丸見えの自分

先日のブログでは「人として本当の姿が仏様」と題して



「イ:ニンベン」はその名の通り「人」を表し

「ム」は「自分を表す古い字」

ということは

「仏」という字は「人間(人)としての本当の自分」



と紹介させていただきました。
※昨日の記事はこちらです。





そして、その翌日に



私と言う字は「ム」と「禾:のぎへん」からできています。

「禾:のぎへん」に稲や麦を表し、現代で言う「お金」や「生活するうえで便利なもの」などの意味も含まれているので、

「ム」と書く本当の自分と同じくらいの大きさ、身の丈に合った「禾」があれば十分なのに、どうして「禾」が大きくなりバランスが崩れてしまいます・・・



と書きました。


※その記事はこちらです。





「ム」を使う字は他にもたくさんあります。



その中に「公:おおやけ」もあります。



500公と言う漢字

「公」は国家や社会、そして偏らないことを意味する漢字です。






この漢字は決して、このように(↓↓↓)は書きません。





500公と言う漢字2


上がフタを表す状態になってしまっています。





この隙間がポイントです。



500公と言う漢字3




必ず隙間が空いています。





この隙間はフタに穴が開いていることを示しています。




つまり、「公:おおやけ」は


穴の開いたフタを意味する「八」と、「自分を表す古い字」である「ム」が重なってできているのです。




国家や社会の為に働くことだけでなく、偏らないことを示す「公」は




フタに穴をあけることで、いつでも本当の自分を表す「ム」を外から見えるようにすることを意味しているのです。



と、言うことは本来の自分を表す「ム」が見えないほど小さくなればバランスは悪くなります。



500公と言う漢字4




さらに、「公」が「社会」を表すのであれば、本来の自分である「ム」はいつでも穴が開いていて見られていることになりますので、




本来の自分「ム」をいつ見られても恥ずかしくないように保たなければ、社会の中で生きて行くことが難しいことも「公」という漢字が教えてくれているように感じます。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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