、私は彼を引き取りに行きました。しかし、彼は金銭トラブルの影響やこれまでの行いのせいで、手持ちのお金も、貯蓄も、生活用品も、住む場所も、身分証明書も何もない状態になっていました。


まさに無一文です。



しかし、このままではどうすることもできないので、彼が「この身内なら助けてくれる」というので、その親戚の家を訪ねました。



残念ながら、そこでは彼を見るなり「すぐに出て行かないなら警察を呼ぶ」と彼の受け入れを拒否されてしまいました。



困ってしまった私は、彼の同級生数人に声をかけて、住み込みの仕事がないか尋ねてみました。すると一人の同級生が、お世話になっている会社の社長さんを紹介してくれることになったのです。



この社長さんについては以前の記事で紹介をさせていただいています。
※詳しくはこちらをご覧ください(以前の記事へ移動します)




社長は「厳しく叱ることもあるけど、それでよければ寮に住まわせながら雇うことができる」と言ってくれたのです。


彼も「ぜひ頑張っていきたい」と言うことで、社長に彼を預けて私はお寺に帰ってきました。



ところが、その2日後 社長から電話があり「彼が逃げた」と連絡がありました。



彼は住む家と仕事道具、そして服などまで用意して雇ってくれた社長の前から姿を消したのです。



社長と出会った日もその翌日も、彼は口から出まかせや嘘を言って社長に叱られたそうです。



社長は「お前のような奴は雇えん、ふざけるな!」と厳しく叱ったそうです。叱りはしましたが、別室に移動して数分間、部下や社長の家族と彼の給与や住むところなどの処遇について話をしていたそうです。



「お前のような奴は雇えん」は厳しい言葉ですが、この言葉の裏には「もっとしっかりしろ!がんばれ!!」という気持ちが込められていたのです。



しかし、Y氏は社長が前向きに彼を助ける方法を考えている、その数分間の間に姿を消してしまったのです。



彼はこれまでの人生で嫌なことがあったら逃げれば良い。という知識や経験を得てきたのだと思います。だからこそ、厳しく叱ってくれる人の有難さに気が付くことができなかったのです。



彼には持ち物が何もない状態でした。



あるのはこれまでの知識と経験、そして小さなリュックに入る数枚着替えだけでした。そんな状態になってまで、これまでの経験や知識が邪魔になって、厳しく叱ってくれている人の中にある優しさ、初対面の人を受けいれることができる心を感じることができなかったのです。


無依の道人という言葉は


「知識や経験」といった余計なものを脱ぎ捨てることで、私達自身が仏だと気が付きなさい


と説いてくださっています。しかし、このことは簡単なことではありません。



お金も、貯蓄も、生活用品も、住む場所も、身分証明書も物質的なものが何もない状態に追い込まれても、無依になれないのは決して彼だけだとは思えません。



私自身も同じ立場になったとき、彼と同じことをしなかったのかと問われると自信をもって「私はがんばれました」と言いきることはできません。
 




だからこそ、無依の道人を目指し私達は一歩一歩を歩んでいかねばなりません。このように話をすると、なんだか難しいことをいっていると思われるかもしれません。



しかし、そのようなことはありません。いま、こうして仏教の教えに触れてくださっている皆様の今の心こそが仏の心であり、このつまらない記事をここまで読んでくださった皆様の修行こそが無依の道人を目指す一歩となるのです。




いらないものを整理して捨てる行為がもてはやされている昨今ですが、それが直接



「知識や経験」といった余計なものを脱ぎ捨てることで、私達自身が仏だと気が付くことにはなりません。



物をいくら捨てても、知識や経験に頼り切る心がある限り、私達自身が仏だとなかなか体感することはできません。




お寺や普段の生活の中で御先祖様が残してくださった良い習慣こそが無依の道人を目指す一歩となるのです。



これまで受け継がれてきた良い習慣というものはたくさんありますので、恐れることなく一歩を踏み出し、これまでに受け継いでいる良い習慣を思い出して頂ければ幸いです。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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