保育園児の坐禅体験で感じること 【評価について考えた その2】

白隠禅師坐禅和算【はくいんぜんじ ざぜんわさん】というお経の中に



それ摩訶衍の禅定は 【 それ まかえんの ぜんじょうは 】

称嘆するに余りあり 【 しょうたんするに あまりあり 】




という一節があります。




ありとあらゆる教え、芸道芸術、社会生活は 禅定(心を調える)をはなれてはありえない




と言った意味があります。




心を調える、落ち着けることの大切さを短い言葉で伝えてくれています。



500坐禅体験17053



東光寺(静岡市清水区横砂)の境内には保育園があります。




ここの保育園の年中組と年長組は毎月東光寺へ坐禅を体験するためにやってきます。




クラスの雰囲気などが年によって大きく異なります。




集中して坐禅に取り組むことができるクラス、集中できないクラス、話を聞く習慣ができていないクラス、相手の目を見て話しを聞くことができるクラス・・・




クラスによって大きな違いがあることは間違いありません。




ですから、同じように指導をしても結果に大きな違いが出てきます。




初めて来たときからしっかりと坐ることができるクラスもありますが、1年間(12回)通っても集中して坐ることができない子がいるクラスもあります。




ついつい、「なんでしっかりと坐れないんだ!!」と腹が立ってしまうこともあります。




しかし、坐禅に集中できずフラフラしている姿や、話を聞くことができずキョロキョロしている姿も全ては指導している私への「評価」なのだと思うのです。




私自身がしっかりと指導をすることができていれば、子供達は集中して坐禅に取り組むことができるはずです。




そのことが頭での理解をこえて、体感することができていれば「なんでしっかりと坐れないんだ!!」などと感じることはないはずです。




どこかで、自分の未熟さを棚に上げて誰かのせいにしようとしているのです・・・




白隠禅師坐禅和算の中に


それ摩訶衍の禅定は 【 それ まかえんの ぜんじょうは 】

称嘆するに余りあり 【 しょうたんするに あまりあり 】




という一節にふれるとき



ありとあらゆる教え、芸道芸術、社会生活は 禅定(心を調える)をはなれてはありえない




ということを思い出し、嫌なこと辛いことを誰かのせいにするのではなく、まずは自分の心を調えることの大切さを痛感します。




「まずは自分の心を調える、すると心が調った人の姿は必ず周囲の人に良い影響を与える」


と言った和尚様もいました。



私の心が調っていないので坐禅体験に来ている子供の心が調わない。子供が落ち着いていないのであれば、その姿こそが今の自分自身の心の姿なのだと感じます・・・




まずは自分の心を調える!!

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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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