写経会のときに どんな話しをしているの? その52

東光寺(静岡市清水区横砂)で行われている写経会で、副住職(新米和尚)の法話と配布させていただいている絵葉書を紹介させていただきます。

※なぜ、絵葉書と法話(仏教のお話)が登場するのかはこちらをご覧ください。

※写経会の御案内はこちらをご覧ください。




 今回は第52回目です。 




500写経会 絵葉書 52 夢中夢2




般若心経というお経の最後の部分に羯諦【ぎゃてい】という言葉があります。




羯諦の原語は「ガテー」というサンスクリット語で、「行く」という意味の動詞から派生したと言われています。




ですから、




「行った者よ」 や 「行く者よ」




と訳すことが多いそうです。




どこに行くのかと言えば、悟りの世界と言われるところです。




「悟り」という言葉を聞くと私の頭の近くに「?」がどんどん出てきます。悟ったことがない私にとって難しい言葉です。




しかし禅の言葉「禅語」には悟りの世界を示す言葉があります。




その一つが




夢中夢【むちゅうのゆめ】




です。漢字だけを見ると夢の中で夢を見るというように読み取れますが、禅語としての意味は



悟りの中で悟りを説くこと、本来仏であるものが仏について説く




という意味があります。




仏であるものが仏について説こうとするならば自分自身が仏だと気がつく必要があります。




自分自身が仏だと気がつくことは大変難しいことではありますが、




拝む姿が仏様




と昔から言われているように、相手のことを一心に思う姿、相手と一体になる姿こそが仏様の姿なのです。








坐禅というと




警策【けいさく】という棒が持った和尚さんが見回りにきて姿勢が悪いと叩いていく




というイメージがあるのではないでしょうか。



もちろん、集中していなかったり不用意に動けば叩かれるかもしれませんが、これが全てではありません。




叩く側だけが、叩くか叩かないかを判断し決定するわけではないのです。



実は叩かれる側が合掌をすることで「私を叩いてください」と合図を出すこともできます。




このとき、「私を叩いてください」と合掌して合図を出すと叩く側は、「叩かせていただきます」という気持ちで合掌をします。




叩かれることは痛みを伴うので、本当ならば叩かれたくはありません。




しかし、叩かれる側が相手を信頼するからこそ叩いてくださいとお願いができる。




叩く側もその気持ちをしっかりと受け止め、相手のことを想って手を合わせます。





このように、互いが互いを拝みあう姿も仏様の姿なのではないでしょうか。




そして、この気持ちを忘れずにこれからも過ごしていくことこそが、悟りの世界へと渡るための一歩一歩になっていくのではないでしょうか。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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