柿の収穫から学ぶこと

東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にある保育園が管理する畑には柿の木があります。

今年は多くの実をつけてくれました。
喜んで収穫をしようと思うのですが、畑を管理する私が手を抜いたため柿の木の周囲には多くの雑草が生えてしまっています。

この雑草を分け入って柿だけ取ろうとすれば、草が邪魔で作業ははかどらないし、様々な虫とも遭遇することになります。さらに、前日までの雨で草が濡れているのでこちらまで濡れてしまいます・・・
柿を採りたいからと言って、やみくもに直進することはありません。

まずは草を刈ります。
・・・機械の力を借りてしまいました。
仏教では、私達は生まれたときから仏様のような尊い心をいただいていると説いています。
しかし、その尊い心もほっておくと、やがて畑が雑草に覆われるように煩悩などによって覆われてしまいます。
だからこそ、私達は煩悩を払い尊い心を大切にしなくてはいけません。
このことは、柿を収穫するために草を刈ることに似ているように感じます。
草が大量に発生している場合も、いっぺんに全ての草を取り除くことはできません。
奥の草を刈ることもできません。
手前の草から少しずつ刈っていくしかありません。
「尊い心があるんだ!」と、その心だけを目指して突っ走ることは確かに大切なのですが、それよりも尊い心があると信じて、今自分にできることをコツコツとやっていくことが大切なのだと感じました。
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