閻魔大王の怒りと地獄の変化 【その2】

閻魔大王の怒りと地獄の変化 【その1】の続きです。
※【その1】はこちらをご覧ください。



5003人の天使




閻魔大王が言っていた3人の天使の話しは



「四門出遊【しもんしゅつゆう】」



と言われる、釈迦様が出家を決意したきっかけにもなった話しに共通する部分があるように思えます。




若かりしお釈迦様が、城の東西南北の四つの門から外に出掛けようとしたときに、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目のあたりにし、出家を決意したと言われています。




3人の天使(老人・病人・死者)とも表現される人との出会いによってお釈迦様は悟りの世界への第1歩を踏み出されたのです。




閻魔大王は老人、病人、死者を天使と呼び、お釈迦様は出家を決意された。




だからと言って現代社会において老人を介護施設に預けること、病人を入院させること、死者を葬儀社で葬儀をしたり、お坊さんに任せるすることが全て悪いことだということではありません。




あくまでも



・自分も老いゆくものであり、急いで善をなさなければならないことに気がつかない

・自分も病まなければならない者であることを思わず、あまりにもおろそかにすること

・死を思わず善をなすことを怠ること



が良くないのです。




老・病・死という「苦」を見ない、または見えないふりをすることによって「苦」を受け止めることを止めてしまうことが危険なのです。





歳をとり、病に侵され、亡くなっていく方を全部1人で面倒を見ることは不可能ですし、誰か1人に負担が集中することはおかしなことです。




四門出遊の話しを読んだとき、介護施設、病院、葬儀社、お坊さんなど、多くの方と協力をして行くことが良い事であることは明白です。




お釈迦様が出会ったのは老人、病人、死者だけではありません。修行者(僧)とも出会っているのです。




5004人の天使




僧とはいわゆる「お坊さん」だけを意味する言葉でありません。




インドで古くから「集い」「団体」等を示すのに用いられる言葉でした。互いに高めあう仲間こそが「僧」なのです。




1人で抱え込むのではなく、多くの方と協力をしながら老・病・死と向き合うことこそが四門出遊の話しの中に3人の天使だけでなく「修行者」が登場する理由であるように感じます。




誰かに押し付けるのでもなく、1人で抱え込むのでもなく、みんなで「苦」を受け止めることの大切さを四門出遊は説いているように私は感じます。



そして、お釈迦様が四門出遊をきっかけにして出家をされ、悟りを開かれたように、今を生きる私達も様々な「苦」を受け止めることが、より良く生きるための第1歩になるのではないでしょうか。







(話しが長くなってしまうので続きはまた次回とさせていただきます・・・)

※3話目は山の竹が教えてくれる地獄と極楽
を予定しています。
※1話目は「閻魔大王の怒りと地獄の変化」はこちらをご覧ください。

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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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